2050年 衝撃の未来予想 by 苫米地 英人
苫米地 英人
1959年、東京生まれ。
認知科学者(機能脳科学、計算言語学、認知心理学、分析哲学)。
計算機科学者(計算機科学、離散数理、人工知能)。
カーネギーメロン大学博士(Ph.D.)、同CyLab兼任フェロー、株式会社ドクター苫米地ワークス代表、コグニティブリサーチラボ株式会社CEO、角川春樹事務所顧問、中国南開大学客座教授、苫米地国際食糧支援機構代表理事、米国公益法人The Better World Foundation日本代表、米国教育機関TPIジャパン日本代表、天台宗ハワイ別院国際部長、公益社団法人自由報道協会会長…
2017年の「現在」から、
次の時代を解説する、話題の本!
これまでの当たり前が全く通用しない世の中で、
歩むべき指針が得られる必携書!
社会構造、政治、経済、戦争、ビジネスほか、
気になるテーマの本質を、
世界・日本両面から縦横無尽に紐解いた!
▶平均寿命120歳時代到来! 「懐古趣味」と「便利さ」がカギに
▶2050年の三種の神器
▶経済、行政、国防…、世界はサイバー空間を中心に再編される
▶巨大資本による仮想通貨が流通し「円」や「ドル」と同様の価値を有する
▶通貨発行権を有する巨大資本が国家を超越する
▶仮想通貨のもたらす驚愕の新秩序―「グーグル国」の誕生!?
▶「優先国民」という新種の奴隷が生まれる
▶第三次世界大戦はとっくに始まっている
▶下がり続ける人間の生産性の上げ方
目次
はじめに
第1章 2050年の大局観 来るべき時代の姿
第2章 2050年の社会 超格差社会とバーチャル国家が誕生する未来
第3章 世界の支配者とは一体誰なのか? 未来の支配構造を理解する前に概観する
第4章 2050年の勢力図 サイバー独立国の誕生
第5章 2050年の戦争の形 サイバー戦争の先にあるもの
第6章 2050年の生き方術 頭の中に革命を起こせ
第7章 2050年の日本 生き残るには生産性を上げるしかない
巻末提言 トランプ後の世界の行方 アメリカ新大統領誕生で激変する国際情勢

MEMO
2050年 衝撃の未来予想
◆やりたいことをやれ!
国際金融資本家の奴隷とならないためには、
私たちはどう生きればいいのか?
その答えは至ってシンプルである。
「やりたいことをやれ!」
この一言に尽きる。
日本では「やりたくないことを我慢するから
おカネがもらえる」「やりたくないことでも
自分がやらないと会社も社会も回らない」という、
とんでもない誤解がまかり通っている。
まさに奴隷の考え方である。
そもそも「職業」とは、
「おカネを稼ぐ」ことが本質ではない。
おカネを稼ぐのはファイナンス活動であり、
それは副業でも株式投資でも不動産投資でも
なんでもいい。
職業の本質的な定義とは、
「社会に機能を提供すること」である。
教師は「教育」という機能を提供し、
医師は「医療」という機能を、
警察官は「治安」という機能を提供する。
賃金は、結果としての対価ではない。
「職業に貴賎なし」という言葉があるが、
それは「社会に必要とされている機能を提供する」
という点で平等だからだ。
たとえば、海外の裕福層は、
慈善事業を積極的に行う。
彼らは、投資などいわゆる「不労所得」で莫大な
資産を形成しており、何ら社会に必要とされる機能を
提供していない。
つまり、「無職」なのだ。
しかし、慈善活動を行うことで社会に機能を提供しており、
その意味で慈善活動が彼らの職業なのだ。
よく投資をあおる媒体で、
「投資に成功して悠々自適なセミリタイヤ」などと
満面の笑みを浮かべて登場する人がいるが、
その代わりに慈善事業や啓蒙活動に従事していないのであれば、
彼らは単なる無職であり、何をそんなに自慢することが
あるのか理解できない。
海外では無職は蔑まれる対象なので、
慈善活動という職業に精を出す。
このように職業をおカネと切り離して考えた場合、
やりたいことをやるのが一番というシンプルな
結論にたどり着く。
「それじゃあ、おカネが稼げなくて生活できない」
そう主張する人もいる。
それならば、複数の職業を持てばよい。
これからはダブルワークが当たり前の時代になる。
嫌な仕事に人生の大半を捧げて年収500万円稼ぐなら、
自分のやりたい仕事で250万円ずつ稼いだ方がよっぽど
有意義ではないか?
もっといえば、年収300万円あれば最低限生きていける
わけだから、年収100万円の好きな仕事を3つ掛け持ち
すればいい。
これならば、ちょっと工夫すれば、
そこまで難しくないはず。
それでも「好きな仕事なんて、
みんなやりたがるから稼げない。
やりたがらない仕事だから高い給料がもらえる」
と言い張る人がいるかもしれない。
だが、誰もが好きな仕事をするようになれば、
やりたくない仕事の給料はもっと上がる。
そうなれば、「やりたくない」はずの仕事に
応募者が殺到し、「やりたい」仕事になってしまう。
このように「おカネを稼ぐために嫌なことを我慢して
長時間働く」という行為は、奴隷同士のチキンレース
以外の何物でもない。
このチキンレースから抜け出すには、
「職業とおカネを切り離して考える」という
「革命」を頭の中で起こすしかない。
ブラック企業同然の環境で、
奴隷のように働いて年収500万円を得るのが
本当に幸福なのかと、今一度問い直してほしい。
年収300万円でもよいのであれば、
選択肢は無数に広がる。
よく生活保護など社会保障制度が批判されるが、
とんでもない話で、成熟した国家としては
当然の制度である。
それよりも批判されるべきことは、
「職業=稼ぐこと」というデマが広がるあまり、
社会に機能を提供すること自体を放棄する人間を
生み出していることである。
虚ニーズに踊らされ、必要のない物を買うために、
必要のない労働に従事する日々とは、
今すぐ決別しなくてはならない。
今では経団連も政治家も官僚もメディアも、
金融資本家の指示通りに動く非常に巧妙な
ロボット化している。
だから、この国を支配する論理に耳を貸す必要はない。
それよりも、自らの感性に従ってやりたいことをやる勇気。
これこそが、今を生きる日本人にとってもっとも
求められている資質ではないのか。
◆金融資本家の洗脳によって生まれた「勝ち組」「負け組」という社会の階層化
年収1000万円の人を世間では「勝ち組」と呼び、
年収300万円の人を「負け組」と呼ぶ。
だが、金融資本家からすれば、
年収300万円も年収1000万円も大した差ではない。
何しろウォール・ストリートの平均年収は650億円。
彼らからすれば年収300万円だろうが
年収1000万円だろうが、
等しく奴隷的労働者なのだ。
しかし、その事実に目を向けさせないよう、
金融資本家はメディアを利用して巧妙な誘導を行う。
それが「勝ち組」「負け組」などに象徴される、
社会の階層化である。
年収300万円の人は勝ち組を目指し、
年収が少しでもアップすれば幸福感を味わう。
一方で、年収1000万円の人は負け組を蔑みながら
満足感に浸り、既得権益を守ろうとする。
社会を細かく階層化することで、
人生における幸福感や劣等感は、
その階層を行き来することに集約される。
これはすなわち、奴隷が自分で繋いでいる鎖を
「俺の方がいい鎖だ」と自慢しあっているようなもの。
「あいつばっかりいい鎖しやがって」と、
不満や憎しみは奴隷同士の争いに向けられ、
その光景を見物しながら主人である国際金融資本家
たちは悠々自適な生活を送っている。
だが、よく考えてみてほしい。
年収300万円もあれば、
一人で十分生活していくことができる。
夫婦であっても、現在共働きが当たり前の時代だから、
世帯収入600万円は決して貧しいとはいえない。
では、なぜ人は年収1000万円を羨み、
そこを目指しているのか?
それは、人間らしく生きるための「実ニーズ」とは
対極にある本来必要のない「虚ニーズ」こそが、
人生において価値あるものだと刷り込まれているからだ。
メディアに巧みに織り交ぜられるCMや広告記事は、
人間性に溢れる豊かな暮らしとは直結しない嗜好品や
贅沢品を、さも価値のあるものだと盛んに宣伝する。
そうして「虚ニーズ」を「実ニーズ」と勘違いした人々は、
必要のないおカネを稼ぐために必死になって奴隷のごとく働く。
そして彼らの奴隷的労働によって生産された商品や
サービスは、さらなる「虚ニーズ」を生み出す。
こうして社会には本来必要のない商品やサービスが溢れ、
それを得るためのおカネが至上価値となる
「虚経済」が形成されていく。
金融資本家にとって扱いやすい駒が「勝ち組」とされ、
その他の99%以上が「負け組」の烙印を押される。
冷静に考えて、こんなバカな話はない。
◆サイバー経済圏
2050年は、MUFJコインやグーグルコイン、
アップルコインといった巨大資本に裏付けされた
仮想通貨が流通し、「円」や「ドル」と同様の
価値を有する社会になる。
いわば「サイバー経済圏」といったものが、
国家の枠組みを超えて誕生する。
◆2050年の三種の神器
・人口知能
・人口知能を脳で直接操作するインタフェース
・遺伝子操作
◆90歳で若造の時代
まず、日本人の平均寿命の推移を見てほしい。
1925年▶(男:42歳、女:43歳)
1960年▶(男:65歳、女:70歳)
1914年▶(男:80歳、女:86歳)
2050年▶(男:120歳?、女:120歳?)
今から約90年前の1925年の平均寿命は42歳。
それが35年後の1960年には65歳を超えている。
さらに約50年後の2014年には80歳。
実に1世紀も経たないうちに平均寿命が
約2倍にまで延びている。
このままいけば、2050年の時点で
平均寿命が120歳という時代になっても
おかしくない。
だから、2050年の未来では、
今30代、40代の人たちも
「定年退職して余生を過ごす日々」
などといっていられなくなる。
寿命が120歳ならば、60代、70代は働き盛り。
「90代はまだまだ若造」ということになる。
2050年の平均寿命が120歳だと仮定すると、
ここでひとつの問題が生じてくる。
何か?
そう「年金」の問題である。
現在ですら、全人口の約30%の4000万人が
年金受給者の高齢社会である。
年金支給開始年齢を多少引き上げたところで、
その割合は上昇を続け、国民の半数以上が
年金受給者となるのも遠い未来ではない。
生産人口と非生産人口の比率が逆転してしまえば、
日銀がいくらおカネを刷ろうが焼け石に水。
これまで国民が積み上げてきた約1700兆円の
金融資産は瞬く間に消え、とてもじゃないが
年金など支給する場合ではなくなる。
では、どうすればいいか?
その布石は、実はすでに打たれている。
それが「1億総活躍社会」である。
「総活躍」とは聞こえがいいが、
実際は「男も女も老人も、
1日でも長くしっかり働きなさい」
ということである。
つまり、生涯現役をススメているのである。
仮に平均寿命の10歳手前を定年と設定すると、
2050年の定年は110歳。
つまり、100歳を超えても
まだ年金を支払う側だったりする。
これはもう、「総活躍」という名の
「奴隷社会」というほかない。
◆「歴史は繰り返す」のウソ!
よく未来予想において、
「歴史は繰り返す」ということを言う人がいる。
こういった人たちは、
過去の事象を未来にあてはめようとする。
しかし、これは本質的に未来を見誤る
重大な誤謬(※)である。
歴史は繰り返すのではない。
正確にいえば、
歴史を生み出してきた社会や人間の
行動理念が変わらないため、
歴史が繰り返したように見えるのである。
30年後40年後を予想する場合、
もっとも重要なのはやはり人間。
もっといえば、人間が織りなす社会の構造である、
そこから発せられるニーズやエゴである。
そのニーズやエゴが政治や経済を動かす
原動力となる。
そして、未来予想をする一番の目的もそこにある。
現在、人々が常識として疑わない考え方、
ものの見方の多くは、残念ながら世界の
支配者たちによって刷り込まれた抑圧された
思考である。
もし、このまま変わることがなければ、
それこそ悲惨な歴史が繰り返えされることになる。
しかし、30年40年先の未来は、
世界の権力者たちすら把握しきれていない未来。
そこに向かってマインドを変化させていくことこそが、
権力者たちさえも縛るバイオパワー(人間を抑圧する生権力)
の呪縛から脱し、人間らしく生きるための唯一の方法である。
※誤謬(ごびゅう)
論証の過程に論理的または形式的な明らかな瑕疵があり、その論証が全体として妥当でないこと。
◆5年後10年後の未来予想はあまり意味がない!
5年後に生き残る職業を知ってスキルを
磨いたとしても、その職業自体が人々を
奴隷的労働に従事させるために生み出された
職業である可能性がある。
つまり、未来を知って、
よりよい未来に変えたいと思うならば、
すでに一部の人たちが描いた現実である
5年後10年後の予想など意味がない。
そうではなく、少なくとも今まさに開発中の
技術の特許が切れる20年後、さらに、
その技術が一般化し、社会に本質的な
変化をもたらす30年先、40年先を
予想しなければ意味がない。