50代から始める知的生活術~「人生二毛作の生き方」~ by 外山 滋比古
外山 滋比古
英文学者、評論家、文学博士。
1923年愛知県生まれ。
東京文理科大学英文科卒業後、51年に雑誌『英語青年』編集長に就任。
56年に東京教育大学助教授、68年にお茶の水女子大学教授(うち5年間お茶の水女子大学附属幼稚園長を兼ねる)に。
現在は同大名誉教授。
専門の英文学のほか、言語論、修辞学、さらには教育論など広範な学術研究と評論活動を続けてきた…(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
91歳にして気力みなぎる
「知の巨人」が実践してきた、
50代以降の人生を楽しむ知恵とは?
40代になったら、
「将来の仕事」を考える。
賞味期限切れの友情は捨てる。
思考を磨く「知的読書法」。
いつまでも若々しく、
いきいきと毎日を過ごす方法。
▶賞味期限切れの友情は捨てる
▶思考を磨く「知的読書法」
▶預金、保険に頼らずに生きる方法
▶「どうせ」という思考をやめる
目次
第1章 意気軒昂八十代へ向けて(自分の足で歩く/転機と見たら、行動する/ほか)
第2章 脳を生き生きとさせる(ウォーキングの楽しみ/一日に一度は外出/ほか)
第3章 つきあいの作法(賞味期限切れの友情/淡い交わり/大きな収穫/ほか)
第4章 知的生活の知恵(自分で考える/真似はしない/ほか)
第5章 新しい人生を切りひらく(マイナスから出発する/生活の型をつくる/ほか)

MEMO
50代から始める知的生活術
◆忘却こそ知性の働きをさかんにする
年をとると忘れっぽくなる現象というのは、
人間の能力の衰えのようにとらわれがちであるが、
実は忘却こそ、知性の働きをさかんにする、
大切な下働きをする。
忘却は意志とは関係なく
勝手に働いているように思えるが、
実は自分の思考のために働いている。
それに意外と私たちは気づいていない。
たとえば、ある文章を複数の人に読ませる。
あとでそれを再現させると、
めいめいの書く文章は微妙に違っている。
覚えている箇所と忘れた箇所に
個人差があるからだ。
その個人差こそ
「忘却による個性化」
である。
完全な記憶なら、
同じことになるはずだが、
記憶は没個性的だが、
忘却作用は十人十色の個人差がある。
もし、記憶するだけで忘れることをしなければ、
頭の中は不必要な知識などであふれかえり、
「知識メタボ」がおこってしまう。
頭に入れて覚えたことは
忘れないといけない。
個性的なアイデア、発想、思考は、
この忘却なくしては不可能と言ってよい。
よくノートに書いたり、パソコンに入力したりするが、
あれは記憶の保護に過ぎず、むしろ考える作業の
邪魔にさえなるかもしれない。
へたに知識をためこむよりは、
いっそのこと忘れてしまう。
その場で忘れることができなければ、
ひと眠りすればよい。
人は20分後には42%を忘却し、
1時間後には56%を、
さらに1日後には74%を忘れると言われている。
そして、自律的に忘却から残った知識が、
何かほかのものと結びついて
新しくよみがえる。
◆真似はしない(我が道を往く)
物真似を防ぐには、
世間の常識からつねに一歩距離を置くこと。
声高に「反常識」などと叫ばないまでも、
意識して、つまらぬ常識から少し離れたところで、
自己責任の思考を持つようにする。
独自の思考は、
人生の岐路のような場面で求められる。
自分なりに考えぬいたことをもとに
歩み始めたあと、
よい方向に向かうのか、
悪い方向に向かうのか
判然としない場合もある。
しかし、どう出ても結果には自分の納得がいく。
まわりからどう見られても、
動じない強さを持つことができる。
もうひとつの自分の生き方を決めるとき、
その強さがものをいう。
常識に背を向け、
独自の考えを貫こうとすると、
まわりから白い眼で見られるが、
それでも意地を通し、
うまく行けば大きな成果があげられるはず。
たとえ、まわり道をたどったとしても、
それが「我が道」であればいい。
自分が歩んだ道には、
自分の目でしか見られないものがある。
人を真似ず、常識にひきずられず、
自分の考えによって歩いていく。
そうすれば、いつまでも心身は
活力を失うことがない。
◆人間の力は知識の量によって決まるのではない
知識偏重の教育のなかで学んできた
秀才タイプの人は、
テストの成績を絶対的に信じている。
知識の足りないのや少ないのは
無知だと決めているが、
それはたいへんな間違いである。
人間の力は知識の量によって
決まるのではない。
テストの点が70点の学生は、
その足りない分、
自分なりに頭で考えていこうとしている。
対して、90点をよしとする人のほうは、
自分の知識で勝負する。
だから、
独自の思考力が求められるときになると、
途方にくれる。
いま、学校で育てているのは、
この「90点人間」である。
学校で受けた知識教育は、
生きる上で必要なことがらとは
質を異にする。
ことに商売などの世界では、
それがはっきりする。
世界に知られた企業をつくりあげた
松下幸之助にしても本田宗一郎にしても、
高等教育を受けていない。
彼らは、学校で授かった知識は少なくても、
自分で考える頭があった。
現場で思考錯誤を繰り返しながら考え、
独創的なアイデアを生んで、
次々と商品にした。
知的な活動の根本は、
記憶によって得られる知識ではない。
生活から離別した知識は、
むしろ考える力を低下させる
おそれさえある。
こういうことを、
しっかり頭に入れておかなくてはならない。
習得した知識を生かす上で役に立つのは、
せいぜい30代まで。
40代、50代ともなれば、
知識だけではダメ。
知性を働かせなくてはならない。
さらに、60代以降の第二の人生を
実現させたいなら、
置き去りにしてきた思考力を
少しでも取り戻す必要がある。
それには、自分が受けてきた知識教育の
足かせをはずして、自らの頭を自由にすること。
◆自分で考える!
自分の頭で「考える」ことこそ、
人生を変える力。
知識の習得ではなく、
考える力をつけることが大切。
これまでもってきた認識と
意識を根本から考えなおす必要がある。
これまでの日本の教育は、
知識の習得を最優先するものだった。
知識を頭に入れるだけ。
それは、本来の学問とは言えない。
学問とは、進歩するもの。
たんなる知識をいくら
積み上げても、進歩はない。
過去を振り返れば、
知識の集積ではコンピュータのほうが
人間よりうまいことがはっきりした。
知識が多いだけでは、
人間はコンピュータにかなわない。
それにもかかわらず、
知識を増やすことをもって
人間の進歩があるように考えるのは、
おかしな話。
むしろ、
知識が増えれば増えるほど、
それに反比例するように、
思考力が低下することに、
はっきり気づくべき。
◆転ぶな、風邪ひくな、義理を欠け by 岸信介(元首相)
心得として、
転ばないこと、
風邪をひかないことは
肝に銘じていても、
義理を欠くというのは、
なかなか思い通りにはいかない。
どうしても、
しがらみに縛られる。
しかし、年をとったら、
ときに浮世のしがらみを振り切る
勇気がいる。
しがらみといえば、
その最たるものが夫婦関係。
ご縁で結ばれ、苦楽をともにしながら
歩んでくるのが、
少しずつ、互いを縛りあう関係に
なってしまうことがある。
その苦痛が爆発するのが、熟年離婚。
男子たるもの、
熟年離婚、
おそるるに足らずというくらいの
気概がほしい。
万が一、そのときがきても、
うろたえないだけの覚悟を持つべき。
◆言志四録 by 佐藤一斎
少(わか)くして学べば、
則(すなわ)ち壮にして為(な)すこと有り。
壮にして学べば、
則ち老いて衰(おとろ)えず。
老(お)いて学べば、
則ち死して朽(く)ちず。
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子供のころからしっかり勉強しておけば、
大人になって重要な仕事をすることができる。
大人になってからも更(さら)に学び続ければ、
老年になってもその力は衰えることがない。
老年になってからも尚学ぶことをやめなければ、
死んだ後も自分の業績は残り次の人々にも引き継がれていく。