投資家が「お金」よりも大切にしていること

投資家が「お金」よりも大切にしていること by 藤野 英人

藤野 英人

投資家。ファンドマネージャー。

1966年富山県生まれ。

早稲田大学卒業後、野村證券、JPモルガン、ゴールドマン・サックス系の資産運用会社を経て、2003年にレオス・キャピタルワークスを創業。
取締役・最高運用責任者(CIO)として、成長する日本株に投資する「ひふみ投信」を運用し、高パフォーマンスを上げ続けている。
「お金」や「投資」を通して、株式会社や日本社会、世界経済のあるべき姿を模索し続けている。
次世代への投資のため、明治大学商学部の講師も長年務める…

著者が投資家として
20年以上かけて考えてきた
「お金の本質とは何か」の結論を一冊に凝縮!

お金について考えることは、
自らの「働き方」や「生き方」を真剣に考えることと同義である。

若いうちにお金の見方が変われば、
自分の人生や社会に対する見方も大きく、
良い方向へと変わっていく。

お金の本質を全く考えずに良い人生を歩んでいくのは、
現実的に不可能である。

カネの話は汚い、
金儲け=悪だと思っている人は、
世の中について何も知らないことを、
自らさらけ出しているのかもしれない。

目次

第1章 日本人は、お金が大好きで、ハゲタカで、不真面目(8割の学生が「お金儲け=悪」
日本人は世界一ケチな民族 ほか)

第2章 日本をダメにする「清貧の思想」(バットマンはなぜ「かっこいい」のか?
日本のヒーローは…公務員 ほか)

第3章 人は、ただ生きているだけで価値がある(経済って、よくわからない…
残業250時間の「ブラック企業」 ほか)

第4章 世の中に「虚業」なんてひとつもない(日本人は仕事も会社も同僚も、あまり好きではない
「会社」とは何か? ほか)

第5章 あなたは、自分の人生をかけて社会に投資している、ひとりの「投資家」だ(投資は、「お金」ではなく「エネルギー」のやり取り
エネルギーの8要素 ほか)

投資家が「お金」よりも大切にしていること

投資家が「お金」よりも大切にしていること

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MEMO

◆従業員に過重労働を強いる
「ブラック企業」を生み出しているのは、
私たち消費者である。

低価格の旅行ツアーが流行るのも、
居酒屋チェーンが朝まで長時間営業しているのも、
時間指定で荷物を配達してくれるのも、
無料で再配達くれるのも、
「お客様のため」と言えば聞こえがいいが、
要は、私たち消費者が求めているからである。

私たちが求めるからこそ、
企業はそれに応えようと頑張るのである。

需要があるから供給が生まれるのであって、
その逆はありえない。

私たちが過剰サービスを望まなければ、
そもそもそういったサービスは
生まれてこないはず。

◆女性がデートで幻滅する男性とは?

レストランの店員などに対して
横柄(※)な態度をとる人である。

なぜか?

それは自分が恋人や奥さんになったときに
される態度だということに、
気づいているからである。

※おうへい(ひどくいばって、人をふみつけにした態度であること)

◆NPOやNGO活動のキモとは?

人に奉仕するために頭を下げ、
罵倒されてでもおカネを集めることである。

ここを理解していない人が、
いかに多いことか。

だから、NPOやNGOを始めても、
勝手に幻滅して、すぐに辞めていく…

◆政府の役割とは?

雇用の創出ではなく、
雇用を生む起業家にインセンティブ(※)を
与えることだ。

※報酬など、人の意欲を引き出すために外部から与える刺激。

◆社長とは?

「お客さんの代理人」である。

供給者目線ではなく
お客さん目線で大号令するのは、
強い権力を持っているからこそできる
社長の役割である。

◆じつは日本のファンドの90~95%くらいが、
良い企業を選ぶという本来のファンドではなく、
東証株価指数をベンチマークにした
「ミラーファンド」となっている。

なぜか?

大手の資産運用会社の担当者は
サラリーマンなので、
サラリーマンとしてのリスクを背負って運用する。

つまり、お客さんのおカネが増えるかどうかよりも、
サラリーマンとして怒られないかどうか、
という観点で運用する。

東証株価指数と同じ動きであれば、
もしおカネが減ったとしても、
東証株価指数も落ちているから、
と言い訳ができる。

責任も回避できるし、
クビになることもない。

◆あなたの会社にもこんな上司いませんか?

部下:

お客さんのことを考えて、
自分が伸びると思う会社に投資しないと、
いい成績なんて出せないんじゃんないですか!

上司:

お前も若いな。

べつに運用成績で君の成績が
決まっているわけじゃないんだから、
もっと大人になれ。

君もよく知っている○○先輩は、
いい成績を5年間上げ続けたけれど、
1年間失敗しただけで、
親会社関連の北海道の○○支店で、
吹雪のなか、不得意な営業の仕事を
やらされることになっただろう?

そういうふうになるんだよ。

君のためを思ってアドバイスするけど、
どんなにいい成果を出しても失敗することがあるから、
とにかく、他のファンドを見て、
みんなと同じにすればいいんだよ。

そうすれば、とりあえずビリにはならない。

ビリにならないように生きていけば、
給料は上がっていく、
そこそこの生活もできる…

◆「給料は安いけど、
うちの会社だと成長できるから問題ない。
将来の君のためになる」
などと言う経営者は、不真面目である。

一見、従業員のことを考えているようで、
実は自分が得する(経営的にラクになる)
ことしか考えていない。

◆人は生きているだけで価値がるのと同様、
世の中のすべての会社や仕事には大きな
価値がある。

◆エネルギーの8要素

エネルギー =
情熱×行動×時間×回数×知恵×体力×おカネ×運

◆「運」について…

「人事を尽くして、天命を待つ」
という言葉があるように、
最後の最後は天命というか、
運が支配する。

絶対にうまくいくと思っても
失敗することがあるし、
ダメだと思っても
うまくいくことがある。

そういう意味では、
しょせん運次第である。

そのように考えることで、
自分のできることを
情熱・行動・時間・回数・知恵・体力・おカネ
のすべてをかけて一生懸命やったうえで、
勝っても傲慢にならず、負けても腐らない
マインドが持てるうようになる。

そこが重要なのである。

運に対する考えがないと、
努力して失敗したときに大きな失望感を
抱くことになるし、成功したときには、
他者に対して「おまえが失敗したのは
努力が足りないからだ」
と短絡的に断定するようになってしまう。

◆日本人に欠けていること…

それは、「消費」と「生産」と「投資」の
イメージが一体化していないことである。

おカネがエネルギーの一種であり、
いろいろなところを流れていることに
無頓着であるがために、
あるときは消費者の視点だけになり、
またあるときは生産者の視点だけになってしまう。

そして、投資家としての視点は抜け落ちている。

人間の目や耳がなぜ2つずつあるかといえば、
それは立体的に見聞きするためである。

奥行きをもって世界を見るため、
と言ってもよい。

それと同じで、私たちは「おカネ」を通して、
もっと社会のことや自分の人生を立体的に、
奥行きのあるものとして見なければならない。

あなたはいま、
何に投資していますか?

あなたは、自分の人生をかけて社会に
投資している、ひとりの「投資家」なのである。

◆就活の心得!

就活は、会社の知名度や規模、
ましてや給料などではなく、
「真面目かどうか、成長しているかどうか」
で会社を選ぶこと。

日本人は歴史的に見ても、
安定を保証されていないと力を発揮できない。

安定が大前提で、
最初に安定を与えないと頑張れないのが
日本人のメンタリティーである。

だから学生も、自分が成長して大きくなったり
するよりも、なるべくボラティリティー(変動性)
のない会社や業界に入ろうとする。

すなわち、イメージとして「安定している」
大企業や知名度の高い会社に向かう。

だが、実際にはそういう会社は成長が
止まっていることが多い。

長期的に見れば変動性がきわめて高い
(将来、事業が縮小したり潰れたりする可能性が高い)
という、皮肉的な状況になってしまう。

真の安定とは、変動・変化をしないことではない。

変化と向き合い、変化をチャンスと捉え、
変化(成長)を望んで、実際に動くこと。

要は、変化こそが安定なのである。

ところが、ほとんどの人は
その逆を信じてしまっている。

動かないことや、
ずっと同じことをやり続けることが安定だと。
◆寓話「谷底の神父」から学ぶ!

ある谷底に教会があった。

その教会の神父は、何十年もその地域のために
お祈りを捧げていた。

あるとき、何百年に一度という大洪水が起こった。

どんどん水があふれてくる。

村人が教会にやって来て、
(1)神父さん、早く逃げましょう。
山のほうに行けば助かります」と言った。

しかし、神父は「大丈夫です。
私ずっと神様を信じていますから、
絶対に奇跡が起こります」
と言って谷底の教会に残り、
お祈りを続けた。

ところが、洪水の水は一向に引く気配がない。

ついに水が教会の敷地内にまで入ってきた。

すると、ボートに乗った村人が教会にやってきて、
(2)神父さん、危ないです。このボートに乗って逃げましょう
と助けに来てくれた。

それでも、
「いや、大丈夫です。必ず神様が助けてくれますから
心配しないでください」と神父は言って、
屋根の上で祈りを捧げた。

いよいよ、水が屋根まで上がってきた。

神父は屋根の先端の十字架の上まで昇って、
祈りを続けた。

今度は、村人がヘリコプターに乗って、
神父を助けにきた。

縄ばしごを垂らして、神父に
(3)神父さん、死んでしまうから、
はしごにつかまってください!
本当に助けたいんです!
と懇願した。

しかし、神父は「大丈夫です。
いまはこういう状況ですが、
必ず神様が助けてくれます」
と言って、村人の助けを断った。

結局、神父は死んてしまった。

何十年も祈りを捧げていたので、
天国に行けることになったが、
天国の入り口で神様に尋ねた。

「私はずっと神様のためにお祈りをしてきたのに、
どうして奇跡は起きなかったのですか?」

すると、神様は答えた。

「3回も助けてやったぞ」と。

要するに、奇跡は人が起こすものだということである。

神父は神様のことを信じていたけれど、
人のことは信じていなかったのである。

同様に、多くの日本人は、
自分と自分のおカネは信じているが、
他人のことは信じていない。

まわりの人が信用できず、
世の中は敵だらけだと思っているので、
社会のなかでお互いに助け合いながら
自分が生きているとは、
とても思えないのである。

そういう世界観を持てないのだ。

そういう、つながりがなく奥行きもない
「閉じた世界」では、
他人や社会を信じ、自分が主体的にエネルギーを
投入することによって、明るい未来をつくる、
未来が明るくなることで自分の人生も明るくなる、
といった「自他不二」「互恵関係」的な発想は、
なかなか生まれてこない。

投資の果実=「資産形成」×「社会形成」×「こころの形成」

◆あなたは投資家である!

日本の未来が暗いと言う人は、
あなた自身が日本の未来を暗くしているのである。

自分の将来を悲観的に感じている人は、
あなた自身が自分のことを信じていないのである。

信じたくでも、
信じることができないのである。

あなたは、
自分の人生をかけて社会に投資している、
ひとりの投資家なのだ。

そのことを忘れないでほしい。

あなたには、
「おカネ」よりも信じられるものが
ありますか?

あなたには、
「おカネ」よりも大切なことが
ありますか?

◆「失われた20年」のウソ!

巷では「失われた10年」とか
「失われた20年」とか言われている。

「失われた○○年」という表現は、
日本経済の停滞を表すものとして、
一般化・常識化した言葉である。

まるで、自分とはなんの関係もないことが原因で
日本の経済がダメになってしまったかのように
「受動態」で語られている。

自分が被害者だとでも思っているのか?

「失った○○年」というなら理解できる。

自分たちの責任を明確にすることは、
次の時代を切り開く活力になる。

実は、「失った」とは思っていない。

なぜか?

2002年12月から2012年12月までの
株価を見てみると。

たしかに、TOPIX(東証株価指数)は2%程度の上昇で、
ほとんどフラット。

世界の経済や株式市場が大きく上昇し、
成長していることを考えると、
「失われた(失った)10年」と言っていいかもしれない。

では次に、同時期の東証2部の株価を見てみると…
なんと10年間で67%のプラスになっている。

もし10年前に100万円投資していたら、
167万円になっていたことになる。

これは、プラス2%だったTOPIXとは65%、
マイナス24%だった「TOPIX CORE 30」とは91%もの差になる。

同じ100万円を投資していたら、
10年で91万円も違っていたのである。

規模が小さく社歴の浅い会社は、
国が守っていくれることもなく
自立して生きなければならないので、
危機感が強く、必死で頑張る会社が多い。

その頑張りが成長につながり、株価を上げている。

要は、元気な中小企業がたくさんあるということ。

同様に、東証一部の株価ではなく、
会社数に注目してみると、
実は66%の会社の株価が上昇している。

TOPIX全体で株価が2%しか上昇していないのに、
全体で70%の会社の株価は上がっている。

なぜこういう「不思議な現象」が起きるのか。

そのカラクリは、時価総額の計算方式にある。

会社の時価総額は、
会社の株数と株価を掛け合わせたもの。

東証一部のすべての会社の時価総額を足したものが
TOPIXだから、どうしても時価総額の大きな会社の
影響を強く受けてしまう。

つまり、時価総額の大きな東芝のような
大企業の株価が下がると、
それだけで全体を表すTOPIXの数字も下がってしまう。

簡単に言えば、TOPIXが2%しか上昇していないのは、
日本の大企業がダメだからである。

実はその裏側で、東証一部に上場している
中小企業は成長していたのである。

株価が上がった約70%の会社を見てみると、
平均して毎年7%ずつ利益が出ている。

この7%という数字は、10年で利益が倍になる。

日本の東証一部に上場している会社の7割は、
この10年間で利益が倍になっている。

利益は株価とほぼ同じように動いていて、
実際には株価は約2.1倍になっている。

利益においても株価においても、
高度成長期並の成長をしている。

そういう状況にもかかわらず、
全体を指して、「失われた10年」とか
「失われた20年」と言うのは、
どう考えてもおかしい。

成長している会社からすれば
「ふざけるな!」と思うのではないか。

日本経済の足を引っ張っている
「日本経団連」の会長と副会長は
何名いるか知っているか?

会長はひとりだが、副会長はなんと18名もいる。

この18社のうち、
最近10年間(2002年9月~2012年9月)で
株価が上がったのは、たったの6社にすぎない。

残りの12社は、株価が下がっている。

そのような人たちが日本の経済界のリーダーなので、
「この10年間、日本はダメだった」と言うに決まっている。

「日本は良かった」と言ってしまったら、
自分の経営者としての無能さを世間に
さらけ出してしまうことになる。

環境のせいにしなければ、
「お前らバカじゃん!」と言われてしまう。

要するに、日本の10年間もしくは20年間を
「失わせた」張本人は、日本の大企業なのだ。

そして、私たちの年金資金はこれらの大企業に
大量に投資されている。

◆日本人は「アリとキリギリス」のアリにそっくり

日本人は「清貧の思想」を後生大事にして、
汗水たらして真面目に働いたおカネにだけ価値があって、
投資や金儲けでラクに稼いだおカネは汚く、
価値がないと考えている。

おカネ持ちは悪いことをしてお金持ちになったと
思っているだけでなく、お金持ちは自分のおカネや
さらなるお金儲けのことしか考えていないと
思い込んでいる。

そうした姿を見て、イメージするのは、
せっせと働いて食糧を蓄える
「アリとキリギリス」のアリの姿である。

ただ、この有名なイソップ童話は、
真面目に働くことの大切さや、
冬(ピンチのとき)を見越して備えよ、
といったメッセージを説いているように見えて、
実はそんな生易しい話ではない。

あらためて、物語のあらすじをたどってみると…

「夏の間、アリたちは冬の食糧を蓄えるために
働き続け、キリギリスはバイオリンを弾き、
歌を歌って過ごす。やがて冬が到来して、
キリギリスは食べ物を探すが見つからず、
最後にはアリたちに乞い、
食べ物を分けてもらおうとするが、
アリは『夏には歌っていたんだから、
冬には踊ったらどうだい?』と食べ物を
分け与えることを拒否し、キリギリスは餓死する」

最近では、勝手に改変されて、
「キリギリスが反省したので、
アリは食糧を分けてあげた」みたいな話になっているが、
もともとのイソップ童話はとてもシビアである。

しかしこれ、いまの日本人の姿にそっくりではないか?

事業に失敗した経営者に対して
「おこぎな商売をしていた報いだ、ざまあみろ」
みたいな反応をする人や、
ニートやフリーター、無職の人に対して
「ラクしてたんだから、将来がどうなっても自己責任だ」
などと言う人は、
「夏には歌っていたんだから、
冬には踊ったらどうだい?」
と言うアリと、なんら変わらない。

日本人の、真面目に汗水たらして働くことが尊いという美徳は、
反面的に、そういった働き方をしていない人に対して、牙を剥く。

要は、遊んでいた人は餓死してもいい、
というわけである。

でも、本当にそうか?

最近、生活保護はダメだ、
という論調を目にすることが多くなったが、
すべての人が同じ条件で働くことはできない。

日本の長時間かつ過酷な労働条件のなか、
心や体の問題で正常に働けない人もいるのではないか。

勤労こそ大きな価値があるのだとすると、
年収0円の専業主婦には価値がない
ということになる。

人は、生きているだけで価値がある。

なぜか?

人が生きていくためには
何らかのサービスを受けたり、
食べ物や衣服などを買う必要がある。

これによって、サービスを提供している人や
食べ物や衣服などを生産している人を助けることになる。

つまり、サービスを受けたり、モノを消費することは
社会に貢献していることになる。

したがって、人は生きているだけで価値がある。

社会貢献とは、ボランティア活動や何かを作り出すこと
だけではなく、消費することによっても成し遂げられる。

私たちが働くことにも大きな価値があるし、
私たちが消費することにも同じくらい大きな価値がある。

そういう意味で、
「人は、ただ生きているだけで価値がある」のである。

童話のキリギリスも、アリと同様に社会に貢献しており
価値がある存在なのである。

それを日本人は、
キリギリスは自業自得だと言って助けることをしない。

◆日本人が美徳とする「清貧の思想」

辞書によると、清貧とは
「行いが清らかで私欲がなく、
そのため貧しく暮らしている」
となっている。

ただ、「貧しく」と言っても、
理想的な生き方を実現するために
自らが積極的に受け入れた貧しさであり、
心の貧しさではない。

おカネやモノを貪らない生き方、
物質的な豊かさを捨て去った生き方は美しい。

ところが残念なことに、
この「清貧の思想」は、
本来の思想とはかけ離れた解釈で日本人に
根づいてしまった。

「理念に生きるために、
あえて豊かな生活を拒否する」という思想が、
「豊かになるためには、理念を捨てて汚れてなければ
ならない」という考え方に変わってしまった。

それが「豊かになることは汚れることだ」となり、
「おカネ持ちは何か悪いことをしておカネ持ちになったに
違いない」といった考え方になった。

お金持ち=悪いであり、
悪を倒すどころか、倒される対象となってしまった。

この「清貧の思想」の間違った解釈が
日本をダメにしているように思える。

なぜなら、「貧しいこと」そのものが美しくて
正義であるかのような錯覚に、私たちを陥らせている。

清いことはとてもすばらしい。

でも、そのために貧しくある必要はないし、
ましてや貧しいことそのものは、
正義でもなんでもない。

そういった、間違った「清貧の思想」ではなく、
清らかで豊かになることを目指す
「清豊(せいほう)の思想」こそ、
私たちは考えていかなくてはならないと思う。
◆日本人は世界一「ケチ」な民族

日本人はおカネに対してケチである。

その証拠に、次の問に答えて欲しい。

「アメリカでは、年間で、成人一人あたり約13万円の
おカネを寄付している。それに対して日本では、
成人一人あたり、いくらのおカネを寄付しているか?」

答えは、2500円!

たったの2500円である。

アメリカの、実に52分の1である。

さらに、「日米英における年間寄付額」を比較すると…

▶日本(寄付総額:7000億円、成人一人あたりの金額:2500円、寄付主体の個人比率:36%)

▶米国(寄付総額:34兆円、成人一人あたりの金額:13万円、寄付主体の個人比率:76%)

▶英国(寄付総額:3兆円、成人一人あたりの金額:4万円、寄付主体の個人比率:60%)

となる。

日本人は、アメリカ人とイギリス人に比べて寄付をしない
民族であることが、端的にわかる。

ほとんどの先進国では、家計の2~3%くらいの金額を寄付する。

アメリカは3%。

ところが日本人は、家計のたった0.08%しか寄付しない。

日本は寄付を行わない文化である。

それを文化の違いと単純に考えることもできるが、
日本人はおカネにがめついという事実は間違いない。

もし、個人金融資産の1%を東日本大震災の義援金として
寄付していたら、約14兆円ものおカネが集まったはずである。

ところが、実際に集まった義援金は、数千億円にとどまった。

3.11が起きた2011年の成人一人あたりの
寄付額は6551円と倍増したが、
よくよく考えてみると、
あれほどの大災害・悲劇に見舞われたのに、
例年の2倍しか寄付しないのが、
日本人の本性だと言える。

ちなみに、2倍しか寄付しないというのは、
阪神大震災のときもまったく同じである。

あえて断言すると、日本人ほどケチな民族はいない。

困っている人のために寄付もしないし、
社会におカネを回すための投資もしない。

じゃあ、他の先進国の人たちに比べて、
公共のためのおカネである税金を多く払っているのか
といえば、そんなこともない。

日本の税率は、むしろ低いくらい。

じゃあ、いったい何をしているのか?

日本人は自分のこと、すなわち、
自分のおカネのことしか考えていない。

自分のおカネを現金や預金として守る
ことしか考えていない。

現金・預金を55%も抱えて、
とにかくおカネを1円でも減らしたくない。

もう絶対に減らしたくない。

世の中の人に渡すなんて大損だと思っている。

◆おカネとは、
あくまでも無色透明な概念にすぎない。

ただの数字である。

色がついていないからこそ、
おカネには私たちの考えや態度が
100%反映される。

▶おカネを使って、何をするか?

▶おカネを通して、何を考えるか?

現代社会で生きている私たちは、
生まれてから死ぬまでの間ずっと、
おカネの流れに身を投じて生きている
といっても過言ではない。

おカネを考えることは、
まさに人生を考えることに他ならない。

つまり、おカネについて語ることは、
どう生きるべきかという
「人生の哲学」を語ることでもある。

私たちは、人生のあり方を
おカネに投影している。

多くの人が、
稼いだり・貯めたり、増やしたりした
おカネを「どう使うか」ということに関しては、
あまり語らない。

それは、とても不思議なことである。

おカネはあくまでも概念であり、
誰かと何かを交換するための手段であるはずなのに、
自分がおカネを所有すること自体が
目的になってしまっている人がいる。

私たちの使うおカネは、
単なる交換以上の「大きな意味」を持っている。

だからこそ、
おカネを使って何をするか、
おカネを通して何を考えるか、
ということはとても重要である。

それは、誰かなのためになったり、
誰かを応援することにつながったり、
ひいては、自分の幸福感とも
密接に関係してくる。

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