カーネル・サンダース―65歳から世界的企業を興した伝説の男 by 藤本 隆一
藤本 隆一
1962年、神奈川県生まれ。
22歳のときに渡米し、現地の大学を卒業する。
約8年間のアメリカ滞在中に、アメリカの生き方、
成功に関する考え方に強い関心を持ち、
アメリカの成功哲学、自己啓発法を学ぶ…
理想をもっとも忠実に受け継いでくれる日本が一番好きだ…
ケンタッキー・フライド・チキンを65歳で創始。
フランチャイズ制度を世界で初めて作り上げた男の知られざる生涯…
目次
第1章 転職を繰り返す半生
第2章 サンダース・カフェに寄らずに旅は終わらない
第3章 秘伝の調理法
第4章 六五歳からの再出発
第5章 ケンタッキー・フライド・チキン
第6章 引退は考えない

MEMO
カーネル・サンダース
◆人生は自分が作り上げていくもの。
そして、人生「遅い」ということはない。
カーネルはこのことを、
自分の人生で証明してくれた。
◆険しき道
ずるい手段を使ったり、
相手を欺いたり、
弱い立場の人に圧力をかけたり…さらに詐欺や不正な手段を使ったほうが、
楽に成功できる。そしてわれわれはそのような手段を使うことも、
ビジネスの一貫だとして大目に見てしまいがちである。約束したことを守りぬいたり、
自分の仕事を妥協することなく継続したり、
正しい道を貫き通して成功することは容易なことではない。簡単な道のほうが効果的で、
早く成功できるかもしれない。険しい道を進むのは努力が必要であり道のりも長い。
だが時が進むにつれ、
最初簡単だった道はだんだんと難しくなり、
険しかった道は徐々に容易になってくる。そして、長い年月とともに、
簡単な道は砂の上に立てた櫓(やぐら)のように危険が増してくるが、
険しい道はしっかりとした自信の上に作りあげられているので、
崩れることはない。
ハートランド・サンザース
◆働かなければ錆ついてしまう
晩年カーネルは
「決して引退を考えるな、
できるだけ働き続けろ」
といくつになっても働き続けることが
大事だと繰り返し強調していた。
彼の晩年のスピーチの一部を紹介する…
エデンの園で神様はアダムに、
おのれの肉体が土に帰るまで働けと言っている。定年まで働けと言っていないのだ。
もちろん、
現代社会では定年退職というものがある。だが、それが人生の終わりではない。
それは人生のひとつの区切りにしか過ぎないのだ。
いくつになっても、
自分の人生をより価値あるものにするための努力をすべきだ。何の問題も起こらない人生が、
すばらしい人生というわけではないのだ。何を始めるにしても、
ゼロからのスタートではない。失敗や無駄だと思われたことなどを含めて、
今までの人生で学んできたことを、
決して低く評価する必要はない。もし、あなたが何かいいものを作ったとしたら。
いや、いいものよりさらにいいもの、
もっともっといいものを作ったとしたら、
そしてそのことに全力で取り組んだとしたら、
あなたは成功できる。そのことは私が証明したはずだ。
私は決して特別な才能を持っていたわけでも、
特に運に恵まれていたわけでもない。私がしてきたことは、
毎日、毎日、目の前にある自分に与えられた役目、
人を喜ばせること、
人を勇気づけることに全力で取り組んで、
精一杯生きてきただけなのだ。働け! 一所懸命働くことが大事なのだ。
働かなければ錆ついてしまう。
世の中には働いて疲れ果ててしまう前に、
錆ついて駄目になってしまう人のほうがずっと多い。もし、私が錆つくようなことがあれば、
私は自分を叱るだろう。
◆カーネルの名前をさらに高めた理由は、
彼が惜しみもなく自分の財産を学校や教会、
それにさまざまな慈善団体に寄付したことだった。
◆カーネルが65歳のときにすべてを失ってゼロから始めたビジネスが、
わずか9年で自分に200万ドルをもたらすビジネスになった。
人生の不思議を感じるとともに
「あの時、人生を諦めないでよかった」
と心から思った。
◆カーネルは
レストランへのアプローチも工夫を凝らしていった。
彼は見込みがありそうなレストランを見つけると
オーナーと掛け合い、
昼の忙しい時間帯が過ぎた後か、
店を閉めた後に、
従業員の食事のために
フライド・チキンを作らせてもらうようにした。
そして店のオーナーと従業員が気に入ってくれたら、
カーネルはもう2~3日滞在して、
今度はお客に食べてみてもうらことをオーナーに提案していった。
このアイデアは多くのレストランで受け入れられた。
カーネルは当時のことを振り返り
「お金がなかったので、
広告などを出すかわりに、
自分たちがレストランでショーをやり、
お客を楽しませることにした。
この他にも、
自分に考えられるあらゆることをした」
と語っている。
◆ピート・ハーマンは後のインタビューで
「ビジネスで成功する秘訣は?」と聞かれたとき、
「それは人だ」と即座に答えている。
その言葉どおり、
カーネルは人間関係をとても大事にしていた。
<5>◆なかなか結果のでないカーネル。
今度はお客と間違われないように、
正面から入っていかずに、
最初から従業員用の裏口にまわってみた。
これでようやく店のシェフやオーナーと話す機会が
持てるようになり、フライド・チキンを試食して、
その味を評価してくれるレストランも出てきた。
だが、
努力も虚しく、
契約は一向に取れない。
ただしカーネルに諦める気はまったくなかった。
◆何軒かを訪れてカーネルは、
「レストランの営業中、
特に忙しい時間帯に行ってもなかなか相手にしてくれない」
と気がついた。
そこでカーネルは、
ランチタイムが終わった頃を見計らって訪ねるようにした。
◆65歳にして、
25年間続けてきたレストランと全財産を失ったカーネルであった。
だが、彼は落ち込んではいなかった。
カーネルの頭の中には、
ケンタッキー・フライド・チキンのことで一杯で、
過ぎてしまったことを振り返る時間も余裕もなかった。
◆カーネルは自伝の中で
「60歳を過ぎてから自分の人生を、
大きく変えた出来事が2つあった。
ひとつはハイウェイの建設で、
もうひとつはピート・ハーマンと出会ったことだ」
と語っていた。
◆挫折と、
そこから立ち上がることを、
自分の人生繰り返してきたカーネルの心には、
「どんな状況に置かれようと自分からはきらめることはしない」
という不屈の魂が宿っていた。
10代の頃から人の倍働き、
幼いときに「中途半端な仕事をしない」
と誓ったことを守り、
いつも一所懸命働いてきた体が、
休むことを許さなかった。
このときカーネルは
「何か自分にできること見つけて生涯働き続ける」
と自分自身に誓った。
◆ケンタッキーフライド・チキンのレシピ…
7つの島から集めた11種類の秘伝のスパイスとハーブで味付けをし、
純正植物油を使って圧力釜で上げる。
◆4段階テスト
- そのビジネスに嘘偽りはないか?
- そのビジネスは関係するすべての人に公平なものか?
- そのビジネスは良好な人間関係を作っていくものか?
- そのビジネスは関係するすべての人にとって有益なものか?
このテストにパスしないビジネスは、
どうせ長続きしないだろうから
やらないほうがいいよ。
カーネル・サンダース