君たちはどう生きるか by 吉野 源三郎
吉野 源三郎
編集者・児童文学者・評論家・翻訳家・反戦運動家・ジャーナリスト。昭和を代表する進歩的知識人。
著者がコペル君の精神的成長に託して語り伝えようとしたものは何か?
それは、
人生いかに生くべきかと問うとき、
常にその問いが社会科学的認識とは何か
という問題と切り離すことなく問われねばならぬ、
というメッセージであった…
目次
1 へんな経験
2 勇ましき友
3 ニュートンの林檎と粉ミルク
4 貧しき友
5 ナポレオンと四人の少年
6 雪の日の出来事
7 石段の思い出
8 凱旋
9 水仙の芽とガンダーラの仏像
10 春の朝

MEMO
君たちはどう生きるか
◆大切な真理…
本来王位にあるべき人が、
王位を奪われていれば、
自分を不幸だと思い、
自分の現在を悲しく思う。
現在の自分を悲しく思うのは、
本来王位にあるべき身が、
王位にいないからだ。
同様に、片眼の人が自分を不幸だと感じるのも、
本来人間が2つの眼を備えているはずなのに、
それを欠いているからだ。
人間というものが、
もともと眼をひとつしかもっていないものだったら、
片眼のことを悲しむ者はないに違いない。
いや、むしろ2つ眼をもって生まれたら、
とんだ片端に生まれたものだと考えて、
それを悲しむに相違ない。
このことを、私たちは深く考えなければいけない。
それは私たちに、大切な真理を教えてくれる。
人間の悲しみや苦しみというものに、
どんな意味があるか、ということを教えてくれる。
◆本当に尊敬できる人とは…
英雄とか偉人とか言われている人々の中で、
本当に尊敬が出来るのは、
人類の進歩に役立った人だけだ。
そして、彼らの非凡な事業のうち、
真に値打ちのあるものは、
ただこの流れに沿って行われた事業だけだ。
◆生産する人、消費する人…
自分が消費するものよりも、
もっと多くのものを生産して世の中に送り出している人と、
何も生産しないで、
ただ消費ばかりしている人間と、
どっちが立派な人間か、
どっちが大切な人間か…
生み出す働きこそ、
人間を人間らしくしてくれる。
これは、何も、食物とは衣服とはいう品物ばかりのことではない。
学問の世界だって、芸術の世界だって、生み出してゆく人は、
それを受け取る人々より、
はるかに肝心な人である。
だから、生産する人と消費する人という、
この区別の一点を、決して見落としてはいけない。
◆「ありがたい」とは…
この言葉は、「感謝すべきことだ」とか、
「お礼をいうだけの値打ちがある」とかという意味で使われている。
しかし、この言葉のもとの意味は、
「そうあることがむずかしい」という意味だ。
「めったにあることじゃない」という意味だ。
自分の受けている仕合せが、
めったにあることじゃないと思えばこそ、
われわれは、それに感謝する気持ちになる。
それで、「ありがとう」という言葉が、
「感謝すべきことだ」という意味になり、
「ありがとう」といえば、
お礼の心持ちをあらわすようになった。
◆貧困
今の世の中で、
大多数を占めている人々は貧乏な人々だ。
そして、大多数の人々が人間らしい暮らしが出来ないでいるということが、
現代で何よりも大きな問題となっている。
◆人間らしい関係とは
人間が人間同士、お互いに、
好意をつくし、
それを喜びとしているほど美しいことはない。
そして、それが本当に人間らしい人間関係だ。
◆学問とは
出来るだけ広い経験を、
それぞれの方面から、
矛盾のないようにまとめあげていったものが学問。
だから、いろいろな学問は、
人類の今までの経験をひとまとめにしたものと言っていい。
そういう経験を前の時代から受け継いて、
その上で、また新しい経験を積んで来たから、
人類は、野獣同様の状態から今日の状態まで、
進歩して来ることが出来たのである。
だから私たちは、出来るだけ学問を修めて、
今までの人類の経験から教わらなければならない。
偉大な発見がしたかったら、何よりもまず、
もりもり勉強して、
今日の学問の頂点に登り切ってしまう必要がある。
そして、その頂上で仕事をする…
◆生産関係
見ず知らずの他人同士の間に、
切っても切れないような関係が出来てしまっている。
誰一人、この関係から抜け出られる者もない。
世の中には、自分で何も作り出さない人がたくさんあるけれど、
そういう人たちだって、網の目の中にはいっている。
生きていく上には、1日だって、
着たり食べたりしないではいられないから、
やっぱり、なんとか網の目とつながっていなければならない。
働かないでも食べていけるという人々は、
この網の目と、ある特別な関係がちゃんと出来ている。
こういったような関係が人間の間にあって、
それを「生産関係」と呼ぶ。
◆当たり前のことというのが曲者
分かりきったことのように考え、
それで通っていることを、
どこまでも追っかけて考えていくと、
もう分かりきったことなんて、
言っていられないようなことにぶるかる。