天才たちのびっくり!? 子ども時代

天才たちのびっくり!? 子ども時代 by ジャン ベルナール プイ, アンヌ ブランシャール

プイ,ジャン・ベルナール
フランスの人気小説家で、推理小説コレクションの『セリ・ノワール』(未邦訳)が有名。学校を舞台とする作品を多く書いている。

ブランシャール,アンヌ
大学の出版社に勤めた後、絵本の編集者と作家になる。

ブロッシュ,セルジュ
フランスやそのほかの国ぐにで、子どもとおとなのための本や新聞のイラストを描いている。

アインシュタイン、リンカーン、ピカソ…

さまざまなジャンルの
天才たちの子ども時代をのぞいてみよう!

今ではほめたたえられ、
立派な人物として
学校の授業でも登場する天才たち。

でも子ども時代、彼は寄り道ばかりで…

名高い天才たちの、
問題山積だった子ども時代をコミカルに描き、
やがて彼らが「自分の道」
を見つけるまでを伝える。

ユーモアいっぱいに語られる
天才たちを忘れられなくなる…

目次

ルイ・アームストロング
オノレ・ド・バルザック
アレクサンダー・グラハム・ベル
ナポレオン・ボナパルト
ビュフォン
ポール・セザンヌ
チャーリー・チャップリン
カール大帝
アガサ・クリスティー
ウィンストン・チャーチル〔ほか〕

天才たちのびっくり!? 子ども時代

天才たちのびっくり!? 子ども時代

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MEMO

◆レオナルド・ダ・ヴィンチの子ども時代

(1452-1519)
イタリア人の画家、発明家、軍事技術者、
科学者、作家、イタリアとフランスの宮廷芸術家。
絵画、彫刻、建築、土木、機械工学、解剖学、
生物学など、ひじょうに広い分野で活躍した。
まさに「万能の天才」とよばれるにふさわしい人物。
今も残る彼が書いたメモから、
飛行機の構造についても考えていたことがわかった。

ヴィンチというのは、
わたしが1452年に生まれたイタリアの小さな村の名前だ。

彼は、母のカテリーナと近所の金持ちの公証人とのあいだに生まれる。

父は結婚が趣味だったが、
わたしは生涯だれとも結婚しないだろう。

子どものときは、
田舎と都会を行ったり来たりしてすごした。

田舎では「霧のこまかい粒子」を観察できるので
大好きだったが、
都会では父方の祖父母が、陶器のつくり方など
新しいことを発見させてくれた。

自由勝手に生きていたので、
書くことも自分で学ばなければならなかったことは覚えている。

だから、わしたは左手で、右から左へ書く。

「数ヶ月勉強しただけで、
すっかり算数が得意になった彼は、
たえずむずかしい質問をしては先生をこまらせた」

わたしと同時代の画家ヴァザーリは、
わたしは気まぐれで落ちつきがない子どもだったと書いている。

「いろいろな分野で研究をこころみ、
手をつけてはすぐに投げ出した」

わたしが好奇心が強く、
新しいことに飢えていたことがわからないらしい。

その証拠に、
わたしはいつも本を読んでいた。

それがわたしという人間なのだ。

わたしは、なんにでも興味を持つ。

美術にも、音楽にも、詩にも、
もちろん、絵にも。

習ったことがないのに、
わたしはよく絵を描いていた。

◆アルベルト・アインシュタインの子ども時代

(1879-1955)
物理学者。ドイツ、スイス、アメリカと国籍が変わった。
20世紀最大の天才科学者とみなされている。
1921年のノーベル賞受賞の理由となった彼の理論は、
物理学とわたしたちの世界観を根底からつくがえした。

アルベルトは、1879年にドイツのウルムで、
お金持ちの家庭に生まれた。

生まれたとき、すでに頭が大きく、
変形していたので、両親は異常だと思い込む。

医者がいくら安心させようとしても、
両親は心配しつづけた。

そのうえ「クマおやじ」とよばれるほど
大きな赤んぼうだったアルベルトは、
3歳になるまでちゃべらなかったと言われている。

努力することが大きらいで、
いつもトランプでお城をつくっていた。

彼の学校生活は問題だらけだった。
質問に答える前に何時間も考えたり、
暗記ができなかったので、
のろまな子どもだと思われていた。

規則や命令をまったく理解できなかったので、
言うことをきかに子どもだと思われていた。

9歳になると、ひとりで、
生物学や化学や哲学の本に読みふける。

本のほうが彼にとっては、
スポーツよりずっとおもしろかった。

15歳になったとき、両親は、イタリアの
ミラノ近くに引っ越して、
新しい商売をはじめる。

しかし、アルベイトはドイツに残る。

ドイツでは、男子は、
全員が一定の期間軍隊に入らなければならないため、
アルベルトも高校を卒業して、
軍隊に入る準備をしなければならなかった。

ひとりの教師が、
「きみはぜったいに、なにもできないだろうから、
大学に入るのをあきらめて高校をやめたほうがいい」
と、彼に言う。

そこでアルベルトは、すぐ学校をやめて、
イタリアの両親のところに行ってスパゲッティーを食べることにした。

父親は、アルベルトが学校をやめてしまったことをよろこばず、
技術者になるよう説得する。

そこで、スイスのチューリッヒ工科大学を受験するために
勉強することになる。

そして、17歳で工科大学の数学科と物理学科に入学する。

そこでも、アルベルトはあいかわらずぼんやりと奇妙な生徒で、
強制されることがきらいだった。
彼は、自分が興味のあること以外は、
まったく関心がなかった。

「アインシュタイン、きみは頭がよいが、
ひとつだけ欠点がある。
人の忠告をきかないことだ」

その結果、卒業のとき、彼の仲間は先生になれたのに、
彼は仕事をもらえなかった。

後に、彼はスイスの首都ベルンにある特許庁に就職する。
発明の審査官という彼の人生を変える重要な仕事についたのだ。

◆トーマス・エジソンの子ども時代

(1847-1931)
アメリカの発明家。
すくなくとも千件の発明で特許をとった。
蓄音器や、カメラの元となったキネトスコープ、
電球などの発明者として知られている。
飛行機の開発もしていたが、
ライト兄弟に先をこされてしまった。

エジソンは、
1847年にオハイオ州で生まれた。

家族は、貧しくも、
裕福でもなかったし、
大人数でも少人数でもなかった。

本来6人の兄弟がいたが、
4人しか残らなかった。

7歳のとき、北部のポートヒューロンに引っ越し、
新しい鉄道の線路の近くでくらすことになる。

わたしは、電車が大好きだ。

電車の中では、本を読んだり、ねむったり、
夢を見たり、働いたりできる。

後にわたしは、電車の中に研究室をつくることになる。

エジソンが8歳半のときだ。
ある日、泣きながら家にもどってきた。

教師のひとりが、わたしを、
落ちつきのないまぬけとしてあつかった。

「そのとき、わたしは、
母親のありがたさを知った。
母は、わたしを学校につれて行き、
教師に対し、
いいかげんなことを言うなと言った。
これほど情熱的に子どもを弁護する
母親を持った男の子がほかにいるだろうか…
そこで、わたしは、彼女の信頼が正しいことを母にしめし、
その信頼にふさわしい人間になろうと決めた」

母は、わたしに学校をやめさせた。

わたしは、父の図書室の本を読みはじめる。
こうして、9歳で「ニュートンの原理」にめぐりあう。

あの有名なニュートン、落ちてきたリンゴを頭で受け止めて、
重力を発見したあのニュートンだ。

だが、彼の原理は、まったくおもしろくなかった。

「あれほど抽象的でなければ、
ニュートンは、もっと多くの人びとに、
自分の知識を伝えられたのに、
とわたしは考えた。
おかげて、わたしは決定的に数学がきらいになった」

◆アレクサンドラ・ダウィッド=ネールの子ども時代

(1868-1969)
フランス探検家。
アジアの宗教、哲学、言語の研究家。
西洋に仏教を広めた。
同時、鎖国状態にあったチベットに中国から入り、
1924年、首都のラサに西洋人としてはじめて到達した。
このときのことは、著書「パリジェンヌのラサ旅行」
の中でくわしく述べられている。

1868年にパリ郊外のサン・マンデで生まれたとき、
ネールは、まさか自分が、
101歳まで生きて、自分がやりたいことすべて
(作家、歌手、写真家、東洋学者、
女性解放運動のジャーナリスト、仏教の専門家、
探検家など)をやりとげることができる
とは思っていなかった。

ましてや、
ヒマラヤ山脈を横断し、
何千キロも自分の足で歩いて旅して、
1924年にチベットの聖都ラサに西洋人として
はじめて入るとは、
夢にも思わなかったはず。

ネールは自尊心が強く、個人主義者で、
自由を愛し、しばしば家出をする少女だった。

2歳になると、チャンスを見つけては、
「けっして気が合わない」両親のもとから逃げ出す。

母親は、彼女に無関心だった。

「母は、おもちゃがわりにある子どもがほしくて、
わたしを産んだの」

幸い、ネールは、物知りの父親のルイが大好きだった。
彼は教授で、ジャーナリストで、
彼女がこの世で一番愛した人である。

彼女は読書に熱中し、
アジアが大好きになる。

彼女の叔母はシベリア出身だったので、
自分の中にはモンゴル人の血が流れているのだと納得する。

むすめは肌は白人だが、心は黄色人種だと、
後に父親が言ったほどである。

両親も、彼女がふたたびイギリスに行くことを許す。

彼女が20歳のときである。

彼女にとっての東洋への旅は、
イギリスに行くことからはじまる。

◆アガサ・クリスティーの子ども時代

(1890-1976)
イギリスの小説家。
主に推理小説を書いてベストセラーを連発し、
「ミステリーの女王」とよばれる。
とくに「オリエント急行列車殺人事件」や
「そして誰もいなくなった」、
「ナイルに死す」は有名。
彼女の推理小説は80冊以上をかぞえ、
現在でも世界中で訳され、読まれている。

お金にこまっていた父親は、
休みに家族をフランスにつれて行く。

フランスのほうが生活費が安かった。
アガサが5歳のときである。

両親は、彼女があまりにはやく文字が読める
ようになることを望まなかったので、
彼女に犬を買えあたえた。
彼女はうれしくて気絶しそうになり、
トイレにとじこもって、

「わたしには犬がいる、犬よ、
わたしの犬、わたしだけの犬、
ヨークシャーテリア、わたしの犬、
わたしだけの犬…」

と、くりかえしつぶやいた。

そう、イギリス人は犬が大好きなのである。

彼女は晩年、自伝の中で次のように書いている。

「人生でもっともすばらしいことのひとつは、
幸せな子ども時代にめぐまれることです。
わたしの子ども時代はとても幸せでした。
大好きな家と庭があって、
かしこくてやさしい乳母がいて、
父と母は幸せな結婚をして、
たがいに深く愛しあっていて、
とてもよい両親でした」

つまり、こうした理由から、
彼女はおとなになって、
これほどたくさん殺人に満ちた物語を
書くようになったというわけである。

◆チャリー・チャップリンに子ども時代

(1889-1977)
イギリス出身。
アメリカで活躍した映画監督、俳優。

チャップリンの映画は、
世の中を痛烈に風刺し、人々を笑わせた。

チャリーは、ロンドンの貧しい人々が住む
インジントン通りで生まれた。

彼の両親のハンナとチャールズは、
旅回りの芸人で、ミュージック・ホール
のお笑いコンビだった。

それなのに、父親はアルコール中毒で、
その父親と母親は別れて暮らしていた。

父親はアメリカに旅立ち、母親ひとりで残された。

父親は1年後に帰国したが、家族のもとに二度と戻らなかった。

こうした不幸な出来事にもかかわらず、
チャーリーと異母兄のシドニーは、幸せだった。
母親が劇場で演じていあるあいだ、
彼らは、自分たちで手品を覚えようとする。

チャリーが5歳のとき、ハンナは声がでなくなる。
もうステージには立てなくなった彼女は、
家で内職をして、
わずかなお金を稼ぐために、昼も夜も縫い物をした。

とても貧しい暮らしだった。

「何度も、小さな手押し車に、
2枚のマットレスと、3客のわらのイスと、
わずかな衣類と身の回りの物を入れたつつみを積んで、
次の住まいを探した」

あまり貧しかったので、子どもたちは学校へは行けなかった。

チャリーは、
「母は、周囲の人たちとはまったく違っていた。
僕達の話し方にいつも注意深く耳を傾けて、
僕達の文法の誤りを直してくれた。
僕達が上品な人間であるような印象を持たせてくれた」
と、思い出を語っている。

あまりの収入の少なさに、ランベスの福祉施設に
入らなければならなくなる。

そのうえ、母親は精神を病んで、
当局によって精神病院に入られる。

まるでチャーリーの映画の内容そのものである。

兄弟は、孤児院に入る。

「そこで、チャプリンという名前の書き方を習った。
僕はすっかりこの言葉が気に入って、
まるで僕そっくりだと思った」

この恐ろしい施設を出たとき、
彼は9歳だった。

幸い、シドニーがロンドンに戻ってきて、
もう二度と船には乗りたくないと言ったので、
ハンナが二人を引き取る。

「僕達は、みすぼらしい部屋に住んでいた。
食べるものすらなかったことも、しょっちゅう。
靴もなかった。
母は、ときどき、ブーツを脱いで、
兄弟のうちのひとりがそれを履いて、
慈善団体のスープをもらいに走った。
それが、その日の唯一の食事だった」

しかし、運命が軌道にのりはじめる。
ある日の休み時間に、
チャーリーは、クラスメイトに、
母親から習った「プリシラ婦人のネコ」
という物語を語って聞かせる。

「仕事をしていた担当のリード先生は、
顔を上げ、とても面白がり、みんなが席についたとき、
もう一度僕に同じ話しをさせた。

それは、笑いの嵐を引き起こした。
その後、僕の噂が広がって、
翌日には、僕は、教室から教室へと
引っ張りだこで、女の子たちも、男のの子たちも、
僕のひとり芝居を聞きたがった。

5歳のときから、僕は、
ママの代わりに観客の前で演じていたが、
このときはじめて、栄光を味わうことを意識した。
僕にとって学校は、楽しい場所になった」

このとき、チャーリー・チャップリンは、9歳、
彼は貧しくて、お兄さんも貧しくて、
お母さんは精神を病んでいた。

未来は、とても笑えるものではなかった。
かわいそうな少年は、そのうえ、ぜんそく持ちだった。

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