幸福について by アルトゥール ショーペンハウアー (Arthur Schopenhauer)
アルトゥール ショーペンハウアー
1788‐1860。
ダンツィヒ生まれのドイツの哲学者。
「生の哲学」の祖。
主意主義とペシミズムの代表者。
ゲッティンゲン大学で自然科学・歴史・哲学を学び、プラトンとカント、インド哲学を研究する。
イェーナ大学で論文「充足理由律の四根について」によりドクトルの学位取得後、1820年ベルリン大学講師となったが、当時ヘーゲル哲学が全ドイツを席巻、人気絶頂のヘーゲル正教授に圧倒され辞任し、在野の学者となる…
「人は幸福になるために生きている」
という考えは人間生来の迷妄であると断じる幸福論。
自分を他人と比較し、
他人の評価をたえず気にすることが不幸の元凶であり、
名誉、地位、財産、他人の評価に惑わされず、
自分自身が本来そなえているものを育むことが幸せへの第一の鍵であると説く…
目次
第1章 根本規定
第2章 「その人は何者であるか」について
第3章 「その人は何を持っているか」について
第4章 「その人はいかなるイメージ、表象・印象を与えるか」について
第5章 訓話と金言
第6章 年齢による違いについて

MEMO
幸福について
◆人間は「ひとり在る」か、
「他者とともに在る」かのどちらかである。
人間は社会的動物なのだから、
他者とともに在ることによってしか生きられない。
しかし、孤独を愛さない者は、
自由も愛さない。
孤独のなかにこそ、
真の自由がある。
精神の平穏こそが幸福の条件であり、
本質である。
孤独とは、
みずからの原点に立ち返ることである。
こうした姿勢は、
情報とモノがあふれる現代生活において
刺激が多すぎて飽和状態になった心を適正なところに
戻そうとする動き、
たとえば瞑想などで精神の安らぎを得ようとする
「マインドフルネス」や、
モノを最小限にしか持たない「ミニマリスト」とも響き合う。
◆本来わが身に備えているもの、
それこそが幸福の源である。
そこには、生まれながらの資質ばかりでなく、
自分自身をよく知り、
自分を磨き、
自分を育てる力がふくまれる。
日常生活の諸々の事実をありのままに受け入れ、
自分はいかなる人間なのか、
自分にとって本当に大切なものは何かをとことん見つめ、
自分の可能性を模索して生きる。
◆人生の3つの財宝
- 健康・力・美・気質・徳性・知性(これらを磨くことが含まれる)
- あなたは何を持っているか(あらゆる所有物・財産が含まれる)
- あなたはいかなるイメージ・表象・印象を与えるか
◆私たちは幸福になるために生存しているという考え
そのものが人間生来の迷妄(めいもう)であり、
私たちは苦悩の中に投げ込まれた存在であり、
生にまつわるあらゆる出来事は「苦」なくして語りえない。
◆年の分だけ知恵がないと
年の分だけ厄介事を背負い込む
◆自己の人生航路をふりかえり、
その「迷宮のように錯綜(さくそう)した道程」を見渡すと、
必ずや取り逃がした幾多の幸運や、
みずから招いた幾多の不運に気づく。
そうすると、
とかく自分を極端に責めてしまう。
だが私たちの人生航路は決して、
もっぱら私たちが自分でこしらえたものではなく、
2つの要因、すなわち数多(あまた)の出来事と、
私たち自身が下した数多の決定から生じたものであり、
この両者はたえず入り混じり、
互いに修正し合っている。
これに加えて、
出来事の面でも決定の面でも、
私たちの視野は常にきわめて狭い。
いずれにせよ本当に分かっているのは、
現在の出来事と現在の決意だけである。
それゆえ、
目標がまだはるか彼方にあるあいだは、
目標めがけてまっしぐらに舵をとることができず、
推測にしたがって近似的にそちらへ方向を向けるしかなく、
しばしば巧みに困難を切り抜けながらジグザクにすすまねばならない。
つまり、うまく大目標に近づけることを期待しながら、
常に現在の状況に応じて決定を下すのが精一杯である。
◆世界を支配する力は3つある。
それは…
賢さと強さと運である。
そしていちばん物を言うのは、
最後にあげた「運」である。
換言すれば、
人生航路は舟の運行にたとえることができる。
運、すなわち幸運・不運は急速に私たちを
はるか前へ押し進めたり、
はるか後ろへ押し戻したりして、
いわば風の役割をする。
これに引き換え、
私たちのたゆまぬ努力は
わずかなことしかできず、
いわば櫂(かい)の役割をしている。
長時間せっせと漕いで、
いくらか前へ進んでも、
一陣の突風でそのぶん押し戻されてしまう。
ところが順風であれば、
櫂が要らないほど前へ進む。
◆騙し取られたお金ほど、
有益に使ったお金はない。
それと引き換えに、
とりもなおさず知恵を入れたことになるから。
◆孤独は必要である
凡欲になってはいけない
そうすれば
どこにいようとも
無人の荒野にいることができる