40歳から「差がつく」生き方

40歳から「差がつく」生き方 by 苫米地 英人

苫米地 英人

1959年、東京生まれ。
認知科学者(機能脳科学、計算言語学、認知心理学、分析哲学)。
計算機科学者(計算機科学、離散数理、人工知能)。
カーネギーメロン大学博士(Ph.D.)。

上智大学外国語学部卒業後、三菱地所に入社。
2年後イェール大学大学院に留学。同大学人工知能研究所、認知科学研究所研究員を経て、カーネギーメロン大学大学院に転入。

日本人ではじめて計算言語学の博士号を取得する。帰国語、徳島大学助教授、ジャストシステム基礎研究所所長、通商産業省(現経済産業省)情報処理振興審議会専門委員などを歴任。
現在は(株)ドクター苫米地ワークス代表、コグニティブリサーチラボ(株)CEO、天台宗ハワイ別院国際部長…

不満だらけの奴隷として一生を終えるか?

「今、この瞬間が嬉しい」人生を積み重ねるか?

「ノット・ノーマル」志向!

この「Not Normal」とは、
著者の苫米地氏の師匠である
故ルータイスが使っていた言葉である。

40歳前後には、様々な「壁」に直面するといわれる。

では、どうすれば40歳で「差がつく」生き方ができるのか?

ポイントは「不満だらけの奴隷として一生を終えるか?」、
それとも、「『今、この瞬間が嬉しい』人生を積み重ねるか?」。

そのどちらの人生を生きるかで、
その人の究極的な幸福度は大きく変わるのだ。

そして、その分かれ道となるのが
「ノット・ノーマル」に生きられるかどうかである。

では「ノット・ノーマル」な生き方とは何か!?

目次

第1章 現代の日本社会では、40歳までは「お子さま」期間(60代の人が子供扱いされる世界がある40歳までは「お勉強」期間 ほか)

第2章 「奴隷の長」になって喜んでいる場合じゃない(会社に入って三年で「ただの人」になる
20代、30代は、会社に搾取され続ける ほか)

第3章 とことん「ノット・ノーマル」に生きよ!(「ノット・ノーマル」だから国家元首が会ってくれる「ノット・ノーマル」は、「頼もしい」と言われる ほか)

第4章 40歳までは徹底的に知識を身につけよ(世界中の新聞を読め、好きな出版社の本を読みあされ酒を飲んで、IQが下がるのはもったいない ほか)

第5章 エフィカシーを高めて、自信に満ちた人生を歩め!(「ノット・ノーマル」とは、エフィカシーの高い人エフィカシーの低い人は人の悪口ばかり言う ほか)

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MEMO

◆日本人は「ノット・ノーマル」な人間を攻撃する傾向がある

ノット・ノーマルとは、

「非凡に生きよ」
「脱常識で生きよ」

という意味である。

日本では昔から、
自分が常識だと思っている範囲から
外れた人を攻撃する傾向がある。

現代社会では、
そのツールとしてネット(Facebook Twitter
などのSNS)が使われている。

自己評価が高ければ
他人の悪口など言わないはずだが、
日本の学校教育では自己評価を低くする
教育ばかりされたきた。

偏差値至上主義で
「あなたは上から何割のところにいます」
と評価される。

偏差値で評価されたら、
トップ以外はみな自己評価が低くなる。

自己評価を低くする教育ばかり
されてきたことも一因となり、
自分に絶対的な自信を持っていないから、
悪口を言って相手を引きずり降ろそうという
心理が働く。

会社の悪口ばかり言っている
サラリーマンも同じだ。

40代にもなって、
悪口ばかり言っている人生が、
良い人生と言えるだろうか。

自己評価を高めれば、
人の悪口は言う気がしなくなる。

「自分はものすごい人間だ」
と思っているので、
他人を引きずり下ろす必要がない。

最初に出てくる言葉は
悪口ではなく、「すごいね」とか
「よかったね」という言葉になる。

◆中国のエリート教育はアメリカよりスゴイ!

キッシンジャー元国務長官の話しによると、
中国はアメリカよりエリート教育がスゴイという。

中国では、国内全土から天才児を集めて、
党に入れて徹底的に教育していく。

地方に配属し、地方で成功したら、
どんどん上に上げていく。

彼らは一度党の役職に就くと、
任期が10年くらいある。

その間にエリートとして未来に向けて
仕事に取り組ませる。

キッシンジャーは、
アメリカはそこまでやっていないので
「中国はスゴイ」と言ったそうだ。

日本はアメリカにも追いついていない状態で、
リーダーをまったく育てていない。

アメリカや中国の企業と競争相手に
ビジネスをする大企業の社長は、
彼らを上回る膨大な知識が必要になる。

それには、
必死になって勉強を重ねなければ
いけない。

テレビは早く捨てたほうがいい。

テレビを捨てるくらいの覚悟で
20年間真剣に勉強し続けて、
ようやく知識量を最低レベルに
持っていくことができる。

インターネットも、
一次情報に当たらずに下手な使い方を
していると、とにかく膨大な情報が
あふれているので、ただ時間を浪費する
だけになってしまう。

今まであまり勉強してこなかった人は、
今すぐ、テレビを捨て、酒を捨てる。

そして今すぐ、勉強を始めるべきだ。

なぜ、今、勉強する必要があるのか?

それは、
会社の「奴隷」にならないためである。

◆世界中の新聞を読め、好きな出版社の本を読み漁れ

20代のころから40代までの20年間くらい
毎日読み続けて、ようやく一定の知識が身につく。

そういうことをしてこなかった人は、
これから2~3年の間に徹底的に
世界中の新聞・雑誌を読みまくった方がいい。

本だったら、好きな出版社の本はすべて読む
くらいのつもりで読み漁るべきだ。

余談だが、勝間和代さんはヒマさえあれば
読み放題の洋書を読んでいる。

今どき、日本語の本しか読めないでは
変化の激しい時代に対応できない。

少なくても英語の本くらいは、
日本語の本を読むような感覚で
読めるようにならないといけない。

Amazonと契約すると
100万冊の洋書が読み放題である。

和書しか読めない人は
10万冊しか読めない。

◆奴隷にならないためには、3つの収入源が必要だ!

本業で収入を増やすことを考えるから、
リストラされたら大変だと思って
会社の奴隷にされてしまう。

本業以外の収入があれば、
会社の奴隷になる必要などなくなる。

収入源を増やす方法はいくらでもある。

株式投資や、FXでもいいし、
不動産賃貸でもいい。

そうすれば会社に迷惑をかけずに、
収入を増やすことができる。

会社の就業規則で、
副業してはいけないとされているとしたら、
それは憲法違反だ。

「競合会社で働いてはいけない」
というルールならあってもよいが、
競合しない仕事をするなら、
何の問題もないはずだ。

十分な給料も渡さない会社が、
社員が地元のコンビニで働くことから
専門技能で稼ぐことまで、
禁止するなんておかしい。

これからの時代、
ひとつの会社にしか属さないほうが
おかしい。

先進国の人間は、
一人がたくさんの職業的機能を持つことは
当たり前になっている。

ネット上で外国の人と仕事をする
こともできる。

職業とは社会に提供する機能だから、
自分の力が求められているところには、
どこにでも機能を提供すればいい。

結果として、複数のところから収入が
入ってくる可能性が高いというだけだ。

会社は「複数の会社と契約してはいけない」
と言っているくせに、その会社の社長は
他の会社の社外取締役だったりする。

自分は複数の会社の仕事をしているのに、
社員には複数の会社の仕事をしてはいけない
というのは、おかしな話しだ。

会社を起業して週末に働いてもいいし、
ブログをつくってアフィリエイトで
収入を得てもいい。

マンションを持っている人は、
賃貸で貸して、
自分たちは別の小さなマンションに
移って家賃収入を得る方法もある。

収入源を複数持っていれば、
クビを怖がる必要はない。

「クビにするなら、していいですよ」
という気持ちで、心の余裕ができる。

そうすれば、自分が正しいと思うことは
上司と堂々と議論することができるはずだ。

会社に縛られて会社の「奴隷」として
生きる必要などないのだ。

上司に不条理なことを言われたら、
「私、今辞めても平気ですけど」
という気持ちで突っぱねることもできる。

◆将来の年金のために働くより、今の充実が大事

「将来の年金のために働く」
というのは、長い職業人生を犠牲にしている
ようなものだ。

そんな生き方を、
今の大学生や子どもたちが
目指しているとすれば、
実にもったいない。

今の大学生が老後になったときに、
終身年金をもらえる保証などどこにもない。

しょせんは「口約束」あるいは「空約束」
に近いものである。

そんなもののために、
何十年もの人生を他人の言いなりに
生きていっていいのか。

今は医療が進んでいるから、
普通の人が80歳、90歳まで働きながら
健康に生きていける。

世の中には、
70歳、80歳でバリバリ働いている人は
いくらでもいる。

自分で「引退する」と決めるまで、
70歳だろうと、80歳だろうと、
90歳だろうと働くことは可能だ。

生活費程度を稼いでいれば、
年金なんていらないかもしれない。

年金をあてにしないで、
自分の生活費を稼ぎながら
生涯現役の人生を送るのが
理想だと思う。

◆「安泰」「安心」という言葉は怪しい

明日のことなど誰にもわからない。

大企業だってつぶれるし、
企業年金だってどうなるかわらない。

「安心だ」と思い込まされているだけだ。

安心や安全を保証できる人など
どこにもいない。

明日、急に病気になって
倒れるかもしれないわけだから、
安心、安全は確かなものではない。

「これで安泰だ」とか
「老後も安心だ」という
根拠のない情報を信じて
今を我慢するのではなく、
「生きている今、
この瞬間が嬉しい」
という状態になれないといけない。

ゴールを目指した生き方をしている人は、
今、この瞬間が嬉しくなる。

嬉しさを先延ばしする必要などないのだ。

将来のことなど誰にもわからないのだから、
今、この瞬間に嬉しい、楽しい、
気持ちいい、すがすがしい、幸せ、
という気分を感じられるほうがいい。

そう感じることができるのは、
ゴールに向かって生きている人だけだ。

◆ルールを決める側になるか、ルールに従う側になるか

マサチューセッツ州の小さな町で、
タバコの販売を規制したところ、
町中で大問題になって住民投票に
かけられたことがある。

住民投票の結果、
禁止した規制は廃止され、
タバコの販売は再び認められた。

この町の人たちは、
ほとんどの人がタバコを吸わないという。

自分たちが吸わないのだから、
タバコは販売禁止にしても
何の問題もないはずだが、
自治体が勝手に決めたことが
住民の逆鱗に触れた。

「お上にそんなことを言われる
筋合いはない。オレたちに聞いてから決めろ」
ということなのだ。

タバコを規制することですら、
役所が勝手に決めると住民が怒って、
住民投票にかけて変更する。

「お上が決めたことだから従う」
ではなく、
「オレたちが決めることだ」
と考えるのが民主主義の基本原則だ。

そのことを日本の小学校では
教えていない。

中学でも、高校でも、大学でも
教えてない。

社会人になっても
教わることはない。

会社の決めたことを受け入れることが
良いことだと教えられる。

会社が副業を禁止してのは
良い例である。

そうやって大人になってしまったのだとしたら
「奴隷化」の度合いはかなり進んでいる
と見ていい。

生き方を変えたいなら、
そこに気がつかないといけない。

◆与えたれたもので満足するか、与える側になるか

大学を出てすぐに創業することが
良いことかどうかは一概に言えないが、
ハーバードやスタンフォードの
トップクラスの優秀な人たちは、
大企業には行かずに、
自分で創業しようとする。

これこそが、民主主義であり、
資本主義である。

他人の足を引っ張って平等にするのではなく、
自分の力で道を切り開こうとすることが、
民主主義の大前提である。

一方、日本の子どもたちが
「公務員になりたい」などと言うのは、
「権力と金を他人から与えてもらいたい」
と言っているのに等しい。

官僚の権力というのは、
他人から与えられた権力だ。

官僚が動かしている税金も、
他人から与えられえたお金である。

日本の子どもたちの憧れの職業が、
そんな官僚=公務員だということは、
つまり、日本では
「他人から与えられた権力やお金」を
前提にする生き方が子どもたちの目標になっている、
ということである。

これは本来の民主主義の発想とは
まったく違う考え方である。

他人に自分の運命を委ねるのは、
まさしく「奴隷」のような生き方である。

◆アメリカの学校では授業中に堂々と飯を食っている

日本人は驚くと思うが、
アメリカの学校では、
授業中に堂々と飯を食っている
生徒がいる。

先生は誰も注意しない。

むしろ、それを容認している。

朝食を食べてこなかった生徒が、
腹ペコのまま午前中の授業を受けるより、
糖分をとってから授業を受けたほうが
効率的に授業ができると考えているのだ。

だから、日本の早弁のように、
授業の合間に隠れてコソコソ食べる
必要はない。

授業を受けながら堂々と朝食を
食べていても、注意されることはない。

アメリカの考え方は、
「朝食抜きのほうが子どもにはよくない」
というものだ。

アメリカの文化がすべて良いわけではないが、
まわりに流されない。

自分が正しいと思ったことは
誰が何と言うと貫ける点は、
日本よりもはるかに良いと思う。

◆ノット・ノーマル(Not Normal)な生き方とは

“Not Normal”な生き方とは、
“Abnormal”な生き方をせよ、
ということではない。

「非凡に生きよ」
「脱常識で生きよ」

ということである。

けっして

「異常に生きよ」
「変態的であれ」
「非常識になれ」

ということではない。

◆民主主義 VS 資本主義

民主主義と資本主義というのは、
本質的には矛盾するものだ。

資本主義は頑張った人が金持ちになる
世界であるのに対して、
民主主義は多くの人の幸せを目指す
世界である。

だから、矛盾するのは当然だ。

資本主義を追求していくと、
頑張った人から幸せになっていく。

一方、民主主義の基本は、
多くの人が平等に幸せになっていく
ことにある。

この両者は矛盾するものなので、
いかに両立させるか、
どんなバランスにするといいのか、
国家も個人もいろいろ模索している。

どうやって資本主義のゴールを追求するか、
どうやって民主主義のゴールを追求するか、
いかにして両者のバランスを取っていくか…

それを追求するために学ぶのが
「知識」である。

基礎となる知識を大学までに学び、
社会人になってからは、
実践しながらさらに知識を学んでいく。

◆サラリーマンとは自分の生き方を考えてはいけない世界である

一般的に言ってサラリーマン社会は、
自分のゴールとか、生き方とか
そんなことは考えてはいけない世界だ。

なぜか?

そんなことを社員に考えられたら、
会社の「奴隷」にできなくなる。

優秀な「奴隷」にしていくためには、
入社した瞬間から
「上司に相談せよ。一切、自分で勝手に
判断してはいけない」と教えて、
言いなりの人間になるように染めていく。

だから入社して3年も経つと、
みんな「ふつうの人」になってしまう。

◆40歳までは搾取され、40歳からは搾取する側になる

これまでの日本のサラリーマンの給与体系は、
40歳くらいまでは会社に搾取され、
40歳から搾取する側に回る。

40歳までは給料を抑えられ、
40歳くらいから給料が上がっていく。

そして50歳代でピークを迎え、
60歳からは給料が下がる。

なぜこのような給与体系になっているのか
といえば、20代、30代で会社を辞めさせない
ためだ。

どの会社も20代後半から30代の現場の
社員に稼いでもらっている。

彼らの給料を低く抑えることができれば、
会社は儲かる。

会社としてはこの年代の社員に
辞められると非常に困る。

だから、
「あと10年我慢すれば、
おいしい時代が来るよ」
と言って我慢させるわけだ。

◆会社に入って3年に「ふううの人」になる

サラリーマンの場合、
会社に入って3年も経ったら、
「ふつうの人」。

大学時代にどれだけ一生懸命に
専門的なことを勉強しても、
日本企業では間違いなく3年で
ふつうの人になる。

日本の会社はそういう
仕組みになっている。

ここで「ふつうの人」と言うのは、
自分の本来のゴール(夢・目標)を
目指さずに、会社の「優秀な奴隷」になる
ように洗脳されていってしまうという意味だ。


◆なぜ40歳まで20年間も勉強する必要があるのか

それは「奴隷にならないため」である。

あなたの人生を「奴隷」として終えるのか、
それとも「主人公」として終えるのか。

そこが重要なところなのだ。

「40歳から差がつく生き方」とは、
「奴隷として生きるか、否か」である。

◆アメリカ式経営もダメ、日本式経営もダメ

日本では、ひとつの部門に配属されると、
その部門で抜擢されて引き上げられていく。

経理なら経理畑でずっと上がっていくから、
他の部門をまったく経験していない人は多い。

ひとつの事業部の中で上がっていくから、
他の部門をまったく経験していない人は多い。

一方、アメリカの場合、
社長業だけを学んで大企業の社長になっていく。
ビジネススクールで経営学を学び、
MBAを取って、GEなどの大企業に入る。

だが平社員として下積みするわけではない。

大企業の社長になる人は、
小さな会社で若いころから社長業をやり、
社長業だけをしてスパイラルで上がっていく。

以前は、このシステムがうまくいっていた。

だが、今はそういう時代ではない。

各業種の現場の細部の情報まで
持っている人でないと成功できなく
なっている。

抽象的な例は、アップル創業者の
ステーブ・ジョブズだ。

彼はパソコンを組み立てるところから
始めている。技術やデザインの細かい
ところまですべて熟知して経営していた。

ジョブスの後任となった、ティム・クック社長は、
現場上がりでいろいろな部門を回っている。

IBM、コンパックなどを経てアップルに入っているが、
それらの会社で現場の知識と抽象度の高い能力の
両方を身につけてきた。

そのうえ、アップルでも現場を回って細かい
知識も身につけたから、アップルの経営ができている。

◆最低20年間は勉強しないと知識量として不十分

抽象度の高い「全体」と、
抽象度の低い「部分」が双方向性を持ち、
両方の情報を持たなければいけない時代だから、
リーダーになる人に必要とされる情報量は膨大だ。

日夜どんなに真剣に勉強を重ねても、
5年、10年の蓄積では情報量がまったく足りない。

だから勉強期間は、最低20年は必要だ。

20歳前後から学び始めて、
40歳くらいになってようやく
一通りの情報が蓄積され、
リーダーとしての仕事が可能になる。

つまり、大学生のときから40歳くらいまでは
真剣に学び続けなければいけないということだ。

逆に言えば、
40歳まで一生懸命に学んでこなかったのに、
40歳以降も勉強できないような人は、
もう終わりである。

◆専門分野だけ知っているだけではダメな時代

たとえば医者の場合、少し前までは、
診療科ごとの専門性が最も大切だった。

心臓、消火器、脳など臓器の専門家で
あればよかった。

しかし、それらの臓器はみな連動している
わけだから、自分の診療科だけでなく
隣の診療科のことまで詳しく知っていないと、
本当に優れた医療ができない。

「統合医療」と呼ばれているが、
診療科ごとに専門家であればよかった
時代はもう終わりつつある。

部分と全体は双方向性を持っているから、
学ぶべき知識量は圧倒的に増えている。

◆MBAの経営知識だけでは、もう経営できない

「ハーバードMBA」がもれはやされている
時代もあったが、今はアメリカでも
「ハーバードMBAでは、経営できない」
と言われている。

なぜか?

世の中の情報量が
圧倒的に増えているからである。

現代は、抽象度の高い情報から、
現場の細かい情報まですべてを知らないと、
抽象度の高い的確な判断ができない。

だから、ハーバードMBAで
経営のことだけ学んでも、
まったく役に立たない時代になった。

◆40歳までは「お勉強」期間

人生100年時代には、
40歳くらいまでは「お子さま」
と言っていい。

お子さまだから「お勉強」を
しなければならない。

40歳を超えると、
「そろそろお勉強を終えて、
仕事をしようね」
という年代になる。

今は、膨大な知識量がないと
生き抜いていけない時代だ。

知識量の少ない人はろくな仕事ができない。

19世紀までは「情報」といっても、
大した量ではなかった。

だが20世紀、新聞などのメディアも
急速に発達して、
情報量は格段に多くなった。

さらに現代、インターネットの普及により、
さらに情報量は増している。

毎日、毎日、急激に情報量が増えて、
世の中が動いている。

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