嫌われる勇気(アドラーの教え)- その10

「人生の嘘」から目を逸らすな

恋人や夫婦の関係では、ある時期を境にして相手のやることなすこと、すべてに腹が立つようになることがある。これはその人がどこかの段階で「この関係を終わらせたい」と決心して、関係を終わらせるための材料を探し回っているから、そう感じるのである。相手はなにも変わっていないのに、自分の「目的」が変わっただけである。

人はその気になれば、相手の欠点や短所などいくらでも見つけ出すことができる。だからこそ、世界はいつでも危険なところになりうるし、あらゆる他者を「敵」と見なすことも可能である。さまざまな口実を設けて人生のタスクを回避しようとする事態を「人生の嘘」と呼ぶ。いま自分が置かれている状況、その責任を誰かに転嫁する。

他者のせいにしたり、環境のせいにしたりすることで、人生のタスクから逃げている。自分に嘘をつき、また周囲の人々にも嘘をついている。あなたのライフスタイル(人生のあり方)を決めたのは、他の誰でもないあなた自身である。我々は自分のライフスタイルを自分で選んでいる。


所有の心理学から使用の心理学へ

アドラー心理学とは…「勇気の心理学」である。さらに、アドラー心理学は「所有の心理学」ではなく「使用の心理学」である。つまり、「なにが与えられているかではなく、与えられたものをどう使うか」である。フロイト的な原因論は「所有の心理学」であり、やがて決定権に行き着く。

一方、アドラー心理学は「使用の心理学」であり、決めるのはあなたである。目的論の立場に立って、自らの人生を、自らのライフスタイルを、自分の手で選ぶ。


承認欲求を否定する

仮にあなたが、金銭的な自由を手に入れたとする。そして巨万の富を得てもなお、幸福になれない。このとき、あなたに残っているのは、どんな悩み、どんな不自由なのか?それは対人関係である。我々はどこに行こうと他者に囲まれ、他者との関係性のなかに生きる、社会的な「個人」である。どうやっても対人関係の頑丈な綱から逃れることができない。

すべての悩みは対人関係の悩みである。いったい、対人関係のなにが我々の自由を奪っているのか?他者を「敵」と考えるか、それとも「仲間」だと考えるか…それによって世界の見え方が変わってくる。対人関係の悩みは、「承認欲求」に集約される。我々人間は、常に他者からの承認を必要としながら生きている。でも、アドラー心理学では、他者からの承認を求めることを否定する。他者から承認される必要などない。むしろ、承認を求めてはいけない。


承認欲求は不自由を強いる

他者の期待を満たすように生きることは、楽である。自分の人生を、他人任せにしているのだから。しかし、自分の道を自分で決めようとすれば、当然迷いが出てくる。「いかに生きるべきか」という壁に直面する。他者からの承認を選ぶのか、それとも承認なき自由の道を選ぶのか。他者の視線を気にして、他者の顔色を窺いながら生きること。他者の望みをかなえるように生きること。これは非常に不自由な生き方である。

どうしてそんな不自由な生き方を選んでいるのか?要するに誰からも嫌われたくないからか?誰からも嫌われないためには、どうすればいいか?答えはひとつしかない。常に他者の顔色を窺いながら、あらゆる他者に忠誠を誓うことである。

もしも周りに10人の他者がいたなら、その10人全員に忠誠を誓う。そうしておけば、当座のところは誰からも嫌われずに済む。しかしこのとき、大きな矛盾が待っている。他者の期待を満たすように生きること、そして自分の人生を他者任せにすること。これは、自分に嘘をつき、周囲の人々に対しても嘘をつき続ける生き方である。

課題を分離することは、自己中心的になることではない。むしろ他者の課題に介入することこそ、自己中心的な発想である。親が子供に勉強を強要し、進路や結婚相手にまで口を出す。これなどは自己中心的な発想以外の何物でもない。不自由な生き方を選んだ大人は、いまこの瞬間を自由に生きている若者を見て「享楽的だ」と批判する。これは、自らの不自由なる生を納得させるために出てきた、人生の嘘である。

その11へ続く…

book86

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