「孤独」のすすめ

「孤独」のすすめ by ひろさちや

ひろ さちや

1936年大阪府生まれ。
宗教評論家。
東京大学文学部印度哲学科卒業。
同大学院博士課程修了。

気象大学校教授を経て、大正大学客員教授。
「仏教原理主義者」を名乗り、本来の仏教を伝えるべく執筆、講演活動を中心に活躍。
また、仏教以外の宗教も、逆説やユーモアを駆使してわかりやすく解説し、年齢・性別を問わず人気を博している…

現代人の多くが抱える「孤独」…。

IT化の進展で人と繋がりやすい時代でも、
昔に増して孤立感・疎外感を抱く人は多い。

そして孤独は恥ずべき、癒すべきことと考えがち。

だが、そもそも世間はおかしな物差し(常識)で人の価値をはかるもの。

そう、そんな“狂った”世間で、
寂しくなく生きるには、
ほんの少しコツがいるのです。

世間に左右されないひろ流・逆説的生き方のすすめ…

目次

I 家族の孤独
(天国でまた会える/嫁と姑の反目/この世はご縁の世界/ヤマアラシのジレンマ/お浄土のへのお土産/心の中のお浄土)

II 世間の孤独
(江戸っ子と浪速っ子/お互いさま意識/縄文文化と弥生文化/「兎と亀」の競争/競争は悪だ! /この世は「弱肉強食」か?/資本の論理がつくった孤独)

III 絶対の孤独
(愛を超えたもの/「孤独」と「孤独感」/世間を馬鹿にする/「人生の孤独」と「生活の孤独」)

IV 阿呆の孤独
(馬鹿な蛙と阿呆な狐/思うがままにならないこと/愛する妻との別れ/孤独が最高の友人/物事には因縁がある/悩みを解決しようとする馬鹿/福の神と貧乏神/阿呆になって生きる/「南無そのまんま・そのまんま」/すべてはお浄土に往ってから)

「孤独」のすすめ
「孤独」のすすめ

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MEMO

「孤独」のすすめ

◆「苦」の原因とは…

思うがままにならないこと、
思うがままにしたいこと。

仮にあなたが一流大学に合格したいと思い、
一生懸命に努力して勉強したところで、
合格は思うがままにならない。

あなたはいくら実力があっても、
受験の日にあなたが乗ったタクシーが
事故にあい、あなたが怪我をすれば受験できなくなる。

だから、すべては思うがままにならないことが(苦)。

では、どうすればよいか?

明らめればよい。

しかし、明らめるということは、
断念することではない。

あなたが、これは思うがままになること、
これは思うがままにならないことを、
しっかりと明らめることである。

◆ひょうっとすれば、
「孤独」こそが最高の友人かもしれない

◆智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい 。

これは夏目漱石の「草枕」の有名な冒頭の言葉である。

では、どうすればいいのか?

職場にいやな奴がいるから、
どこか住みやすい職場に転職したくなる。

でも、それは問題解決を図っていることで、
バカがすること。

転職した先にもいやな奴がいる。

だから、漱石はこう続けている。

「人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。
やはり向う三軒両隣りょうどなりにちらちらするただの人である。
ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。
あれば人でなしの国へ行くばかりだ。
人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。」

まあ、結局、明らめて「アホ」のような生き方をするしかなさそうである。

◆バカ VS アホ (アホのすすめ)

バカは…問題状況を打開し、
解決しようとあれこれ努力して、
結局はそれに失敗する人。

失敗せずに成功する人は
「賢い人」。

アホは…問題状況を打開し、
解決するなんてことは自分には
不可能だと思って、問題があるまま、
そのまま楽しくやっていこうとする人。

たとえば、あなたが貧乏だとする。

これは一つの問題状況である。

で、その貧乏を克服するために、
あくせく、いらいら、がつがつと努力する。

働きに働く。

上司にごまをすったり、
残業に残業を重ねる。

でも、あなたは金持ちになれない。

結局は貧乏なまま。

そういう人がバカ。

アホはちょっと違う。

アホは、
「俺がどれだけ努力したところで、
あるいはケチケチしたところで、
絶対に金持ちになんかなれっこない」
と最初から諦めて、毎日をゆったり、
のんびり、楽しく生きようとする。

もちろん、アホも金持ちにはなれない。

でも、楽しい毎日を送れるだけ幸福である。

あなたなら「バカ」と「アホ」のどっちを
選びますか?

◆「生活上の孤独」 VS 「絶対的な孤独」

生活上の孤独(孤独感)とは、
失恋したとき、落第したとき、失業したとき、
あるいは夫婦喧嘩や親子喧嘩、兄弟喧嘩、
他人と喧嘩したとき、私たちが孤独を感じ、悩む。

そして、
うまくすればこの孤独感を軽減させることができる。

それに失敗して、離婚だとか親子の断絶、
絶交に終わることもある。

だが、人生の孤独(絶対的な孤独)は、
いかなる方法をもってしても
それを軽減させることはできない。

すなわち、老いること、病むこと、死ぬことは、
我々はそれを軽減させることはできない。

自分で老い、自分で病み、自分で死ぬしかない。

それが絶対的孤独である。

◆孤独地獄

現代の日本においては、
人間は孤独になる。

ライオンに追いかけられて逃げる二人が、
二人とも心の中で
「お前が食われろ!俺はそのあいだに逃げるから」
と考えている。

そこには人間としての仲間意識はない。

誰かが解雇されたとき、
一応解雇をまぬがれた社員は、
「俺でなくてよかった…」
安堵の胸をなでおろし、
心の中でひそかに祝杯をあげる。

それが日本のサラリーマン社会である。

でも、リストラされた人は、
一応退職金を手にしている。

だが、生き残った社員が、
その後会社が倒産したために1円の退職金も
得られないことだってある。

そしてそのとき、
先に解雇された者が、心の中で、
「ザマアミロ!」
と喝采を送る。

日本の社会は、他人の不幸を喜ぶまでになっている。

まさに地獄。

そしてその地獄は、孤独地獄である。

◆Struggle for Existence 生存競争

生物が生きていくために必要とする
生活空間や食物は有限である。

だからむやみと個体数を増加させるわけにはいかない。

そこでその増加を制限するために、
生物の世界では競争(闘争)が起きているというのが
生存競争の考え方である。

たとえば、アメリカ合衆国の国鳥となっている
ハクトウワシは、必ず2個の卵を生む。

それも1週間のあいだをあけて産む。

そうすると、最初の卵は先に孵化する。

そのあと1週間して、あとの卵が孵化する。

当然、最初に孵化した雛は大きくなっている。

すると先に孵化した雛は、あとから孵化した雛を
殺してしまう。

それを見て、我々は残酷だと思うが、
実はハクトウワシはエサをとるのが下手で、
2羽を育てるわけにはいかないのだ。

だからあとから孵化した1羽を殺さざるを得ない。

ハクトウワシの例は種内競争だが、
異種間においても競争はある。

肉食動物が草食動物を捕食するのが、その例である。

そして、そこから「弱肉強食」という言葉が生まれた。

自然の世界は弱肉強食になっている。

つまり激烈なる競争がある。

したがって、弱い者が強い者に滅ぼされるのは
自然の摂理であって、
我々はそれに文句を言ってはならない。

日本人は競争を自然の摂理として是認する。

是認するところか、礼賛する。

だからおまえたちは競争に負けないように頑張れと
私たちは言われて続けたきた。

ところが、
現代の生物学者は「弱肉強食」という言葉を使わない。

また、「生存競争」といった言葉も使わない。

生物学者は、自然界のあり方を、
食物連鎖(food chain)と捉えている。

緑色植物が光合成によって繁殖する。

その植物を草食動物が一次消費者になって消費する。

ついで草食動物を食う小型肉食動物が二次消費者になり、
それを食う大型肉食動物が三次消費者になる。

これが自然の生態系である。

注意してほしいのは、
このどこにも「競争」といった概念はない。

もしもこのような自然の生態系に「競争」概念を持ち込むとどうなるか。

アメリカのアリゾナ州カイバブ平原で、
クロオジカを繁殖させるために、
捕食者であるピューマやコヨーテの全滅作戦を展開した。

その結果、最初は数千頭であったクロオジカが、
十数万頭にまで増えた。

ところが、そのあと食料不足が起きた。

あまりに増えすぎたクロオジカが、
植物の芽まで食べたために、
土地が荒廃し、ほとんど全滅に近いまでに個体が減少した。

捕食者のいない土地は「天国」であるどころか、
まさに「地獄」になってしまったのである。

私たちは、自然の生態系の中に競争原理を持ち込んで、
その結果、そこに「地獄」をつくりだす。

クロオジカは個体数の過剰を防ぐために、
ピューマやコヨーテに食料を提供している。

それを弱肉強食の競争原理で考えるから、
捕食されるクロオジカは気の毒だ、
捕食者を殺してしまえとなる。

私たちは、競争原理でものを考えることは
危険であることを認識すべきである。

余談だが、このクロオジカと同じようなことが
人間の世界でも起きている。

東アフリカのエチオピアで、
マラリアによる乳幼児死亡率が80%にも達するという、
悲惨で貧しい村があった。

国連のWHOは、救済のため、イタリアの医師団を派遣し、
マラリア撲滅作戦を展開した。

その結果、わずか5年でマラリアは完全に駆逐され、
乳幼児死亡率も、10%程度に下がった。

ところが、それから10年後、事後調査のために
研究グループが派遣された。

しかし、彼らは、研究目標の村を発見できなかった。

なぜなら、村が消滅していたのである。

つまり、マラリアが撲滅され、
衛生状態が改善されたために、
村の住民の死亡率は減少し、人口は急激に増加した。

しかし、その増加した人口を、
村の生産力でもっては養えない。

その結果、村は霧散霧消するよりほかなかった。

乳幼児死亡率80%というのは、なるほど悲惨きわまりない。

だが、それでもって、貧しい村の生産力が生き残った人間の
胃袋を満たすことができたのも事実である。

乳幼児死亡率が改善されると、逆に村人たちが飢えに苦しみ、
村を捨ててどこかに逃げ出すよりほかなくなる。

その結果、村が消滅してしまった。

人間も含めた生態系を人間が破壊すれば
どんな結果になるかは想像するのは難しい。

神のみぞ知ることなのかも知れない…

投稿者: book reviews

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