いつも「時間がない」あなたに: 欠乏の行動経済学 by センディル ムッライナタン, エルダー シャフィール
センディル ムッライナタン (Sendhil Mullainathan)
ハーバード大学経済学教授。俗に「天才賞」と呼ばれるマッカーサー賞の受賞者で、専門は行動経済学・開発経済学。
行動経済学の成果の社会問題への応用をアドバイススる非営利組織“アイデアズ42”の共同創立者
エルダー シャフィール (Eldar Shafir)
プリンストン大学心理学教授。ウッドロー・ウィルソンスクール行動科学、公共政策教授。
専門は認知科学・行動経済学。
行動経済学の成果の社会問題への応用をアドバイスする非営利組織“アイデアズ42”の共同創立者
いつも時間に追われていて、
思うように物事が片付けられない。
それなりの収入はあるのに、
借金を重ねてしまう。
ダイエットをしようとたびたび取り組むが、
長続きしない。
これらの原因は必ずしもその人の資質ではなく、
ある共通の要因があった。
金銭や時間などの“欠乏”が
人の処理能力や判断力に大きく影響していたのだ…
目次
第1部 欠乏のマインドセット(集中とトンネリング/処理能力への負荷)
第2部 欠乏が欠乏を生む(荷づくりとスラック/専門知識/借金と近視眼/欠乏の罠/貧困)
第3部 欠乏に合わせた設計(貧困者の生活改善/組織における欠乏への対処/日常生活の欠乏)
結論

MEMO
いつも「時間がない」あなたに
◆いつも「時間がない」と言って
忙しくしている人も欠乏を経験している。
時間が足りないと嘆く人と、
お金が足りなくて生活が苦しいと思っている人に
共通する真理がある。
その心理が行動に影響するために
似たような行動が生まれる。
自分にとって必要なものが足りないと感じるとき、
人の心に何が起こるのか。
まずはその不足をどうにかしようと集中する。
締切が間近に迫ってほんとうに
「時間がない」と感じると、
余計なことを考えずに仕事に集中する。
しかし、集中するということは、
ほかのことをシャットアウトするということである。
これをトンネリングと言う。
トンネルに入ると視野が狭くなって
周囲の景色が見えなくなるのと同じように、
集中してやっていること以外には
気が回らなくなる。
こういうとき、私たちの頭脳の処理能力は
「欠乏していること(お金、時間など)」への対処に食われて、
ほかのことに使える分が少なくなってしまう。
それは無意識のレベルにまで影響する。
だから自分では「欠乏」に追われていることとは
無関係の失敗と思っていることも、
実はそのせいで起こっているのかもしれない。
欠乏は欠乏を生む。
お金がないから借金をすると、
利子の支払いでさらに家計が苦しくなる。
目先の利益のために将来の備えを怠る。
そして突発的にお金が必要なことが発生すると、
また借金を重ねることになる。
貧しい人は思慮が浅いからそうなるのだと思う人は、
お金を時間に置き換えてみると、
自分にも経験のあることに思えるかもしれない。
時間がないからと仕事の一部を先送りしても、
いつかはそれをやらなくてはならない。
あとでやるとかえって時間がたくさんかかる。
そしてやるべき仕事がどんどん押せ押せになっていく。
そうやって人は欠乏の罠にはまって抜け出せなくなる。
このようなメカニズムの根本には処理能力の低下、
さらに「スラック」の欠如がある。
スラックとは、緩みなやたるみを意味する言葉で、
一見無駄に思われるので切り詰めたくなりがちな「ゆとり」とも言える。
この「スラック」も欠乏を理解するうえでカギを握っている。
◆人はお金がありあまっているときに貯金しない。
締切がずっと先のときにだらだらと過ごす。
◆処理能力の役割を理解することは、
貧しい人たちの具体的な状況をよりよく理解するのにも役立つ。
病気、騒音、栄養不足はたんに窮状を生むだけではなく、
いろいろなかたちで処理能力に負荷をかける。
社会的スキルの学習であれ、
賢いお金の使い方の習得であれ、
どんなかたちのスキル獲得にも処理能力が必要とされる。
貧しい人々は処理能力が不足しているのであれば、
有益なスキルの獲得に不利である。
◆貧困者にとくに不足しているのは処理能力だ。
家計をやりくりするための苦労そのものが、
この貴重な資源を奪う。
この処理能力不足は、
幼少期からの栄養不足やストレスで
脳の発達が妨げられたことによる、
よくある生理学的なものではない。
貧困によって処理能力が恒久的に損なわれるものでもない。
生計を立てることが現在の認知力に負荷をかけているのだ。
したがって、
所得が上がれば認知能力も上がる。
農民の処理能力は、
作物の売上金を受け取ったとたんに回復する。
貧困そのものが処理能力に負荷をかけ、
それを低下させるのだ。
◆頭から離れないことがあると、
よく眠るのは難しい。
◆貧困にまつわる「怠慢」の多くが、
処理能力への負荷によって理解できる。
◆処理能力に過剰な負荷がかかるということは、
新しい情報を処理する能力が下がるということだ。
たとえば、あなたが常に心ここにあらずだとして、
大学の講義はどれだけ頭に入るだろうか?
◆欠乏が気になっていると、
ほかのことに頭が回らなくなる。
◆よい親であることには多くのことが求められる。
しかし何よりも心の余裕が必要だ。
それは貧しい人たちが持っていない贅沢品のひとつである。
◆お金の欠乏を緩和するのは難しい。
数時間多く働く努力をすることはできるが、
ほとんどの場合、
あなたが差し出せるものはそれほど多くないので、
増える収入は限られていて、
あなたはもっと忙しくなり、
もっとくたびれる。
お金が少ないということは、
時間が少ないということだ。
お金が少ないということは、
人付き合いをするのが難しいということだ。
お金が少ないということは、
低品質の健康によくないものを食べるということだ。
貧困とは、
生活のほぼあらゆる側面を支える生活必需品
そのものの欠乏を意味する。
◆人は貧困から休暇を取ることができない。
ほんの少しのあいだでも、
ただ貧乏人をやめると決めることは選択肢にない。
ダイエット中の人が肥満のまま生きようと決めたり、
忙しい人が自分の野心をいくつかあきらめたりするのと同じようなことは、
貧困の世界にはない。
服を着たい、
病気から身を守りたい、
小さなオモチャで子どもをあそばせたいという基本的な欲求は、
振り捨てるのがとても難しい。
欠乏を強制されているのは貧しい人だけではない。
深刻な疾患があってダイエットしている人、
心から孤独な人、
そして家賃を払うために仕事を掛け持ちしなくてはならなくて忙しい人、
この人たちはみな選択の余地がない。
自由裁量がないと、
欠乏はとくに極端なかたちをとる。
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◆トンネリングは、
借金へのバイアスを生む。
いちばん差し迫った欠乏だけが
トンネルのなかに入るので、
ローンはとくに魅力的なのだ。
◆人は差し迫った欠乏にトンネリングを起こす。
来月空腹になると知ることは、
今日空腹であることと同じようには、
人の注意を引きつけない。
いま支払わなくてはならない請求書は
脅迫的な督促につながるが、
期限が2ヶ月ある請求書は目に入らない。
たとえ明日の欠乏について慎重に考えたとしても、
現実にはぼんやり「知っている」だけのこどだ。
それを感じることはなく、
そのため同じように心を占拠されることはない。
なぜそうなるかと言うと、
ひとつには処理能力への負荷のせいだ。
現在は自動的に人にプレッシャーをかける。
将来はそうではない。
将来に気を配るためには処理能力が必要であり、
それには欠乏が負荷をかける。
欠乏によって処理能力に負荷がかけられると、
人はいっそう、
いまこの場に集中する。
将来のニーズを推し測るには
認知資源が必要であり、
現在の誘惑に抵抗するには実行制御力が求められる。
欠乏が処理能力に負荷をかけるため、
人は現在に集中してしまい、
借りをつくることになる。
◆なぜ人は何かが欠乏した状況に直面すると
借金をするのだろう?
それは…
トンネリングを起こすからだ。
そして借金をすると、
将来的にはさらに深みにはまる。
今日の欠乏が明日の欠乏を生む…
◆最低限の生活必需品を手にするのに
たえず悪戦苦闘しなくてはならないと思うと、
将来を考える意欲はいっさいわかず、
努力する意欲を奪われるばかりだ。
ジェイコブ・リース
◆人の豊かさは
気にしないでいられるものの数に比例する
ヘンリー・デイヴィッド・ソロー(Henry David Thoreau)
◆欠乏は常に人をトンネルへと引き込むことによって、
その処理能力に負担をかけ、その結果、
人の基本的な能力を抑制する。
◆欠乏は「集中」を生むという代わりに、
欠乏は「トンネリング」を引き起こすということもできる。
つまり、目先の欠乏に対処することだけに、
ひたすら集中するのだ。
「トンネリング」は、
トンネル視を連想させることを意図した表現である。
トンネル視とは、
トンネルの内側のものは鮮明に見えが、
トンネルに入らない周辺のものは何も見えなくなる
視野狭窄(きょうさく)のことである。
集中は有益なことであり、
欠乏のおかげで人はそのとき最も重要と思われることに集中する。
トンネリングはそうではなく、
欠乏のせいでほかのもっと重要かもしれないことが
トンネルの外に押し出されてほったらかしになる。
◆あらゆる種類の欠乏が処理能力の不足も引き起こす。
そして処理能力は行動のあらゆる面に影響するので、
この不足は重要だ。
そして、欠乏はさらに欠乏を長引かかせる。
このことは、
なぜ貧しい人は貧しいままなのか、
なぜ忙しい人は忙しいままなのか、
なぜ孤独な人は孤独なままなのか、
なぜダイエットは失敗するのかについて、
まったく新しい説明を可能にする。
◆欠乏は、
処理能力のあらゆる要素を弱める。
人は洞察力が衰え、
前向きな考え方ができなくなり、
コントロールが効かなくなる。
そしてその影響は大きい。
◆欠乏はたんなる物理的制約だけではない。
それはマインドセットでもある。
欠乏は人の注意を占拠するとき、
その考え方も変える。
人は欠乏している状況で働くとき、
問題のとらえ方、対処の仕方、
取り組み方が変わる。
◆欠乏は心を占拠する。
飢えた人が食べ物のことを考えるのと同じように、
人はどんな欠乏でも経験すると、
それに心を奪われる。
心は自動的に、
いやおうなく、
満たされないニーズのほうを
向いてしまう。
空腹な人の場合、
そのニーズは食べ物だ。
欠乏は、
持っているものがごくわずかだという
不満だけにとどまらない。
人の考え方を変える。
人の心に居座るのだ。
欠乏は無意識に作用している。
心の持ち主が望むかどうかにかかわらず、
その注意を占拠する。
欠乏によって注意が占拠されると、
何が見えるか、
あるいはどれだけ速く見えるかだけでなく、
世界をどう解釈するかにも影響が及ぶ。
◆いつも時間に追われる、
かなりの収入があるのに借金を重ねる、
ダイエットが長続きしない…
これらの原因はその人の資質ではなく、
ある共通の要因がある。
何か?
金銭や時間などの「欠乏」が
人の処理能力や判断力に
大きく影響を与えている。
欠乏とは、
自分の持っているものが
必要と感じるものより
少ないことである。
失業問題は
金銭的欠乏の問題でもある。
社会的孤立の問題は
一種の人づきあいの欠乏であり、
社会的なきずなが足りないのだ。
肥満の問題も、
欠乏の問題だ。