自分の中に毒を持て

自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間”を捨てられるか by 岡本 太郎

岡本 太郎
1911年、東京生まれ。
洋画家。
パリ大学卒業。
在学中、ピカソの作品に衝撃を受け、抽象芸術運動に参加。
帰国後、前衛的な作品を次々に発表、国内はもとより国際的にも高い評価を受ける。
大阪万国博の「太陽の塔」の創作、「芸術は爆発だ!」の言葉はあまりにも有名。
1996年の没後も、独創的な作品は、幅広い世代の支持を受けている。
その超個性派の生き方や遺された言葉は、いまも人々の心の中に生きつづけている…

瞬間瞬間を生きているか?

ほんとうの自分を貫いているか?

「才能なんて勝手にしやがれだ」
「ダメ人間なら、そのマイナスに賭けてみろ」
今も鋭く問いかける、
生涯芸術家岡本太郎からのメッセージ…

目次

第1章 意外な発想を持たないとあなたの価値は出ない―迷ったら、危険な道に賭けるんだ(自分の大間違い
“モノマネ”人間には何も見えない ほか)

第2章 個性は出し方薬になるか毒になるか―他人と同じに生きてると自己嫌悪に陥るだけ(“爆発”発想法
道は一本か、十本か ほか)

第3章 相手の中から引き出す自分それが愛―ほんとうの相手をつかむ愛しかた愛されかた(愛の伝え方を間違えると
“その一瞬”を止める方法 ほか)

第4章 あなたは常識人間を捨てられるか―いつも興奮と喜びに満ちた自分になる(きれいになんて生きてはいけない
頭を遊ばせて世の中を見てみよう ほか)

自分の中に毒を持て

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MEMO

自分の中に毒を持て

◆うまくやろう、
成功しようとするから、
逆にうまくいかない

人生うまくやろうなんて、
利口ぶった考えは、
誰でも考えることで、
それは大変卑しい根性だと思う。

世の中うまくやろうとすると、
結局、人の思惑に従い、
社会のベルトコンベアーの上に乗せられてしまう。

一応世間体はよく、
うまくはいくかもしれないが、
ほんとうに生きているわけではない。

流されたままで生きているにすぎない。

そして非常に悪いことは、
自分はほんとうに純粋にこういうことを
したいと思っているが、
それを世の中は許してくれない、
しかも、
自分はさまざな悪条件の中にあるので、
もし違ったところで生活していれば、
できるかもしれないが、
今の状況では、
というようにやたらに障害の項目を並べたてることだ。

逆だ、
こういう制約の多いところでこそ
自分のしたいことを
するのがほんとうの行動
になる。

むしろ社会や周囲の全部が
否定的であればあるほど
行動を起こす。

ただし、
それが中途半端だといけない。

◆たとえ貧しくても、
社会的に評価されなくても、
無条件に生きている人のほうが素晴らしい

貧しいということは、
苦しいかもしれないが、
逆にその苦しいことが素晴らしい。

だから一般には苦しい生き方をしていると、
自分をみじめに思ってしまうが、
これは大きな間違いだ。

◆成功は失敗のもと

俗に「失敗は成功のもと」という。

そんな功利的な計算ではなく、
イバラの道に傷つくことが、
また生きるよろこびなのだ。

通俗的な成功にいい気になってはならない。

むしろ、
成功は失敗のもと
と逆に言いたい。

その方が、
この人生の面白さを正確に言い当てている。

◆人生には、
世渡りと、
ほんとうに生き抜く道とふたつあるはずだ

ところが、
ほとんどの人間は、
この世をどううまく渡っていくかという
処世的なスジしか考えない。

そして大学に進むということは、
そのためのお守り札
である。

だから、
別に学問がしたいという切実な
願望があるわけではないのだ。

その証拠に、
たいていの学生は大学にはいったとたん、
てきめんに勉強しなくなる。

◆自己嫌悪を乗り越えて、
自分を救う方法がふたつある

まったく自分を無の存在と考えるか、
あるいは徹底的にそんな自分自身を対決の相手として、
猛烈に闘ってやろうと決めるか、
どっちかだ。

◆自分で自分の在り方が
わかってやることなら、
もう乗り越えているはずだ

自分自身にとっていちばん障害であり敵なのは、
自分自身なんだ。

その敵であり、
障害の自分をよく見つめ、
つかんだら、
それと闘わなければいけない。

自分を大事にしすぎているから、
いろいろと思い悩む。

そんなに大事にしないで、
よしそれなら今度から、
好かれなくてもいいと決心して、
自分を投げ出してしまうのだ。

駄目になって結構だと思ってやればいい。

最悪の敵は自分自身なんだから。

◆自分は気が弱い、
怒れない人間だと、
むしろ腹を決めてしまうほうが、
ゆったりして、
人からその存在が
逆に重く見えてくるかもしれない。

◆生きるということを真剣に考えれば、
人間は内向的にならざるを得ない。

また逆に、
自分が内向的なために、
かえって外に突き出してくる人もいる。

だから内向的であると同時に
外交的であるわけだ。

これがほんとうに人間的な人間なんだ。

英雄とか巨きな仕事をした人は、
みんな内向性と外向性を強烈に活かしている。

◆ほんとうに生きるということは、
いつも自分は未熟なんだという前提のもとに
平気で生きることだ。

◆大切なのは、
他に対してプライドを持つことでなく、
自分自身に対してプライドを持つことなんだ。

他に対して、
プライドを見せるということは、
他人に基準を置いて自分を考えていることだ。

そんなものは本物のプライドじゃない。

たとえ、
他人にバカにされようが、
けなされようが、
笑われようが、
自分がほんとうに生きている
手応えを持つことが、
プライド
なんだ。

◆うまくいくとか、
いかないとか、
そんなことはどうでもいいんだ。

結果とは関係ない。

めげるような人は、
自分の運命を真剣に賭けなかったからだ。

自分の運命を賭ければ、
必ず意志がわいてくる。

もし、
意志がわいてこなければ
運命に対する真剣味が足りない
証拠だ。

◆あっちを見たりこっちを見たりして、
まわりに気をつかいながら、
カッコよくイージーに生きようとすると、
人生を貫く芯がなくなる。

そうじゃなく、
これをやったら駄目になるんじゃないかということ、
まったく自信がなくってもいい、
なければなおのこと、
死に物狂いでとにかくぶつかっていけば、
情熱や意志がわき起こってくる。

◆何からようと決意するから
意志もエネルギーもふきだしてくる。

何も行動しないでいては
意志なんてものありゃしない。

◆他に比べて弱くても、
自分は充実して生きている、
これで精一杯だと思えば、
悔やむことも歎くこともない。

人生はひらく。

◆自分を殺せ

自分を殺す、
そこから自分が強烈に生きる。

◆そもそも自分を他人と比べるから、
自信などというものが
問題になってくるのだ

わが人生、
他と比較して自分をきめるなどというような
卑しいことはやらない

ただ自分の信じていること、
正しいと思うことに、
わき目もふらず突き進むだけだ。

◆逆の発想をしてみる

自分は駄目な人間なんだとか、
こうやったらきっと駄目になるだろう、
それならそのマイナスの方に賭けてみるんだ。

つまり、
自分で駄目だろうと思うことをやってみること。

それは、
もちろん危険だ。

失敗に賭けるんだ。

でも、
駄目だと思うことをやった方が、
情熱がわいてくる。

◆人間がいちばん辛い思いをしているのは、
現在」なんだ。

やらなければならない、
ベストをつくさなければならないのは、
現在のこの瞬間にある。

それを逃れるために、
「いずれ」とか、
「懐古趣味」になるんだ。

懐古趣味というのは現実逃避だ。

だから、
過去だってそのときは辛くて逃避したんだろうけど、
現在が終わって過去になってしまうと安心だから、
懐かしくなるんだ。

◆三日坊主でかまわない、
その瞬間にすべてを賭けろ

だから、三日坊主になるという、
「計画」を持ったっていい。

もうひとつ。

いまは駄目だければ、いずれ
と絶対に言わないこと。

「いずれ」なんていうヤツに限って、
現在の自分に責任を持っていないからだ。

生きるというのは、
瞬間瞬間に情熱をほとばしらせて、
現在に充実することだ。

過去にこだわったり、
未来でごまかすなんて根性では、
現在をほんとうに生きることはできない。

◆一杯のコーヒーで何時間ねばってもいい

そういう店でコーヒーを飲んでいると、
必ず、誰か友達がやってくる。

◆人に相談したって仕様がない

まず、どんなことでもいいからちょっとでも
情熱を感じること、
惹かれそうなことを無条件にやってみるしかない。

情熱から生きがいがわき起こってくる。

情熱というものは、
「何を」なんて条件つきで
出てくるもんじゃない、
無条件なんだ。

◆何か、これと思ったら、
まず、他人の目を気にしないことだ。

また、他人の目ばかりでなく、
自分の目を気にしないで、
萎縮せずありのままに生きていけばいい。

これは情熱を賭けられるものが
見つからないときも大切だ。

つまり、
駄目なら駄目人間でいいと思って、
駄目なりに自由に、
制約を受けないで生きていく。

そうすれば、
何か、見つけられるチャンスが
おのずからひらけてくる。

◆自分を大事にしようとするから、
逆に生きがいを失ってしまうのだ。

己を殺す決意と情熱を持って
危険に対面し、
生き抜かなければならない。

◆人生を真に貫こうとすれば、
必ず、条件に挑まなければならない。

いのちを賭けて運命と対決するのだ。

そのとき、
切実にぶつかるのは己自身だ。

己が最大の味方であり、
また敵なのだ。

——————————————-
◆サラリーマンのほんどは悩みを、
多かれ少なかれ持っている

内心では、
もっと別の会社や、
別な道に進みたい希望を持っているんだが、
踏みきれない。

身の安全、
将来を考えて仕方なく
現在の状況に順応している人が
驚くほど多い。

ただ、自分で悩んでいたって駄目だ。
くよくよしたって
それは少しも発展しない悩みで、
いつも堂々めぐりに終わってしまう。

だから決断を下すんだ。

会社をやめて別のことをしたいのなら、
あとはどうなるか、
なんてことを考えないで、
とにかく、
会社をやめるという自分の意志を貫く
ことだ。

何かを貫こうとしたら、
体当たりする気持ちで、
ぶつからなければ駄目だ。

体当たりする前から、
きっとうまくいかないんじゃないかなんて、
自分で決めて諦めてしまう。

愚かなことだ。

ほんとうに生きるということは、
自分で自分を崖から突き落とし、
自分自身と闘って、
運命をきりひらいていくことなんだ。

それなのに、
ぶつかる前から決めこんでしまうのは、
もうその段階で、
自分の存在を失っている証拠じゃないか。

◆よく考えてみてほしい

あれかこれかという場合に、
なぜ迷うのか。

こうやったら食えないかもしれない、
もう一方の道は誰でも選ぶ、
ちゃんと食えることが保証された安全な道だ。

それなら迷うことはないはずだ。

もう食うことだけを考えるなら。

そうじゃないから迷うんだ。

危険だ、
という道は必ず、
自分の行きたい道なのだ。

ほんとはそっちに
進みたいんだ。

だから、
そっちに進むべきだ。

◆人間にとって成功とはいったい何だろう

結局のところ、
自分の夢に向かって
自分がどれだけ挑んだか、
努力したかどうか、

ではないだろうか。

夢がたとえ成就しなかったとしても、
精一杯挑戦した、
それで爽やかだ。

◆失敗したっていいじゃないか

不成功を恐れてはいけない。

人間の大部分の人々が
成功しないのがふつうなんだ。

パーセンテージの問題でいえば、
その99%以上が成功していない。

しかし、
挑戦した上での不成功者と、
挑戦を避けたままの不成功者とでは
まったく天地のへだたりがある。

挑戦した不成功者には、
再挑戦者としての
新しい輝きが約束されるだろうが、
挑戦を避けたままでオリてしまったやつには
新しい人生などない。

ただただ成り行きにまかせて
むなしい生涯を送るにちがいないだろう。

◆ほとんどの人は危険に賭けようとはしない

それは、
今までにこの危険に賭けて失敗した人がいたり、
また危険に賭けない方がいいという
ムードが日本人全体にあるからだ。

このムードに従って、
みんな自分の分限を心得てしまい、
消極的にしか生きていない。

ただマメに働いて、
質よりも量で自分の働きの価値づけを
しようというようなところがある。

◆村人根性

無難な道をとり、
みんなと同じような行動をすること、
つまり世間知に従って、
この世の中に抵抗なく
生きながらえていくことが、
あたかも美徳であるように思われている。

信念をもって、
人とは違った言動をし、
あえて筋を通すというような生き方、
その人にとって単に危険というよりも、
まるで悪魔であり、
また他に対して不作法なものを
つきつけるとみなされる。

◆自分自身の最大の敵は
他人ではなく
自分自身だ

自分をとりまく状況に甘えて
自分をごまかしてしまう。

そういう誘惑は
しょっちゅうある。

だから自分をつっぱなして
自分と闘えば、
逆にほんとうの意味での
生き方ができる。

◆自分らしくある必要はない

むしろ、
「人間らしく」
生きる道を考えてほしい。

「忠実」という言葉の意味を
考えたことがあるだろうか。

忠実の「忠」とは「まめやか、まごころを尽くす」
ということだ。

自分に対してまごころを尽くすというのは、
自分にきびしく、
残酷に挑むことだ。

◆人生に挑み、
ほんとうに生きるには、
瞬間瞬間に新しく生まれかわって
運命をひらくのだ

それには心身とも無一物、
無条件でなければならない。

捨てれば捨てるほど、
いのちは分厚く、
純粋にふくらんでくる。

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