人間にとって健康とは何か

人間にとって健康とは何か by 斎藤 環

斎藤 環

1961年岩手県生まれ。
筑波大学医学専門学群(環境生態学)卒業。
医学博士。
爽風会佐々木病院診療部長を経て、2013年より筑波大学社会精神保健学教授。
専門は思春期・青年期の精神病理学、および病跡学…

近年、
医学界では健康の考え方にパラダイムシフトが起きている。

病気の原因を探る「疾病生成論」から、
健康の原因を探る「健康生成論」へ。

そこで人間が「健康」であるとは、
どういうことか…

「病気の原因を探る」理論は時代遅れ、
ヒトラーは凄まじく「健康度」の高い人物、
「幸福の法則」はほんとうに存在する…

現代医療の最先端を俯瞰しながら、
「健康」と「幸福」に潜む逆説を鮮やかに読み解く!

目次

第1章 現代医学の大転換―「健康生成論」の時代
第2章 「心の健康」尺度の筆頭格・SOCとは?
第3章 SOCの首尾一貫性、レジリエンスの柔軟性
第4章 「悪」のレジリエンスと日本のヤンキー文化
第5章 なぜ日本文化のレジリエンスは高いのか
第6章 レジリエントなシステム・三つの特徴
第7章 「失敗の本質」に学ぶレジリエントな組織
第8章 「ひきこもりシステム」のレジリエンス
第9章 混乱期には「病んだリーダー」が活躍する
第10章 レジリエンスを高める「幸福の法則」
第11章 ポジティブ心理学―幸福からウェルビーイングへ
第12章 「健康」と「幸福」の関係に潜むパラドクス

人間にとって健康とは何か

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MEMO

人間にとって健康とは何か

◆健康と幸福について

私たちは「幸福」については語るが、
「健康」についてはあまり語らない。

もっと正確にいえば、
私たちは健康法やサプリで
「健康になること」は好んで語るが、
「健康であること」については語らない。

なぜか?

「戦争」と「平和」に
たとえると分かりやすい。

戦争は「過程」であり、
平和は「状態」である。

これは「なぜ平和が維持しにくいのか」
ということの説明として、
非常に説得力がある。

戦争とは、
始まりと終わりがある
「期限付きのプロセス」である。

「勝利のため」という一点に
気持ちを集中させやすく、
それ以外のことは単純化されやすい。

一方で、平和は「状態」だ。

輪郭もなく、曖昧で、
目的があるともないともいえない。

なぜ平和がよいのか尋ねられても
「だって平和のほうがいいに決まっている」
としかいえない。

ここで「戦争」を「幸福」、
「平和」を「健康」に置き換えてみる。

すなわち幸福は「過程」であり、
健康は「状態」である。

幸福は過程であるがゆえに雄弁に
語られるが、
健康は状態であるがゆえに語る
言葉に乏しい。

べつの言い方をするなら、
幸福は過程だからこそ
「上限」がなく、
健康は状態だからこそ
定常状態がある。

「世界一幸せです!」
と同じニュアンスで
「世界一健康です!」
と言う人はまずいない。

私たちが健康に無関心になるのは、
それが「平和」と同じ定常状態と
感じているからだ。

だから健康は幸福以上に、
「失って初めてその価値に気づく」
ものなのである。

幸福を「過程」として捉えるかぎりは、
それは決して安定的な所有物たりえないが、
「状態」として捉えることで、
誰もが手に入れられるものとなる。

過程としての健康を求め、
状態としての幸福を享受する。

この姿勢こそが、
健康と幸福のもっとも安定した
関係といえる。

◆マインドフルネス瞑想法とは

「注意集中力」を高めるための
トレーニングを体系的に
組み立てたものである。

これは、
アジアの仏教にツールを持つ
瞑想の一つの形式を基本としている。

注意を集中するということは、
「一つひとつの瞬間に意識を向ける」
という単純な方法である。

この力は、
今までまったく意識していなかったことに、
意識的に注意を払うことによって高まる。

つまり、「マインドフルネス瞑想法」は、
リラクセーション(緊張がゆるみ、
安らいでいる状態)や注意力、
意識、洞察力をもたらす潜在的な
能力を活かして、
自分の人生を上手に管理する
新しい力を開発するための
体系的な方法である。

◆幸福とお金の関係

富と幸福度には必ずしも
相関関係がないことがわかっている。

もちろん貧しい状態から
収入が増えれば幸福感は増すのだが、
ある金額で頭打ちになるということだ。

具体的には、年収が約800万円を超えると、
それ以上収入が増えても幸福感は
ほとんど増えない。

これを「イースタリンの逆説」という。

たとえば、
宝くじに当たったとしても
短期的には幸福感が増すが、
長くは持続しない。

食べるに困らないだけの、
そこそこの収入があれば、
あとは条件次第で人は
いくらでも幸福になれる。

◆人生には、2つの道しかない。

ひとつは、軌跡などまったく存在しない
かのように生きること。

もうひとつは、
すべてが軌跡であるかのように
生きることだ。

◆ひきこもりシステム

何らかのきっかけで子どもがひきこもる。

そんな子を見て、
家族の不安と焦燥感が高まる。

不安になった家族は本人に対して
プレッシャーをかけ、
叱咤激励を試みる。

しかし残念ながら、
このような働きかけは、
本人にとっては逆効果となる。

本人は家族の無理解ぶりに対して
不信感をもち、
コミュニケーションを断って
ますますひきこもってしまう。

するといっそう、
家族の不安がつのる…

しばらくはこうした悪循環が続く。

一連の対応や反応は、
すべて「まとも」なものである。

わが子がひきこもって
両親が不安になるのも、
不安から叱咤激励に走るのも、
叱られてますますひきこもるのも、
異常で病的な態度や反応とはいえない。

みんながまともに反応しているにも
かかわらず、
事態がどんどんこじれていくところに、
ひきこもり問題の難しさがある。

個人の社会活動を、
個人、家族、社会という3つのシステム
の作動の組み合わせから考えてみる。

3つのシステムは通常、
互いに接点を介してコミュニケートし、
影響を及ぼし合っている。

「ひきこもりシステム」とは、
個人、家族、社会それぞれの
システム間でコミュニケーションが
成立しない状態を指している。

すなわち、
ひきこもり当事者と家族が断絶し、
家族はそのことを誰にも相談できずに
抱え込んでいるような状態である。

この状態を「ひきこもりシステム」と
呼ぶには理由がある。

このシステムは、しばしば病理的である
にもかかわらず、きわめて安定性が高い。

安定性が高いというのは、
たんに放置してもそのままの状態を保つ、
という意味だけではない。

外部からさまざまな治療的介入がなされたと
しても、システム内部にすぐ反作用が生じて
無効化されてしまう、という意味だ。

たとえば、家族がふと思い立って専門家
のもとに相談に通うとする。

これは家族が社会と接点をもつことを意味する。

しかし残念ながら、この相談そのものが
なかなか続かない。

すぐに効果が出ないからだ。

家族と本人の接点についても同様である。

両親が懸命に働きかけても、
本人が応じてくれなければ、
その徒労感で家族は働きかけを
やめてしまう。

その意味で「ひきこもりシステム」は、
きわめてレジリエントだ。

このシステムが破綻するのは、

1)経済的に立ち行かなくなった
2)家族個人の寿命が尽きた
3)本人がひきこもりをやめた

ときである。

望ましいのは(3)だが、
可能性が高いのは(1)と(2)だ。

しかし、(1)と(2)は、
どんなレジリエントな家族にとっても
起こりうることである。

◆レジリエンスとは?

「抵抗力」「復元力」あるいは
「抗病力」などと訳されることもあるが、
要は外的なストレスを跳ね返し、
ときには成長の糧とするような
潜在的な力を指す言葉である。

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