人生を面白くする 本物の教養

人生を面白くする 本物の教養 (出口 治明)

ライフネット生命保険株式会社代表取締役会長兼CEO。

日本生命保険相互会社入社。
企画部や財務企画部にて経営企画を担当。

ロンドン現地法人社長、
国際業務部長などを経て2006年に退職。

ネットライフ企画株式会社を設立し、
代表取締役社長に就任した出口 治明さんの著書です。

教養とは
人生における面白いことを
増やすためのツールである!

また、グローバル化したビジネス社会を
生き抜くための最強の武器でもある。

その核になるのは、
「広く、ある程度深い知識」と、
腑に落ちるまで考え抜く力。

本物の教養は
どうしたら身につけられるのか?

起業家であり、
ビジネス界きっての教養人でもある著者が、
読書・人との出会い・旅・語学・
情報収集・思考法等々、
知的生産の方法のすべてを明かす…

目次

第1章 教養とは何か?
(「自分の頭で考えられる」ことが教養
意見が決められないのは「考え不足」が原因 ほか)

第2章 日本のリーダー層は勉強が足りない
(「この人は面白そうだ」と思ってもらえるか
世界標準では日本の企業幹部は圧倒的に低学歴 ほか)

第3章 出口流・知的生産の方法
(いまさらもう遅い」はサボるための言い訳
「数字・ファクト・ロジック」で考える ほか)

第4章 本を読む
(速読は百害あって一利なし
古典は無条件で優れている ほか)

第5章 人に会う
(相手を人脈としか考えない人は、自分もそう見られている
人間が将来に備える唯一の方法は歴史に学ぶこと ほか)

第6章 旅に出る
(旅こそ最高の遊びにして、教養の源
「マーケット」「若者と女性」を見るのが楽しい街歩き ほか)

第7章 教養としての時事問題――国内編――
(「選挙・民主主義」「お金」「税と社会保障」の知識は不可欠
「公的年金は破綻する」という嘘に騙されてはいけない ほか)

第8章 教養としての時事問題――世界のなかの日本編――
(「幹」と「枝葉」をごっちゃにしているTPPをめぐる議論
「わが国固有の領土」という概念は必ずしも万国共通でない ほか)

第9章 英語はあなたの人生を変える
(「仕事で使わないから英語は不要」という考えは井のなかの蛙
グローバル人材の最低ラインは「TOEFL100点」 ほか)

第10章 自分の頭で考える生き方
(仕事とはあえて言えば「どうでもいいもの」
「てにをは」を正しく書けない人は筋の通った思考ができない ほか)

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MEMO

◆知識は手段、教養が目的

教養を身につけるには、
ある程度の知識が必要である。

教養と知識は、不可欠の関係にある。

しかし、知識はあくまで道具であって手段にすぎない。

決して知識を増やすこと自体が目的ではない。

知識が必要なのは、
それによって人生の楽しみが
増えるからである。

知識はその人の興味の範囲を広げてくれる。

それが「教養化した知識」である。

興味の対象が多ければ多いほど、
本当に自分が好きなものや、
打ち込めるものが見つかる確度が高まる。

つまり、選択肢が広がる。

自分が本当に好きなものは
案外見つからないものである。

面白いことが多いのは
決して悪いことではない。

◆自分の頭で考えられることが教養

教養の本質は、
「自分の頭で考える」ことにある。

勉強の目的は、
「専門のことであろうが、
専門外のことであろうが、
ものごとを自分の頭で考え、
自分の言葉で自分の意見を
表明できるようになるため。
そのために勉強するのである。」

この当たり前のことが、
案外置き去りにされている。

「知っている」というだけでは十分ではない。

知識に加えて、それを素材にして
「自分の頭で考える」ことが教養である。

知識があっても、
自分の頭で考えなければ、
他人の言うことに流されてしまう。

◆「腑に落ちる」ことが大事!

「自分の頭で考える」ときには、
「腑に落ちる」という感覚が大事になる。

とくに最近は安直に「答え」を欲しがる傾向にある。

誰かの話をちょっと聞いただけで、
「分かった」と思うのは安易な解決法である。

立派そうな人の本を読んで、
「なるほど、その通りだな」と思い、
翌日に反対の意見を持つ人の本を読んで
「もっともだな」と思ったのでは、
意味がない。

自分の頭で考えて、
本当に「そうだ、その通りだ」と
腹の底から思えるかどうか
(腹落ちするかどうか)が大切である。

人の話を聞いても
心の底から「分かった」と思えない間は
「そういう考え方もあるんだな」
という状態で保留扱いにしておく。

否定もしない。

結論を急いで「分かった」
と思おうとするのは間違いのもと。

「腑に落ちる」まで
自分の頭で考え抜いているかどうか、
もう少し慎重になるべきである。

「何となく腑に落ちない」という感覚が
少しでもあれば、安易な妥協はせずに探求を続ける。

別の見方を考えてみる、
さらに情報を探してみるなど、
いまでは情報を探る方法はたくさんある。

人間が意欲的、主体的に行動するためには、
「腑に落ちている」ことが必須である。

◆意見が決められないのは「考え不足」が原因

少し難しい政策課題などについて、
世論調査を行うと「どちらとも言えない」という
回答が増えている。

たとえば、TPPなどがそうである。

TPPに参加すべきかどうか聞かれても、
自分の意見をなかなか決められない。

「どちらとも言えない」を選んでしまうのは、
ほとんどの場合「考え不足」が原因である。

その問題に正面から向き合って十分
考えていなかったり、手持ちの情報が少なかったり
するのが原因である。

何でも安易に納得してしまうのも困るが、
「考え不足」で意見が決められないのも困る。

日本人の教養不足の一因は、
このような「手抜き」にある。

端的に言えば、勉強不足である。

わずかな努力を惜しんで、
お手軽な「答え」に乗っかろうとする風潮が強すぎる。

前出のTPPの問題で言えば、
そもそもなぜ、米国が日本にTPPに
加入するように求めるのかを考える必要がある。

TPPに加盟する国の中で日米だけで90%の貿易になる。
したがってTPPといっても実質は日米FTAと同じである。

ところがFTAではなく、
TPPで多国間交渉になると、
米国に有利で日本に不利なことになる。

なぜか?

他国は米国と同じ利害関係にあるからである。

TPPを考えるとき、
ISD条項も問題にすべきである。

ISD条項というのは、
米国の多国籍企業が日本政府を
提訴することができるという条項である。

日本政府の政策や司法による判決によって
米国の多国籍企業が被害を被ったとき
日本を提訴することができる。

問題はそれを審議する機関が米国に
有利になっていることである。

米国に有利なISD条項について
安倍政権はなぜ国民に公開しないのか?

テレビなどのマスコミが
なぜISD条項の問題を報道しないのか?

それは、テレビなどの報道機関や
それを牛耳っている電通の株主が
誰かを調べればその理由が分る。

テレビなどの報道機関や電通の
大株主は米国の1%の資本家なのである。

だから、日本のマスコミは
この1%の資本家が不利になるような
報道は絶対しない。

そういったことを調べていけば
TPPとは本当に日本のためになる協定なのか
それとも1%の資本家のための協定なのか見えてくる。

こういった点を考えれば、
TPPが日本にとってよいことかどうか
自分で判断できると思う。

これが自分の頭で考えるということである。

◆謙虚でなければ教養は身につかない!

古代ギリシャの哲学者、
ソクラテスは「無知の知」を唱えた。

私たちも
「まだまだ知らないことが多すぎる」
「世界は本当に広いのだ」
という自己認識からスタートすべきである。

およそ、謙虚でなければ教養は身につかない。

◆「広く浅く」でなく「広く、ある程度深い」素養が必要

教養を身につけるには、
引き出し(語彙)に加えて、
「広く、ある程度深い知識」が必要になる。

日本では、素人が雑学的にいろいろなことを
知っている場合、よく「広く、浅く」という言い方をする。

専門家の場合は、対照的に「狭く、深く」となる。

でも、グローバル・リーダーは、
どちらとも少し違っていて
「広く、ある程度深い」教養が求められる。

しかも、個別に「狭く、深い」専門分野を持ったうえでの、
「広く、ある程度深い」教養が求められる。

◆重要なのは「自分の意見」を持っていること

「語彙」があって、「広く、ある程度深い知識」
を持っていても、それだけではまだ十分ではない。

それらに加えて、
「自分の意見」を持っていることが重要である。

日本人は、知識自体は豊富でも、
「自分の意見」を言えない人がたくさんいる。

評論家のように語ることはできても、
その問題についてあなた自身はどう考えるのか
が大事になる。

日本には「異論」を論じにくい風潮がある。

周りと同じ意見、同じ考え方のほうが
生きやすいし、摩擦がおきなくてよいと思っている。

しかし、異論が存在できない社会はきわめて不健康である。

「自分の意見」がないことは、
自分の人生の基盤を持っていないことになる。

◆大学生が勉強しない理由(ワケ)

欧米の学生が勉強に意欲的なのは、
大学の学費が高いことも理由のひとつである。

彼らのほとんどは借金をして大学に通っている。

日本では親が学費の面倒を見るのが
一般的であるが、アメリカでは親は学費を出さない。

大学へ行きたければ、
自分で銀行ローンを組むなりして、
学費を捻出しなければならない。

するとどうなるか?

借金をしてまで大学に通っているのだから、
「元を取らなければ何の意味もない」
というインセンティブが強く働く。

必死に勉強し、将来性のある仕事に就いて、
早く借金を返さなくてはいけないという
切実が事情が生まれる。

だから欧米の学生は、必死で勉強する。

一方日本では、
「受験勉強で疲れたので1年目は遊ぶ」
「2年目は就活の準備をする」
「3年目は就活を頑張る」
「4年目は卒業旅行を楽しむ」
「やれやれ、いつ勉強するんだい?」
という5コマの漫画にたとえられる。

おそらく、この漫画のような学生が
結構いるのではないか。

◆「記憶」ではなく、「考え」させる教育とは?

ロンドンの学校では、
12歳くらいの学生に次にような宿題を出す。

『中世に、サセックス地方の裕福な農家へ
嫁いだ女性が書いた日記があった。

その農村を仕切っていた地主が書いた
記録もあった。

それから、19世紀にその時代の農村を調べた
オックスフォードの教授が書いた
「サセックス地方の中世の農家の形態」
という論文もあった。

この3つを読むにあたって、
どういう点に注意すればよいか。』

これが12歳の学生に出された宿題である。

さて、あなたならどう答えるか?

ある学生は、次のように答えた…

『嫁いだ女性が書いたことには嘘がないと思う。

村で起こったことがありのままに書かれているだろう。

でも、自動車も電話もない時代だから、
自分の目で見える狭い範囲のことにとどまっていると思う。

地主の執事が書いた記録は、
おそらく多くの年貢を取りたいという気持ちが
働いているだろうから、作物の収穫量などを加減して
書いている可能性がある。

それを含んで読まねばならないと思う。

それからオックスフォード大学の教授の論文は
客観的なように見えても、どこかで自分の学説に
都合のいいように脚色されている恐れがある。

だから頭から信じないようにしたほうがいいと思う。』

これが、12歳の学生が答えた内容である。

日本では学生に「記憶」させる教育を行っている。

受験がその典型的な例である。

学生に「考える力」をつけさせるというのは、
前出の12歳の学生に出すような宿題である。

日本人が大人になっても
「考える力」が劣るのは
学生時代の教育が問題なのである。

◆自分の頭で考えないほうが都合がいい社会

人間の意識や思考は、
その人が育った直近の20年から30年の
社会のあり方をそのまま反映しているという
学説が社会学にある。

それからすると、
現在の日本人の意識は、
すべて戦後の日本の社会を反映していることになる。

戦後の日本の社会とはどのような社会だったのか。

焼け野原から早く復興して、
先進国に経済で追いつき追い越す
という目標をかかげて、
ひたすらアメリカをお手本にした。

復興への道のりは、
アメリカというゴールが誰の目にも
はっきりと見えていた。

いわば「ルートの見えている登山」である。

ルートが見えているということは、
どこをどうやって登ればよいかが
分かっているということである。

新たに自分の頭で考える必要がない。

余計なことを考えて遠回りでもしてしまったら、
むしろロスが発生する。

つまり、戦後の日本は、
自分の頭で考えることを必要としない、
もっと言えば、自分の頭で考えないほうが
都合がいい社会だった。

この考え方が、教育にも反映されたので
日本では「考える力」よりも「記憶する力」が重要視された。

戦後の高度成長時代の国から
普通の国になった今、
私たち日本人は必死に勉強し、
いろいろなことを知って、
自分の頭で考えなければ
生きていけない時代になったのである。

◆自分の頭で考えるには

教養は「知識がある」だけでは不十分で、
それに加えて「自分の頭で考える」ことが不可欠である。

しかし、現代の日本人はこれが不得意である。

戦後一貫して「考えない」ほうがよい社会環境で
生きてきたからである。

では、「自分の頭で考える」ためには
どうのような思考法をすればよいのか。

どういう勉強法が役に立つのか?

  1.  「タテ」と「ヨコ」で考える
    「タテ」は時間軸、歴史軸、「ヨコ」は空間軸、世界観のことである。「タテ」と「ヨコ」で考えるということは、時間軸と空間軸という2つの視点を交えて、いわば二次元で考えるということである。完璧な考えを一回で思いつくことは不可能である。「タテ」の発想で先人が繰り返した試行錯誤から学び、「ヨコ」の発想で世界の人々の考えや実践法を学ぶことは大きなヒントになる。時間と空間を乗り越え、市場の淘汰にさらされてなお
    残っているものは、合理的な最適解である確率が高い。
  2.  国語ではなく算数で考える
    これは要するに定性的な発想だけではなく、定量的に物事を考えてみるということである。物事を「国語」で考える(定性的に考える)と、物事の筋道を見出すことはできるが、事実有無、事柄の大小や軽重、相互の関係などは必ずしも明確にはならない。そのため、筋道が成り立ちさえすれば、どんな理屈でも言えてしまうという一面がある。それに対して「算数」で考える、つまり定量的な視点を加味すると、物事をより正確に把握することができる。「国語ではなく算数で」考えるということは、「数字・ファクト・ロジック」で考える、と言い換えることができる。物事を考えるにあたっては、数字・ファクト・ロジックの3要素を踏まないと、詰めが甘くなる。

最後に物事を考えるにあたっては、
本質を把握することが何よりも大切である。

要するに個々の木を見る前に森の姿、
森の全体像をしっかりととらえることが肝要である。

最初に物事の本質を的確につかんでおけば、
間違える確率が大幅に減少する。

物事の本質は、
たいていシンプルなロジックで
とらえることができる。

なぜなら、人間は本来シンプルな生き物だからである。

逆に言えば、シンプルなロジックで理解できないものは、
本質をとらえていない可能性がある。

複雑で細かな話は、
精緻な議論をしているように見えても、
意識が枝葉の部分にとどまり、
テーマの全体像(幹)が見えていない場合が
ほとんどである。

「木を見て森を見ず」という諺がある。

一般に「森」の議論はシンプルなものである。

細かくややこしくなるのは「木」や「枝葉」の話に
終始するからである。

◆読書について

  • 寝る前に1時間だけ本を読むことを習慣にする
  • 本を読んで分からない部分を「読み返す」ことで本の内容を血肉化する
  • 速読は百害あって一利なし
  • 新しい分野を勉強するときは分厚い本から読む
  • 古典は無条件に優れている
    読む本が見つからないときは、岩波文庫か東洋文庫の棚の本を読む
  • 本は能動的に読む
    本を読むときに大切なのは、ただたんに受け身で読むのではなく、自分だ考えながら能動的に読む。つまり、鵜呑みにしないで読む。

◆人間が将来に備える唯一の方法は歴史に学ぶこと

先人が収めた成功だけではなく、
彼らが犯した失敗も学ぶこと。

◆人生にとって一番大切なものは…
温かい家と食事、そして心を許せる友達である

◆人間が社会で生きていくための武器

  1. 考える力
    自分の頭で考え、自分の言葉で、自分の意見が言える人間になること。
  2. 現代の社会生活を送る上で必要な「生きた実践的な知識」を身につける

◆選挙での白票・棄権は逆効果になる!

あなたが有力候補を支持するのであれば、3つの選択肢がある。

  1. その候補の名前を書いて投票する
  2. 白紙で投票する
  3. 棄権する

逆に有力候補を支持しないのであれば、
あなたはひとつの選択肢しかない。

それは、投票に行って別の候補者の名前を書くことである。

現在の選挙システムでは、
白票や棄権は有力候補を支持しているのと
事実上何も変わらない。

2014年の総選挙では、自民党の有権者に対する
絶対得票率は16.99%だった。

にもかかわらず圧勝したのは、
棄権や白票が多かったからである。

もし有力候補を支持しないのであれば、
ほかの候補者に投票するしか選択肢がない。

白票や棄権は、実は逆のことをしていることになる。

◆「財産三分法」とは?

お金は現代社会を生き抜く上で、
否応なくつき合わざるをえないものである。

そこでお金に関しては、
最低でも「財産三分法」をしっかりと学ぶべきである。

財産三分法とは

  • 手持ちの財布にはいつもいくらかのお金を入れておく
  • 毎月の手取りの収入のうち、仮になくたったとしても生活に困らない分は投資に使ってもよい(仮に手取り20万円で1万円はなくなってもいいというときは、その1万円を投資する)
  • 残りのお金は預貯金におく

ことである。

ここでいう預貯金とは、金利が目当てではない。

流動性、つまり、いつでも現金に換金できるという状態にしておくという意味である。

◆公的年金は破綻するのウソ

公的年金は老後の人生設計の鍵を握っている重要なテーマである。

ところが財政の累積赤字が1000兆円にも達していることもあって、
このままでは政府が、なかでも公的年金が
破綻してしまうのではないかという不安が高まっている。

そして金融機関の営業担当が、
「国の年金は危ないので、私的年金を始めたほうがよいですよ」
などと、自社で扱っている金融商品を薦めたりする。

しかし、この営業担当の言い分には根本的な矛盾がある。

現在、日本の税収は約55兆円で、歳出が約96兆円もある。
税収が55兆円しかないのに96兆円も使えるのは、
国債を発行しているからである。

歳入不足を国債によって補っている状態なので、
国債が発行できれば財政は維持できるということになる。

財政を維持できれば、
公的年金も支払うことができる。

つまり、政府が破綻しない限り、公的年金も破綻しない。

国債を発行できる限り、
公的年金の破綻はありえないということになる。

ということは、公的年金が破綻するのは、
国債が発行できなくなるときである。

当然、前出の営業担当が属している金融機関は
大量の国債を抱えて、それ以前に破綻している。

つまり、「国の年金は危ないですから伝々…」という
金融機関のセールストークは、論理的に成り立たない。

国債を引き受けているのは、日本でも金融機関である。

金融は信用の商売である。

私たちが銀行に預金するのは、
その銀行が大丈夫だと信用しているからである。

それと同じように、銀行などが国債を引き受けるのは、
国を信用しているからである。

私たちは金融機関を信用し、金融機関は国を信用しているという
入れ子構造のなかで生きている。

したがって、近代国家においてもっとも信用できる
金融機関はどこかと言えば、最終的には「国」ということになる。

近代国家では、国の格付け以上の格付けを、
その国の金融機関が得ることはできない。

公的年金の代わりに自分で預貯金を積み立てておこうと考え、
国民年金の保険料を支払わなくなっている若者が増えている。

しかし、万が一、国の年金が破綻するような事態になっていればその前に、
銀行の預金などはすべて消し飛んでいる。

国が存在している限り、社会保証が崩壊することはありえない。

それでは、国が国債を発行できなくなるときというのはどういうときか。

それは、誰も国債を買わなくなったときである。

そういった状態が、日本で起こりえるのか。

また起こりえるとしたらどんなときか?

それは、国債の総額が個人資産の1500兆円を超えるときである。

ただし、国債の総額が個人資産の総額を超えても、
外国(外国人)が日本の国債を買えば破綻することはない。

だから、いつ破綻するかは「神のみぞ知る」で誰にも分からない。

◆公的年金問題の本質とは

日本の年金問題の根っこには
「少負担・中給付」の問題がある。

税と社会保障の関係は、
負担がすなわち給付になる。

これが問題の「幹」であり「本質」である。

日本の税と社会保障を世界的な視点で見ると、
「少負担・中給付」のモデルを採用していることが分る。

いつどのようなデータをとっても、
日本の負担(税・社会保険料)はOECDの平均以下であり、
社会保障給付はOECDの平均以上である。

負担がすなわち給付だから、
このモデルでは中長期的に維持できるはずがない。

なぜ日本がこのモデルを採用したのか。

それは高度成長で将来の税収が
自然に増加すると考えたからである。

ところが、成長が止まり、
しかも人口構造も急激に変化したので、
このモデルがもたなくなり、
緊急避難的に国債で穴埋めすることになった。

日本の社会保障制度は、
「サッカーチーム一つで一人の高齢者を5年間支える」
という算数の下で作られた制度である。

ところが、時代も状況も様変わりした。

現在は「サッカーチーム」が
「騎馬戦」そして「肩車」に変わりつつある。

しかも、高齢者(男性)を支える期間は
「5年」から「20年以上」に延びている。

高度成長が止まり、人口増加も止まってしまえば、
「少負担・中給付」のままでは立ち行かなくなる、
というのが社会保障問題の根っこにある
基本的な構図である。

いまの日本の状況では、
もはや「少負担・中給付」のモデルは成立しない。

選択肢は2つしかない。

一つは「中給付」を据え置いて、
負担を「小」から「中」に増やす、
「中負担・中給付」にシフトする方法。

もう一つは、負担も給付も増やして
「大負担・大給付」にシフトする方法。

スウェーデンなどの北欧諸国が
このやり方を採っている。

「少負担」を据え置いて
給付を「小」にする「小負担・小給付」は、
大幅に医療や公的年金などを
削除しなければいけないので
政治的に不可能である。

これが公的年金問題の本質である。

世代間の不公平とか、
公的年金は積立方式が好ましいとかいった話は、
「枝葉」の各論である。

まずは「本質」で議論して、
たしかな見通しを得るべきである。

◆社会保障になぜ消費税が必要なのか

税金は低いほうがいいに決まっているので
消費増税には反対だ、というのが、
正直、多数意見(常識)と思われる。

しかし、常識を一度捨てて考えてみると
違った見方が出てくる。

たとえば、消費税の逆は何か?

間接税である消費税の反対は、
直接税である所得税である。

ところで消費税がなせ導入されたかというと、
社会保障を維持するために財源が必要だからである。

税金とは何かと言えば、
公共財や公共サービスの対価である。

負担と給付はコインの裏表の関係で、
ワンセットである。

負担なしに給付だけ得ようというのは
成り立たない。

社会保障という給付は全市民が対象である。

所得税は勤労者だけが対象。

消費税は全市民が負担する税金である。

勤労者が多かった時代は所得税だけで
成り立っても、勤労者が少なくなった現在では、
勤労者の負担だけでは、もはややりくりができない。

高齢者も含めてみんなが負担しなければ
社会が成り立たない時代になったのである。

そう考えれば、高齢化社会では、
否応なしに消費税が必要になる。

我々が汗水流して働いた結果得られる所得に課税するのは、
勤労を罰することになる。

それよりも、個人が選択的に消費する際に課税するほうが
ずっと公平である。

金持ち優遇だという批判に対しては、
相続税100%で対応すれば問題は生じない。

また、20代、30代に対する贈与税率ゼロ%と
組み合わせれば、お金が高齢者から若い世代に自然と回っていく。

高齢者が優遇されているとか、
若者にしわ寄せがいっているとか言う前に、
自分の意見をしっかり持って、
自分が抱えて問題を解決してくれる
政治家に投票すればよい。

国政に参加もしないで
世の中は不公正だと叫んでいても解決しない。

◆健康寿命を延ばすベストの方法とは…

介護=平均寿命-健康寿命
であるから、高齢化社会の政策は
健康寿命を伸ばすことである。

そして、健康寿命を延ばすベストの方法は
「働く」ことである。

理想は生涯現役でいることである。

◆住宅ローンは金融商品である

日本では、住宅の取得が人生の目的のようになっている。

そして35年もの超長期の
住宅ローンが大々的に売られているのは
世界でも日本だけである。

35年ローンや二世帯の超長期住宅ローンは、
成長神話を引きずったモデルである。

21世紀の現実はそうではない。

この20年間で見ても、
世帯の所得は間違いなく低下傾向をたどっている。

住宅ローンは原則として
月々決まった金額を返済する仕組みなので
所得が下がり続けるとどこかで破綻する恐れがある。

そもそも住宅ローンは、
「いまは苦しくても、先々給与が上がればきっとラクになる」
という図式のもとで成り立っている金融商品である。

しかし、いまやそんな保証はどこにもない。

よく不動産屋さんが
「家賃をいくら払っても不動産はあなたのものにはなりませんが、
買えばあなたのものになりますよ」といったセールストークを
語るが、それには「ただし、不動産価格が上昇すれば」
という条件がつく。

今、日本には空き家が800万戸以上もある。

すでに住宅はダブついている。

人口が減少しているので論理的に考えたら
空き家が増加して、不動産価格は下がる基調となるはずである。

そういった意味でも、
持ち家志向の時代は終わったと考えるべきである。

死ぬまで家を借りる権利があれば、それでいいのである。

もし、どうしても持ち家を買うなら、
長期のローンではなくキャッシュで買うことを
考えるべきである。

◆「仕事で使わないから英語は不要」という考え方は…

あなたが世界に目を向けたいと思うなら英語は不可欠である。

事実上、英語が世界共通語になっているので、
好きとか嫌いの問題を超えている。

もはや英語を避けては通れない。

GoogleやYouTubeで検索すると
英語の情報が圧倒的に多い。

イギリス、アメリカなどの大学では、
文献を英語で公開しているので
活用できるフィールドが格段に広がる。

ネットを通じてMITの講義を受講することも
可能である。

英語を仕事で使うことがないから不要だ、
と考えている人は井のなかの蛙である。

英語を勉強するといえば、
会話から始める人がいるが…
社会人にとっては、
まず英語で情報をインプットできるようになることを
目標にしてみてはどうか。

手前味噌になるが、
「英語を学ぶための優良教材紹介サイト!」
と立ち上げた。

英語が聞けない人は、物語を聞いて学習するのが
もっとも効果があると言われている。

レベル0~レベル6の英語の物語を用意したので
リスニングからチャレンジして欲しい。

http://englishlearningmaterials.com/listening/

英語の文法、会話に興味がある人はカナダ在住の
アダムさんのレッスン動画80本を用意したので
チャレンジして欲しい。

http://englishlearningmaterials.com/video-2/

そして、英語がある程度聞けるようになったら

http://englishlearningmaterials.com/video/

でビジネス英語にチャレンジして欲しい。

◆なぜ「仕事」より「家族」が大事なのか?

1年は何時間あるか?

1日24時間×365日で8760時間である。

では、そのうち仕事をしている時間はどれくらいか?

残業を入れてもせいぜい2000時間程度である。

ということは、私たちが仕事をしている時間は
1年の時間8760時間分の2000時間であるから0.228311
ざっくり「2割」くらいしかない。

最近は、仕事より家族を優先する人もじゃっかんいるが
ほとんどの日本人はこれまで仕事優先で家族(自分)に
しわ寄せを強いてきた。

「職場の一員」という立場に過剰反応してきた。

現在の日本人の価値観や人生観は、
職場や仕事に少し偏りすぎているのではないか。

仕事の話はできても、
文学、美術、音楽、歴史などの話ができないというのも、
その偏りに起因しているのではないかと思う。

人生においてたった2割の仕事というのは、
あえて言えば「どうでもいいもの」ではないか。

人生の2割の時間より、
8割の時間のほうが大切ではないのか。

仕事に費やしている時間は全体の2割程度で、
残りの8割の間に、私たちは食べて、寝て、遊んで、
子育てをしている。

家族や友人と一緒に過ごしたり、
家族団欒の時間を楽しんでいる。

2割の仕事の時間は、
8割の時間を確保するための手段に過ぎない。

家族や友人は簡単に取り替えが利かない。

でも仕事は取り替えることができる。

アドラー流に言えば、
「あなたは人生の2割にフォーカスして生きるのか、
それとも残りの8割にフォーカスして生きるのか」
ということになる。

人生にとって重要なのは、2割の仕事(ワーク)か
8割の生活(ライフ)かと言えば、
考えるまでもなく8割に決まっている。

だから、
極論を言えば仕事は「どうでもいいもの」なのである。

そろそろ、仕事、職場の価値観を見直す時期にきている。

仕事など「どうでもいいもの」だと割り切り、
相対視すれば、多少失敗しても自分の人生(ライフ)には
関係がないし、上司の心証など大したことではないと
割り切ることができる。

かえって堂々と自分の信念にしたがった仕事ができる。

それよりも、家族や自分をもっと大切にすべきではないのか?

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