14歳からの哲学 考えるための教科書

14歳からの哲学 考えるための教科書 by 池田 晶子

池田 晶子

1960年生まれ。
慶応大学文学部哲学科卒業。

専門用語による「哲学」についての論ではなく、哲学するとはどういうことかを日常の言葉を用いて示し、多くの読者を得る…

人には14歳以後、
一度は考えておかなければならないことがある!

今の学校教育に欠けている、
14、15歳からの「考える」ための教科書!

「言葉」「自分とは何か」「死」「心」「体」
「他人」「家族」「社会」「規則」「理想と現実」
「友情と愛情」「恋愛と性」「仕事と生活」
「メディアと書物」「人生」など30のテーマを取り上げる…

もしあなたがが、ものの考え方、
当たり前に思っていることが
本当はどういうことなのかを知りたくて
考えるということに、
もっと興味があるのなら、
書店か図書館へ行って、
「哲学」と名付けられたコーナーを見てみるといい。

そこには、古くはプラトン、デカルト、
カントといった有名な名前の人々の本が並んでいるし、
新しくは現在生きている人によって書かれた本もたくさんある。

でも、たとえそれらの本を手に取って読んでみても、
聞きなれない言葉や変な言い回しがいっぱい出てきて、
おそらくちんぷんかんのはず。

大学へ行けば、
それらを専門に勉強するための学科もあるが、
「考える」とはどういうことなのかがわかったのなら、
これらの本を無理して読んだり、
専門の知識を覚えたりする必要ない。

なぜか?

あなたが求めているのは、
「考えて、知る」ことであって、
「読んで、覚える」ことではないから。

自分で考えて知るために、
他人の本を読んで覚える必要はない。

とにかく大事なことは、
あなたが、「知りたい」という気持ちを
強くもっているということ、
ただそれだけだ。

目次

14歳からの哲学[A]

1 考える[1]
2 考える[2]
3 考える[3]
4 言葉[1]
5 言葉[2]
6 自分とは誰か
7 死をどう考えるか
8 体の見方
9 心はどこにある
10 他人とは何か

14歳からの哲学[B]

11 家族
12 社会
13 規則
14 理想と現実
15 友情と愛情
16 恋愛と性
17 仕事と生活
18 品格と名誉
19 本物と偽物
20 メディアと書物

17歳からの哲学

21 宇宙と科学
22 歴史と人類
23 善悪[1]
24 善悪[2]
25 自由
26 宗教
27 人生の意味[1]
28 人生の意味[2]
29 存在の謎[1]
30 存在の謎[2]

あとがき

14歳からの哲学 考えるための教科書

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MEMO

◆仕事と生活

誰かに
「なぜ生活しなければならないの」
と訊いてみてほしい。

きっと、
「生きなければならないからだ」
と答えるだろう。

「じゃあ、なぜ生きなければならないの」
と訊いてみる。

きっと、
「そりゃ生きなければならないのは決まっているじゃないか」
くらいしか答えられないはずだ。

でも、生きることを権利と決めている法律はあるけど、
生きることを義務と決めている法律はない。

じゃあ、決まっているって、
誰がそれを決めているのか。

決めているのはその人だ。

生きなければならないという法律はなく、
誰もその人に生きることを強制してはいないのだから、
「生きなければならない」と、
生きることを義務か強制のように思っているのは
その人でしかない。

生きることはあくまでその人の自由である。

生きたくなければ死ぬ自由はある。

なのに、死なずに現に生きるいるのだから、
生きることを自分の自由で選んでいるのだから、
その人は、本当は、「生きなければならない」ではなく、
「生きたい」というべきである。

本当は自分で生きていたくて生きているのに、
人のせいみたいに「生きなければならない」と思っているのだから、
生きている限り何もかもが人のせいみたいになるのは当然だ。

生きるためには、
食べなくてはならない、
食べるためには、
稼がなければならない、
そのためには、
仕事をしなければならない、
この「しなければならない」
の繰り返しが、
「生活」だ。

しなければならなくてする生活、
生きなければならなくて生きる人生なんかが、
どうして楽しいものなのか。

たぶんそれは、
こんなふうに生きているのはイヤなんだけど、
死ぬのはもっとイヤだから、
だから「生きなければならない」のである。

でも、生きたくないのに生きることが、
死ぬことよりもイヤなことでないのかどうかは、
生きている限りわからない。

わからないから生きているんだ。

やっぱり生きていることを選んでいるんだ。

だったら人は、
自分で自分の人生を選んでいるということを、
はっきりと自覚して生きるべきである。

仕事も生活も何もかも、
自分がしたくてしていることだから、
自覚すべきである。

そうすれば、自分のことを人のせいみたいに
文句を言いながら生きることもなくなるはずだ。

それでも人は、
自分がしたくないことも
実は自分がしたくてしていることなのだと
認めるのがイヤで、
やっぱり人のせいにしたくなる。

その口実として一番もってこいなのが、家族だ。

家族がいるから仕事をしなければならない。

家族を養なわなければならない、
家族を養なわなればならないから、
自分のしたいことをあきらめなければならない、
というわけだ。

でもそれは違う。

覚悟がすわっていないだけだ。

自分が本当にしたいことが自分でわかってないから、
それを家族と仕事のせいにしているだけである。

生活「しなければならない」、
仕事「しなければならない」という心構えが、
生活や仕事をつまらなくしている元凶である。

特別の才能がないから普通の会社員、
特別の才能がないから専業主婦、
その会社員や主婦の仕事を、
そのまま楽しむことができるなら、
それはその意味での才能である。

楽しんで仕事をしているうちに、
気がつかなかった自分の才能に、
気がつくこともある。

生きなければならないから
仕事をしなければならないと思っている限り、
人は決して本当に生きることはできない。


◆「考える」とは?

こんなふうに考えてみる。

物の長さや大きさを計るために、
定規というものがある。

誰の持っている定規も目盛りは同じで、
1センチは1センチと決まっている。

もしこれが、使うたびに目盛りが変わったり、
各人の持ち物で目盛りが全部違っていたりしたら、
定規の用を為さない。

正しく計ることができないのだから、
世の中の寸法は狂いっぱなしだし、
建物ひとつ建てられない。

「正しい」とは、これと同じことだ。

自分が思っているのだから正しいと思っている人は、
自分ひとりだけの定規、
自分ひとりだけの目盛りを使って、
すべてが正しく計れると思っているようなものだ。

各人がそういうてんでんばらばらな定規を持って、
お互いを計り合い、
それが自由だと主張し合っているようなものだ。

でも正しく計ることのできないそんな定規を使っているなら、
間違ってばかりのはずである。

しかし、人は、「考える」、「自分が思う」
とはどういうことかと「考える」ことによって、
正しい定規を手に入れることができる。

自分ひとりだけの正しい定規ではなくて、
誰にとっても正しい定規、
たったひとつの正しい定規だ。

正しい定規はどこだろうと、
あれこれ探し回っているうちは、
見つからない。

考えることこそが、
全世界を計る正しい定規になるのだとわかったときに、
あなたは自由に考えはじめることになる。

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