その悩み、哲学者がすでに答えを出しています by 小林 昌平
小林 昌平
1976年生まれ。
慶応義塾大学法学部卒業。
専攻は哲学・美学。
著書『ウケる技術』(共著、新潮文庫)は20万部のロングセラーとなり、東京大学i.schoolでのワークショップの教材となるなど、その後のビジネス書に大きな影響を与えた。
大手企業に主任研究員として勤務する傍ら、学会招待講演、慶応義塾大学ゼミ講師も務める…
・将来が不安
・お金がほしい
・死ぬのが怖い
これらの現代人の悩みは
はるか昔から私たちを苦しめていた
人類共通の悩み…
であるならば、
哲学者や思想家と呼ばれる、
思考そのものを生業とする人たちが、
これらの悩みに答えを出しているはず…
目次
■仕事
「将来、食べていけるか不安」⇒アリストテレスが答えを出しています。
「忙しい。時間がない」⇒アンリ・ベルクソンが答えを出しています。
「お金持ちになりたい」⇒マックス・ウェーバーが答えを出しています。
「やりたいことはあるが、行動に移す勇気がない」⇒ルネ・デカルトが答えを出しています。
「会社を辞めたいが辞められない」⇒ジル・ドゥルーズが答えを出しています。
■自意識・劣等感
「緊張してしまう」⇒ゴータマ・シッダールタ(ブッダ)が答えを出しています。
「自分の顔が醜い」⇒ジャン= ポール・サルトルが答えを出しています。
「思い出したくない過去をフラッシュバックする」⇒フリードリヒ・ニーチェが答えを出しています。
「自分を他人と比べて落ちこんでしまう」⇒ミハイ・チクセントミハイが答えを出しています。
「他人から認められたい。チヤホヤされたい」⇒ジャック・ラカンが答えを出しています。
「ダイエットが続かない」⇒ ジョン・スチュアート・ミルが答えを出しています。
「常に漠然とした不安に襲われている」⇒トマス・ホッブズが答えを出しています。
「人の目が気になる」⇒ミシェル・フーコーが答えを出しています。
■人間関係
「友人から下に見られている」⇒アルフレッド・アドラーが答えを出しています。
「嫌いな上司がいる。上司とうまくいっていない」⇒バールーフ・デ・スピノザが答えを出しています。
「家族が憎い」⇒ハンナ・アーレントが答えを出しています。
■恋愛・結婚
「恋人や妻(夫)とけんかが絶えない」⇒ゲオルク・W・F・ヘーゲルが答えを出しています。
「不倫がやめられない」⇒イマヌエル・カントと親鸞が答えを出しています。
「大切な人を失った」⇒ジークムント・フロイトが答えを出しています。
■人生
「やりたいことがない。毎日が楽しくない」⇒道元が答えを出しています。
「人生の選択に迫られている」⇒ダニエル・カーネマンが答えを出しています。
「夜、孤独を感じる」⇒アルトゥール・ショーペンハウアーが答えを出しています。
■死・病気
「死ぬのが怖い」⇒ソクラテスが答えを出しています。
「人生がつらい」⇒マルティン・ハイデガーが答えを出しています。
「重い病気にかかっている」⇒ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインが答えを出しています。
MEMO
その悩み、哲学者がすでに答えを出しています
◆何かを失い、
貧しくなった方が、
収穫は豊かになる。
なぜか?
本質的でないことを捨て、
大事なことだけに向き合えるから…
◆世間に合わせるのではなく、
自分本位に生きる。
◆寂しさにかられてむやみに他人と寄り添いたがる
世間の人たちをよそに、
群れたい衝動をコントロールし、
自分の内面を深く耕すことをよしとすべき…
早くから孤独になじみ、
孤独を愛するところまできた人は、
金脈を手に入れたようなもの…
◆幸福の基本は自分の外に何ものも期待せず、
自分のうちにあるもので楽しむことである。
自分自身だけをあてにしてきた人間、
自分にとって自分自身が一切合切でありうる人間が
最も幸せだ。
なぜか?
人間は誰でも最も完全に融和できるのは、
自分自身を相手にしたときだけだから…
◆我々の不快はすべて独りでいることができない
ということから起こっている。
我々の苦悩のほとんど全部が
社交界から生じるものである。
それでも、
人間は群れたがる。
孤独をいやがり、
自分を捨ててまで社交に向かう
「群居本能※」を避けがたく抱えている。
なぜか?
自分がないから。
自分の内面が貧困だから。
断片的な中身しかもたないから。
人間が孤独をつらいと感じる理由は、
「人間の内面的な空虚さと貧弱さ」ゆえであり、
自己の内面の空虚と単調から生じた社交の欲求が、
人間を集まらせる。
※人間およびある種の動物は群れをつくって生活することを好む傾向がある。
このような傾向を「群居本能(ぐんきょほんのう)」という。
◆どれだけ親しい友人や恋人といても、
完全な融和はできない。
なぜか?
人と一緒にいても、
個性や気分の相違のために、
必ず不調和が生じるから…
◆人付き合いとは、
他人に合わせるがゆえに
「自分を捨てる」ことだ。
◆孤独に耐えられない、
寂しいからといって、
他人と一緒にいたってろくなことはない。
◆人が生きていることを実感し、
自己肯定感を感じられるのは
「チャレンジとスキルのバランスがとれている時」
である。
「チャレンジとスキルのバランスがとれている」とは、
「できないかもしれないこと」と
「絶対にできること」のあいだにある仕事…
つまり、
自分の能力でできるぎりぎりの仕事だ。
◆スキマ時間の集積だけで
やりたいことをやるのは難しいので、
早朝に起きるなどして、
誰にも煩わされない、
まとまった時間を日常的に確保する
対策が必要になる。
◆お金持ちになるには
人生の目的をお金というただ一点に定め、
すべての時間をお金稼ぎに注ぎ込み、
それ以外には目もくれない。
それぐらい徹底して「金の亡者」になれば、
富があなたのもとへ集まるようになるのか?
それは違う…
お金持ちになるのは、
金銭欲の強い、
お金に執着する人であるとはかぎらない。
むしろ、お金という富への執着を捨て、
ストイックに働いた人が結果としてお金持ちになる。
宗教で、
「神さまに救済される人間は最初からすでに決められている」
という考え方を「予定説」と言う。
「予定説」では、
善人がよい行いを積めば天国に行けるともかぎらない。
悪い人が悪い行いをし続けても地獄に行くともかぎらない。
神は最初から、
救うべき人間を、独断で、
一方的に決めていると考える。
「予定説」では、
だれが神に救われる人なのか、
わからない。
わからないと、
不安と緊張が生まれる。
救われるか救われないか、
「宙吊り」にされているからこそ、
人は必死になる。
少しでも気を抜いたり、
暇があったりすると不安に駆られて、
神に定められた「天職」にせっせと勤しむようになる。
自分に向いている仕事(天職)でたゆまぬ努力をし、
人々全体の生活のためになった結果として
お金が儲かり、富裕になる。
自分が救われる人間であるという確信を強くするには、
労働の対価である利益がどれだけ多いか、
その「量」も重要になる。
そのためにはできるだけ長く、
一心不乱に仕事に打ち込むこと。
つまり、
時間の管理が重要になる。
私たち人間を突き動かすエンジンがあるとしたら、
それはお金そのものではない。
勤勉になれる動機を、
お金以外のところに見つけ出す必要がある。
それは、
自分版の「予定説」を見つけ出すことでもある。
◆忙しい。時間がない
- 時間は自分だけのひろがりをもち、自分ひとりの中で、過去も未来もつながって、4次元のようなものになる。
- 本来、自分ひとりの時間を濃密に生きることで自由であるべき人間が、他人との約束や世の中の習慣に流され、スケジュールを入れまくることで自分は充実していると勘違いし、そのことを反省することもなく生きる。
- 常識的な時間の概念にとらわれて、私たちは本来のあるべき時間=自由をいとも簡単に捨ててしまっている。
- 本当に自由な時間とはごく主観的な時間のことであり、他人から言われた予定をむやみに詰め込むよりも、あとで振り返るとずっと生産的で、充実した時間だったりする。
◆将来、食べていけるか不安
どうすれば、
「将来食べていけるのか」
という心配を払拭できるのか?
それには
「将来の目的や計画をいったん忘れ、
今この瞬間のやりたいこと、
やるべきことに熱中する」
ことだ。
- キーネーシス的な行為:将来の目的を最優先にした行為
- エネルゲイヤ的な行為:将来の目的を度外視し、今この瞬間に集中する行為
キーネーシス的な行為は、
「目的が今の自分の<外>にある行為」と言い換えることができる。
たとえば、
今の自分の楽しみを犠牲にして、
将来の自分のために備蓄するような行為。
その反対に、
「エネルゲイア的な行為」は、
刹那の快楽にまかせて、
その瞬間その瞬間に生きるために、
将来に不安を積み残す…
と感じる人もいるかもしれない。
しかし、実際はその逆である。
「エネルゲイヤ的な行為」とは
「今、自分にとって楽しく充実しているという状態」
がそのまま「すでになしとげた成果」になることだ。
目的を度外視してプロセスにのめり込むことが、
(それとは逆の)
「目的達成を優先する思考」が追い求める「よい結果」を、
あくまでも結果的に、
導いてしまう。
「キーネーシス的な行為」のように、
最初からいい結果を狙う、
目的から逆算して今やるべきことをやるのは、
一見賢いようで、
実は「今この瞬間」に没頭していないだけ、
「今この瞬間」に没頭している人よりも
パフォーマンスが落ちる。
目的重視の「キーネーシス的思考」と
プロセス重視の「エネルゲイア的思考」。
両者をバランスよく発揮させることが
現実的には最もいい活動のしかたと言える。
◆真実の幸福を得るためには、
肉体を切り離し、
魂それ自身となり真実を追求すること…
すなわち、
哲学とは生きながら
「死ぬことを練習すること」
である。