六つの精進 DVD付 すばらしい人生を実現するために by 稲盛 和夫
稲盛 和夫
1932年、鹿児島生まれ。
鹿児島大学工学部卒業。
59年、京都セラミック株式会社(現・京セラ)を設立。
社長、会長を経て、97年より名誉会長。
また、84年には第二電電(現・KDDI)を設立、会長に就任。
2001年より最高顧問。
2010年2月より日本航空会長、内閣特別顧問に就任。
一方、1984年には稲盛財団を設立すると同時に「京都賞」を創設。
毎年、人類社会の進歩発展に功績のあった方々を顕彰している…
いま、
語り尽くす「稲盛人生訓」の神髄!
京セラ、KDDIをつくり、
JALの再建を託された著者が実践してきた6つの教え…
目次
1 誰にも負けない努力をする
2 謙虚にして驕らず
3 反省のある毎日を送る
4 生きていることに感謝する
5 善行、利他行を積む
6 感性的な悩みをしない

MEMO
六つの精進
◆十分な反省、
また二度とそういう不祥事は起こさないという
決意はしなければならないが、
いつまでもクヨクヨと心配する必要はない。
見も心もズタズタになるぐらいに
うち萎(しお)れている自分を逆に励まし、
立ち直っていけるようにしていくことが大切だ。
◆失敗は、反省したら忘れなさい
人生では心配事や失敗など、
心を煩わせるようなことがしょつちゅう起こる。
しかし、
一度こぼれた水が元へと戻ることがないように、
起こしてしまった失敗をいつまでも悔やみ、
思い悩んでも意味はない。
クヨクヨと思いつづけることは、
心の病を引き起こし、
ひいては肉体の病につながり、
人生を不幸なものにしてしまう。
すでに起こってしまったことはいたずらに悩まず、
あらためて新しい思いを胸に抱き、
新しい行動に移っていくことが大切。
すんだことに対して深い反省はしても、
感情や感性のレベルで心労を重ねはならない。
理性で物事を考え、
新たな思いと行動に、
ただちに移るべき。
そうすることで人生を
すばらしいものにしていく。
「感性的な悩みをしない」とは、
意味のない心労を重ねることをやめること。
起きてしまったことはしょうがない。
キッパリとあきらめ、
新しい事(仕事・勉強・実習)
に打ち込んでいくことが肝要だ。
◆感性的な悩みをしない
すんだことに対して深い反省はしても、
感情や感性のレベルで、
心労を重ねてはならない。
理性で物事を考え、
新たな思いと新たな行動に、
ただちに移るべきだ。
◆小善 vs 大善
友人がお金に困っていると頼ってきたときに、
単に情けをかけてあげるのは、
助けてあげているようにみえるけれども、
それはだらしない友人をさらに
だらしなくしてしまう。
大きな借金を抱え、
クビが回らなくなってしまったのは、
その友人のいい加減さ、
だらしなさ、計画性のなさが原因なので、
かわいそうだと思ってお金を貸してあげることは、
その友人のいい加減さ、
だらしなさをさらに助長することになる。
それは、
まさに友人を擁護する「小善」だ。
そういう愛し方、
そういう情けのかけ方というのは、
その友人をさらに悪い方向へと導いてしまう。
「かわいい子には旅をさせよ」と言う。
そのように、
「大善」は一見すると非情に思える。
友人が「お金を貸してくれ」
「連帯保証人になってくれ」
と頼ってきたときには、
友人がそこまで陥った経緯をよく聞き、
よく調べ、もしそれが友人のしでかした不始末、
いい加減さの結果であるのだとわかれば、
お金は貸せないと毅然として断り、
友人が苦難を真正面から受け、
立ち直っていくように導いていくことこそが、
「大善」である。
相手のいうことに唯々諾々(いいだくだく)と従い、
お金を貸したり連帯保証人になったりして、
自分までが引きずり込まれ、
たいへんな目にあってしまうのは、
その善行が「小善」だからだ。
ただ単に情けをかけてあげればよいというものではなく、
判断をするそのときに、
小善的な判断をしたのか、
大善的な判断をしたのか、
つまり、
情けのかけ方が問題なのだ。
◆バカ正直に善行を積むこと、
つまり、世のため人のために
一生懸命利他功に努めること。
それが人生を、
また経営をさらによい方向へと
変えていく唯一の方法である。
◆運命と立命
この世には因果報応の法則があり、
よい行いを重ねていけば、
その人の人生にはよい報いがある。
◆善行、利他行を積む
利他行、つまり
親切な思いやりの心、慈悲の心で
人にやさしく接することは、
たいへん大切なこと。
必ず、あなたにすばらしい幸運を
もたらしてくれる。
◆「ありがとう」とは、
いまありえないことが存在する、
つまり「有り難い」ことが起こっているという意味。
◆生きていることに感謝する
生きていること、
いや、生かされていることに感謝し、
幸せを感じる心によって、
人生を豊かで潤いのあるすばらしいものに
変えていくことができる。
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◆自分の悪い心、自我を抑え、
自分がもっているよい心を
心の中に芽生えさせていく作業が、
「反省をする」ということである。
よい心とは、
心の中にある「真我」、
つまり、「利他の心」。
他を慈しみ、
他によかれかしと思う、
やさしい思いやりの心。
それに対して、
「自我」とは、
自分だけよければいいという
「利己的な心」、
厚かましい強欲な心のこと。
今日1日を振り返り、
今日はどのくらい自我が顔を出したかを考えてそれを抑え、
真我、つまり利他の心が出るようにしていく作業が
「反省」である。
◆心の中に善き思いを抱けばよい実を結び、
悪い思いを抱けば悪い実を結ぶ。
だから、
自分の心という庭の雑草を抜き、
自分が望む美しい草花のタネを蒔き、
丹念に水をやり、肥料をやって
管理をしていかなければならない。
まさにそれが、
反省をするということである。
反省をすることによって
自分の心を磨いていくことができるし、
そのことがすばらしい幸せを
我々にもたらしてくれる。
◆すぐれた園芸家は庭を耕し、
雑草を取り除く。
同様に私たちは、
自分の心の庭を耕し、
毎日の反省をすることによって雑草、
つまり自分の邪(よこしま)な思いを取り除き、
そこに新しい思いを植えるように
しなければならない。
つまり、
邪な心を反省し、
善き思いを心の庭に育てて
いかなければならない。
ジェームズ・アレン
◆もしあなたが、
自分の心の庭に美しい草花のタネを蒔かなかったならば、
雑草が生い茂る荒れた庭のままになってしまう。
つまり反省をしなければ、
心は雑草のみが生える荒れた庭になってしまう。
ジェームズ・アレン
◆すばらしい人生を送るためにも、
日々反省をし、自分の心、
自分の魂を磨くことは
たいへん大事なこと。
一生懸命に働くということと同時に、
この反省をするということを毎日繰り返していけば、
魂は鈍化され、美しい魂、
よい魂へと変わっていく。
◆1日が終わったとき、
その日を振り返り、
反省をするということは、
とても大切なことである。
今日は人に不愉快な思いをさせなかったか、
利己的な言動はなかったか、
卑怯な振る舞いはなかったか、
人間として正しいことを行ったかどうかを
確認する作業が必要である。
◆反省のある毎日を送る
自分の悪い心、自我を抑え、
自分がもっているよい心を
心の中に芽生えさせていく作業が、
「反省をする」ということなのだ。
◆謙虚な振る舞い、
謙虚な態度は、
生きていくうえで
たいへん大切な資質である。
しかし、
人は往々にして成功したり
地位があがったりすれば、
謙虚さを忘れ、
傲慢になりがち。
こうしたときこそ、
「謙虚にして驕らず」ということが、
なおのこと大切である。
◆ただ謙のみ福を受く
謙虚でなければ幸福を受けることはできない。
幸福を得られる人はみな謙虚でなければならない。
◆謙虚にして驕らず
成功する人とは、
内に燃えるような情熱や闘争心、
闘魂をもっていても、
実は謙虚で控えめな人なのだ。
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◆自分の魂を磨き、
美しい心をつくっていく。
美しい心ができさえすれば、
自然に善きことを思い、
善きことを実行するようになる。
◆魂を磨いていけば、
そこには利他の心、善き心、
思いやりのあるやさしい慈悲の心が
芽生えていくる。
◆一生懸命に働けば、
禅宗の修行の過程と同じように
雑念妄念(もうねん)を浮かべる暇がない。
つまり、
一生懸命働くということは、
人間の魂を磨くことにも
つながっていく。
◆小人閑居して不善を為す(しょうじんかんきょ)
人間というものは、
暇があればろくなことを考えないし、
ろくなことをしない。
忙しいということ、
一生懸命に働くということは、
よけいなことを考える暇がない
ということを意味する。
◆一生懸命に働きながら、
もっとよい方法で仕事を進めたいと考えていけば、
毎日が創意工夫の連続になっていく。
今日よりは明日、
明日よりは明後日と、
自分で工夫して仕事をしていくようになる。
◆自分の仕事を好きになり、
一生懸命に仕事をすれば、
少しでもよい方向へ仕事を進めていきたいと思い、
もっとよい方法はないだろうか、
もっと能率が上がる方法はないだろうかと、
誰でも考えるようになる。
◆好きな仕事についている人はよいが、
好きな仕事につけるという幸運な人は、
そうはいない。
たいていは生活のために
その仕事をしているという人が
ほとんどだと思う。
ならば、
その仕事を好きになる
努力をするということが必要だ。
◆惚れて通えば千里も一厘
惚れた人に会いに行こうと思えば、
千里の道も一厘にしか思えない。
どんなに疲れていても、
好きな人に会いに行こうと思えば、
千里の道のりであっても、
何とも思わずに歩いていける。
それが
「惚れて通えば千里も一厘」
の意味である。
◆一生懸命に働くというのは、
苦しいことである。
その苦しいことを毎日続けていくためには、
いま自分がやっている仕事を好きになることが必要だ。
好きなことであれば、
いくらでも頑張れる。
◆一生懸命に働く、
誰にも負けない努力をするのは、
この世に生きるものの当然の義務であり、
その義務から逃れることはできない…
◆いろんな人に
「一生懸命に働いていますか」と聞くと、
「はい、働いています」と返ってくる。
それでは意味がない。
「誰にも負けない努力をしていますか?」
「誰にも負けないような働き方をしていますか?」
と聞くべきである。
◆学問がなかろうと、
黙々と一生懸命に働くことが、
すばらいし結果を招く。
◆一般には、
経営をするには経営戦略、経営戦術が
大事だと言われているが、
一生懸命に働くということ以外に
成功する道はありえない。
◆誰にも負けない努力をする
すばらしい人生を生きるにせよ、
すばらしい企業経営をするにせよ、
誰にも負けない努力をすること、
一生懸命に働くことが必要である。
このことを除いては、
企業経営の成功も
人生の成功もありえない。
◆「六つの精進」は、
企業経営をしていくうえでの
必要最低限の条件であるとともに、
人間としてすばらしい人生を
生きていくために守るべき
必要最低限の条件でもある。
- 誰にも負けない努力をする
- 謙虚にして驕らず
- 反省のある毎日を送る
- 生きていることに感謝する
- 善行、利他行を積む
- 感性的な悩みをしない