「自分は自分」でうまくいく―最強の生き方 by アーノルド・ベネット
アーノルド・ベネット
イギリスを代表する小説家、劇作家、評論家、エッセイスト。
自分自身の力で成功した実体験の裏付けから書かれた『「自分は自分」でうまくいく最強の生き方』は、世界中の読者に、人間関係のつくり方、職業選択、仕事への考え方など多くの人生の指針を与えている…
「自分の時間」著者100年の名著!
あなたの生き方は、
自分自身を満足させているか?
数えきれない
成功者・一流人に読み継がれた
「最強哲学」!
あなたがあなた自身の先生になれ!
最高の人生に終わりはない。
他人の期待にふりまわされるな。
人と上手につきあうヒント…
目次
第1章 他人の期待を満たすために生きてはいけない―自分本位になれば、人生は楽しい
(まずは自分の本能を満足させろ/生まれつきの気質や性格は変わらない ほか)
第2章 心の不安から自由になる―二つの法則で、人間関係は豊かになる
(人生を豊かにする二つの法則/残酷な子ども―人間関係をゆがませるもの ほか)
第3章 限られた自分の時間を最高に活かす―自分メンテナンスで、最強の人生をつかむ
(最強の人生―人はどう生きればよいのか/心と体のメンテナンスを怠るな ほか)
第4章 つねに「万一」に備える―気くばりと熱意で、仕事は成功する
(働きはじめたあなたがまず直面する問題/給料以上に働かない人 ほか)
第5章 世の中をよりよく生きる―賢くなれば、幸せになれる
(「どうして、ぼくのために動いてくれないの」/幸せは巡りめぐるもの ほか)

MEMO
◆「賢く生きる」とは?
本当に賢い生き方は、
人生をめいっぱい楽しむことだ。
つまり、自分が持っている力を
存分に発揮し、いつも生き生きと、
たくさんのことに心を動かされながら、
死ぬまで今日という日を楽しむことだ。
心惹かれることは、
少ないより多いほうが絶対にいい。
生きているのがつらくなるくらい
悩むことがあっても、
退屈で死にそうになるよりよっぽどいい。
それに、悩むと決めているのも自分自身だ。
人生を楽しむには、
悩むより行動する力を身に付けることも大切だ。
なぜか?
立ち止まることで人生は
より複雑に思えてくるからだ。
困ったことがあったら立ち止まって
考えようとする人が多いが、
それではいけない。
とくに、人生がうまくいっているときほど
そうなりがちだが、
それではいけないのだ。
どんなときでも、
自分という機械を休めることなく、
楽しみながら動かせる人が、
最終的には人生を心から楽しめる。
それが唯一の、
人生を楽しむ術なのだ。
◆心に余裕ができる方法
人生にはおカネよりももっと大切なものがある。
良識、知性、芸術、感情、愛、挙げればきりがない。
おカネがいくらあっても、
人の気持ちがわからなかったり、
正しい行動ができなければ意味がない。
だが、ある程度落ち着いた生活が
できるだけのおカネがあってこそ、
心の余裕が出てくる。
それに、
きちんとおカネを稼いで管理できると、
自信がつく。
これは、ほかのことでは得られない自信だ。
やみくもに物質的な豊かさを毛嫌いし、
精神論を説く人がいるが、
それはとても危険なことに思える。
なぜか?
一文無しで生きていける人などいないからだ。
生きていく以上、
ある程度のモノは必要だし、
その次の段階として、
心の充実が得られる場合だってある。
それが自然なことなのだ。
◆誰にも奪われない武器を持て!
初めて自分の力で暮らし始める若者は、
当たり前だが貯金をしなければならない。
そんなことは小学生でもわかるし、
言うのもバカらしいのだが、
どうしても話しておかなければならない。
なぜなら、
多くの人が当然のようにそれを
怠っているからだ。
貯金は、必ずすべきものだ。
そんなのわかっている、
とあなたは言うだろう。
好むと好まざるにかかわらず、
必要なものだ。
あなたは今いくら貯金がある?
そう聞かれると、
きっと言葉に詰まるのではないか?
「やばい、
こんなことならしっかり貯金しとくんだった!」
と若者が初めて後悔するのは、
たとえば心奪われる女性に出会ったときだ。
どうしてもこの女性と結婚したい!
と思うと同時に、
彼女の人生に責任を持ちたいという気持ちが
芽生え、そこで初めて真剣に
「よし!カネを貯めるぞ!」となる。
そして必死になって貯金を始める。
でも、もう手遅れだ。
なぜなら、好きな女性とはすぐにでも
結婚したいし、いくら頑張っても
愛の巣に必要な家具を半年や1年頑張っただけで
貯金で全部揃えるのは不可能だからだ。
だったら、分割払いで!
そう思いついた若者は、
ほっと胸をなでおろしカネを払い始める。
こうなることはだいぶ前から
わかっていたはずなのに、
それでもそのときは真剣に考えようとしない。
頭を抱えることになるのがわかっていても、
動けないのだ。
自分で生計を立てるようになったら、
たとえどんなに安月給でも、
コツコツ貯金していかなければならない。
その結果、映画を見たり、ちょっとした贅沢なモノが
買えなくなっても、それは仕方がない。
ぐっと歯を食いしばって、
耐えるのみだ。
たとえ微々たる額でも、
貯めるのを止めてはいけない。
大切なのは、
いくら貯められるかではなく、
貯める「習慣」をつけることだ。
貯金は、誰でにも奪えない「武器」だ。
この世の様々な悪から身を守るための
護身用の銃だと思えばいい。
蓄えがないと、
病気やケガをしたときに困るし、
いきなりクビを切られでもしたら
路頭にに迷うことになる。
それなのに、若者ばかりか多くの人が
そんな危機感がまったくない。
ポケットにはいつも小銭が
少しばかり入っているだけだ。
日本のような近代国家では、
失業保険、生活保護といった
社会保障制度があるので
多くの人がそれに頼ってしまう。
だが、皆がそれに頼ってしまうと
社会保障制度そのものが破綻してしまう。
◆頭のきれる新人に用心しろ!
たとえば、
やる気のない社員がひとりいても、
その人の尻拭いをしなければならない
場合を除いては、やきもきしたり
イライラしたりしないほうがいい。
「会社もこんな奴を雇って大変だな」
くらいに思いながら、
それでも辛抱強く接していれば、
そのうちまわりに触発されて、
本人もやる気になってくる。
本当に用心すべきは、
頭の切れる新人だ!
もし、そういう人が自分勝手に
振る舞い出すと、陰で、
もしくは大っぴらに嫌われる。
なぜなら、同僚に対しても
自分と同じくらいできることを
求めるので、経営者もそれにつられて、
社員たちを厳しい目で見始めるからだ。
そうなると、秩序が乱れ出す。
正しさの基準がこんがらがるので、
そのうち皆が自分勝手な行動に出てしまう。
そういう新人には、
場を乱してまでほかの人より抜きん出ても、
上司から気に入られはしないということを
気づかせるべきだ。
大切なのは、協調性だ。
経営者は、ほかの社員もこの新人のように
優秀だったらどんなにいいか、
と考えるかもしれない。
いっそ皆クビにして、
優秀な新しい社員と入れ替えたいと
思うかもしれない。
でも、実際にはそんなことはできない。
だからこそ、経営者は職場の調和を求めるのだ。
それに、頭の切れる社員は同僚を見下す傾向がある。
自分はできると天狗になってしまうのだ。
本当は価値のない社員などいないのに、
それに気づけない。
頭の切れる社員には用心しろと言うのは、
こんな理由からだ。
◆働くことは長い目で見ろ!
働くという行為は、
経営者と社員の間のつながりだけを
指すのではない。
もっと広い目で見ると、
これは社会とのつながりを指す。
仕事の成果は、1週間や1年で
評価してもらえるものではない。
十年働いてやっと、
いや、もしかすると人生の半分くらいの
時間を費やして初めて日の目をみるものだ。
努力は影のようにすぐあとをついては来ない。
十年くらいのタイムラグがあると思えばいい。
だから、
一見「なんだ、あの程度で評価されて」
と思えるような人は、
実はずっと前にちゃんと
その評価に見合うだけの働きをしている。
ラクな仕事であれだけの給料がもらえていいよな、
と年配の上司に不満を持っているあなたは、
これを覚えておくといい。
今、彼らに支払われている給料は、
長年積み上げてきた努力、信頼、経験
に対するものだ。
◆年をとってから勉強する理由…
学びには終わりがない。
自分の知らないことを知れば知るほど、
知らないことが見えてくる。
本当に賢い人は、
自分が愚かだということを知っている。
そしてそれに気づいたとき、
目が開き、自分という存在と
人生の意味を知ることになる。
学びが広がると、
世界が広がる。
人生を豊かに生きる術を知った人は、
死ぬその瞬間さえも、
豊かに生きようとすることができる。
年を取ってから何かを学び始めた人を見て、
「今さらなんの役に立つんだ?」
と笑う人がいる。
何かの役に立つか、
もしくは立たないかは、
誰にもわからない。
この世には
まったっくムダなものなど
何ひとつないのだ。
◆最初から的を絞らない!
初めから視野を狭めてはダメだ。
結果として特定の分野に精通するのであって、
最初から可能性を狭めてはいけない。
自分がまだ何をしたいかよくわからない人は、
よく必死になって、あるひとつの分野の
知識を身に付けようとして挫折する。
それでは、エネルギーのムダだ。
好きこそものの上手なれ、
と言うが、好きなことだけやっていれば
いいというわけではない。
自分の道を決める前に、
まずはすべての道、
つまり一般教養を身に付けることは
欠かせない。
そうでないと、バランスの悪い偏った
人間になってしまう。
しっかりとした知識の土台があってこそ、
専門性は身に付くのだ。
専門的に学んだことを職業にするにせよ
しないにせよ、この原則は変わらない。
◆失敗を小さくする2つのこと…
1)面倒くさくてやる気が起きないときは、
体が疲れているサインだ。
体が元気だと面倒くさいなんて思わない。
思いたくても思えないのだ。
エネルギーというのはちょろちょろ
出てくるものではなく、
ドバっと湧き出るものだ。
だから、面倒くさいと思ったときは、
心ではなく体にそう思わされていると
考えたほうがいい。
2)勉強が嫌いだと感じたとき、
その理由には、学ぶ対象が嫌いなときと、
学ぶ方法が間違っているときの2通りがある。
学びは、どんなときでも楽しくなければならない。
もし楽しくないなら、
楽しくなるように自分で変えなければならない。
◆最高の人生に近づくためには…
学ぶことで自分の才能を伸ばし、
生計を立てる術を知ることも欠かせない。
何よりも大切なのは、
自分自身が楽しむことだ。
せっかく学んだのに、
誰かに依存したり、
生活のためだけに嫌いな仕事を
する羽目になってはなんの意味もない。
学んだことが生かせなかったら意味がない。
◆80%の不安は起こらない
私たちは実際には決して起きないような
悲劇を頭の中で想像してしまう。
人生についてあれこれ思いを巡らせても、
80%の不安は的中しない。
取り越し苦労ほど、
意味のないものはない。
不安にも種類がある。
どうして自分は悩んでいるのか、
その原因を探ることは大切だ。
もし、不安に思うことも、
そこから生じる結果も、
自分にはどうすることもできず、
なんの責任もないなら、
くよくよ悩むだけ時間のムダだ。
受け入れて、
不安が的中したときに乗り越える
最大限の努力をすればいいだけだ。
それとは逆に、
その不安が少しでも自分のせいであるか、
自分次第で結果が変わる可能性があるなら、
どんどん不安になればいい。
このように、不安には避けたり解決したり
できないものと、自ら動くことで状況を
変えられるものと2種類ある。
最悪の事態を想像してあれこれ思い巡らしたり、
対策を練ったりするのも、ある程度は必要だし、
いいことだと思う。
でも、度を越えると元も子もない。
◆いい人間関係を築くのに必要な能力とは?
本物の想像力とは、
自分を相手に重ねて、
相手の気持ちを真剣に考えられる能力を指す。
良い人間関係を築く大原則のひとつである。
これですべてがうまくいくわけではないが、
おおよそのトラブルは回避できる。
人間関係のひずみは、
ほぼ想像力の欠如に由来する。
「もし自分が相手なら
どんな気持ちになるだろう」
と少しずつでも考えることが、
まずはスタートだ。
そうすることで人間関係が豊かになり、
自分の心も豊かになる。
すると人生そのものが劇的に変化する。
自分が変われば、相手も変わる。
理解されているという気持ちになるかだ。
相手がどんな状況に置かれ、
何を求め、
何に悩んでいるかを想像できれば、
相手を自分と同じくらい大切にできる。
なぜなら、
相手と自分の間に垣根がないからだ。
どんなに勉強ができるより、
人の気持ちがわかる人間になるほうが
よっぽど大切だ!
◆人間は習慣の生き物であることを
忘れてはならない!
◆バランス感覚を身につけるには
人生に大切なのはバランス感覚である。
人生を道にたとえると、
平坦なときもあれば、
曲がりくねっているときも、
転げ落ちそうに急なときもある。
愚かな人は、
落っこちそうな坂道を
そのまま進んでしまう。
だが本当に怖いのは、
ゆるやかな坂道だ。
ラクちんだからと油断していると、
たいていそのうち急になり、
ある程度下がってからは、
引き返そうにも引き返せない。
どうしても引き返したければ、
相当の気合いと体力と忍耐が必要で、
まず普通の人には無理だ。
では、どうすれば人生のバランス感覚が
身に付くのか?
とにかく習慣、
とくに思考習慣を変えることだ。
肉体的な習慣はただのクセに過ぎないから、
この際おいておく。
いつもこう考えてしまうというような、
思考パターンのクセはないか?
それが曲者だ!
思考パターンができあがってしまうと、
偏ったものの見方しかできなくなる。
そしてそれに拍車がかかると、
最終的に頭の固い人間になってしまう。
新聞などに「20年余り1日も欠かさずに○○に通った…」
という記事が載っていることがある。
この「○○」の部分をいまあなたが毎日の
習慣にしていることに置き換えてみてほしい。
この新聞記事に載った人は、
確かに、よくできた人だったのだろう。
でも、人間らしさという観点から見れば、
なんだか機械のような人だ。
定年後、20年余りはあっただろうに、
それでもせっせと「○○」だけに通い続けたなんて、
使命感に取り憑かれていたとしか思えない。
休まないという習慣が、
いつの間にか絶対に休んではいけないという
固定観念を作りあげる。
ここが重要な点である!
つまり、それでしか自分の良し悪しを
判断できなくなってしまったのだ。
社会も家族も、もうその判断基準でしか見れない。
毎日「○○」することが最優先されるなんて、
どう思う?
もしおかしいと思わないなら、
あなたこそおかしい!
◆がむしゃらに生きるな!
一生懸命に生きるのと、
人生を楽しむのは違う。
人生の大半をがむしゃらに生きた結果、
そのがむしゃらさが結果として
身を滅ぼすこともある。
いくら光輝く才能があっても、
人生を楽しめなかったら意味がない。
才能だけが人生のすべてではないことを
しっかりと胸に留めておいてほしい。
大きな夢を抱く人は、
自分で自分を仕事に縛り付ける。
朝から晩まで働き、
世間とかかわりを持とうとしない。
かかわるだけ時間のムダと思っている。
◆「習慣の奴隷」になるな!
習慣は、行動だけではなく思考を蝕む。
将来のために今を生きても、
その将来が「今」になったとき、
決して楽しめない。
目標に執着するあまり自分の世界に
閉じこもっていると、
いつの間にか人とのかかわり方を
忘れてしまう。
自分で自分をどんどん狭めてしまう。
◆ムダがあるから人生は楽しい
野に咲くユリは、
ただ咲いているだけで、
忙しく動き回ったりしない。
でも、だからといって摘まれたりしない。
人も同じで、
ただ今という瞬間を生きている。
それをムダと思うなら止はしないが、
本当にムダなのは、完璧を求めることだ。
時間もおカネも、
完璧を求めるほどムダになる。
日に何度もおカネのことを考えている人は、
理性の言いなりになっている人と同じくらい
バカバカしい。
ムダがひとつも許されない世界を
想像してみてほしい。
ゾッとする。
そう、実は時間も、おカネも、脳みそも、
ある程度のムダはむしろ貴重で、
人生を楽しむためには必要不可欠なのだ。
ムダは、別の言い方をすれば「楽しみ」だ。
目標とは無縁の、
個人的な楽しみを持ってこそ、
私たちの人生は豊かになる。
◆「職業選択」ここを間違えるな!
何よりもまず大切なのは、
自分の性格の長所と短所をしっかり見極めて、
どんな仕事なら自分の長所を生かせるのか、
短所がそれほど負担にならないかを
考えることだ。
どんなに魅力的で将来を約束された仕事でも、
自分に合わないと思うならきっぱり
諦めることも肝心だ。
ある分野の才能に非常に長けていて、
この仕事につきたいという明確が夢があり、
まわりもそれを認めているとする。
この場合、進む道はすんなりと決まる。
もうひとつは、
自分の適性ややりたいことがわからないので、
なんとなく選んだ仕事をこなしているという人だ。
このタイプは非常に多い。
本当の意味で人生を生きていない
と言っていいだろう。
だが不幸なわけではない。
だって世の中には、
すばらしい才能があるのに、
それを伸ばそうとせずに押し込めている
人もいるからだ。
風や潮に身を任せるように、
ありのままの自分で仕事ができている人こそ、
真に自分の人生を歩み、
人生を楽しんでいると言えるのだ。
◆自分の才能を100%発揮するには
なるべく要らぬ失敗をせずに職業を選択するには、
「この仕事に就いたらどんないいことがあるだろう?」
ではなく、
「自分にはどんな仕事が向いているのだろう?」
と考えてみることだ。
つまり、自分を仕事に当てはめるのではなく、
自分に当てはまる仕事を探すのだ。
◆臆病にならず困難に立ち向かう
若い頃の挫折は、
年を取ってからの挫折に比べれば
取るに足らないものだ。
困難を上手に回避するのが大人の課題だとすれば、
若者の課題は、困難に立ち向かうことだ。
そのとき立ち向かわないと、
年を取ったときにもっと大きな困難となって
自分の前に立ちはだかる。
臆病になってはいけない。
若い頃の苦しみは一時のものだが、
ラクが道を選んだツケは墓場まで
あなたにつきまとう。
◆「本能」とは…
持って生まれたその人の気質や性格のことだ。
たとえば、
生まれながらにリーダーに向いている人もいれば、
その下で働くのに向いている人もいる。
責任感が強い人もいれば、
弱い人もいる。
情熱的な人もいれば、
冷静な人もいる。
毎日違う場所で違うことをするのが好きな人もいれば、
同じ場所で同じことをするほうが落ち着くという人もいる。
ひとりで机に向かうのが好きな人もいれば、
仲間と一緒に働くのを好む人もいる。
なかには、俺は働くのに向いていない、
という人もいる。
だが、人間とは本来そういうものだ。
こんなふうに、人には皆違った本能がある。
挙げればきりがないが、
これを読んでいるあなたにも、
あなたをあなたたらしめている本能が必ずある。
それがどんなものであれ、
本能には理性に勝る力がある。
では自分の本能にひれ伏さなければ
ならないのか?
そんなことはない。
自分をよく知らない限り本当の
幸せは手に入らないが、
逆に本能の赴くままに行動すれば、
結果的に自分もまわりも不幸になる。
あるときには、本能のままに行動するのが
吉と出るが、あるときには凶と出る。
だが、ここで大切なのは、
どんな本能にも善悪両方の芽が備わって
いるということだ。
◆まずは自分の本能を満足させろ!
人生を心から楽しむには、
自分の本能を満足させなければならない。
それが何より大切だ。
人は理性的な動物だ、
と言うが、それはウソだ。
人はときに理性的だが、
どんなときでも本能的だ。
人には、生まれつき一人ひとり異なる本能があり、
それは一生私たちを揺さぶり続ける。
本能を変えることは誰にもできない。
ほんの少し変えようと思っても
そうはいかない。
自分の本能とは、
一生付き合っていかなければならない。
だから、自分がどんな人間かよく知りもせずに、
こうなりたいとか、
他人にこう動いて欲しいと思ったりすると
痛い目に遭う。
自分をよく知ることこそが人生を
心から楽しむためのカギで、
自分に立ち向かおうと理性と手を組んでも
必ず負ける。
たとえば、あなたがどんなに若くても、
人生の先輩が指し示した道が自分という
人間に合わないと思うなら、
その道を歩む必要などない。