アドラーの教え - 幸福とは? 愛とは?

◆幸福とは? 愛とは?

幸福になるためには、
対人関係のなかに踏み出さなければならない。

人間の悩みは
すべて対人関係の悩みである。

そして人間の幸福もまた、
すべて対人関係の幸福である。

人間にとって幸福とはなんなのか?

幸福とは貢献感である。

われわれはみな、
「わたしは誰かの役に立っている」
と思えたときにだけ
自らの価値を実感することができる。

「わたしは誰かの役に立っている」
という主観的な感覚があれば、
すなわち貢献感があれば、それでいい。

われわれ仕事の関係を通じて、
自分が誰かの役に立っていることを実感する。

われわれは交友の関係を通じて、
自分が誰かの役に立っていることを実感する。

だとすれば、幸せはそこにある。

分業の根底に流れているのは
「わたしの幸せ」、
つまり利己心である。

「私の幸せ」を突き詰めていくと、
結果として誰かの幸せにつながっていく。

分業の関係が成立する。

いわば、健全なギブ・アンド・テイクが働いている。

一方、交友の関係を成立させるのは、
「あなたの幸せ」である。

相手に対して、
担保や見返りを求めることなく、
無条件の信頼を寄せていく。

ここにギブ・アンド・テイクの発想はない。

ひたすら信じ、ひたすら与える利他的な態度によって
交友の関係は生まれる。

つまりわれわれは、
「わたしの幸せ」を追求することによって、
分業の関係を築き、
「あなたの幸せ」を追求することによって、
交友の関係を築いていく。

だとしたら、愛の関係とは、
なにを追求した結果、成立するのか?

利己的に「わたしの幸せ」と求めるのではなく、
利他的に「あなたの幸せ」を願うのでもなく、
不可分なる「わたしたちの幸せ」を築き上げること。

それが愛である。

「わたし」や「あなた」よりも上位のものとして、
わたしたち」を揚げる。

人生のすべての選択について、
その順序を貫く。

「わたし」の幸せを優先させず、
「あなた」の幸せだけに満足しない。

「わたしたち」のふたりが幸せでなければ意味がない。

「ふたりで成し遂げる課題」とは、
そういうことである。

愛は、利己と利他の両方を兼ね備えるのではなく、
どちらも退ける。

なぜか?

「人生の主語」が変わるからである。

われわれは生まれてからずっと、
「わたし」の目で世界を眺め、
「わたし」の耳で音を聞き、
「わたし」の幸せを求めて人生を歩む。

しかし、ほんとうの愛を知ったとき、
「わたし」だった人生の主語は、
「わたしたち」に変わる。

利己心でもなければ利他心でもない。

まったく新しい指針の下に生きることになる。

幸福なる生を手に入れるためには、
「わたし」は消えてなくなるべきである。

book116

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