かけがえのないもの by 養老 孟司
養老 孟司(ようろう たけし)
1937(昭和12)年鎌倉生れ。解剖学者。
東京大学医学部卒。東京大学名誉教授。
心の問題や社会現象を、脳科学や解剖学などの知識を交えながら解説し、多くの読者を得た。
’89(平成元)年『からだの見方』でサントリー学芸賞受賞。
新潮新書『バカの壁』は大ヒットし2003年のベストセラー第1位、また新語・流行語大賞、毎日出版文化賞特別賞を受賞した…
かけがえのないもの、
それは人の手のはいっていないもの、
すなわち自然、子ども、からだ…。
予測のつかないそれらとの付合い方を、
日本人は知っていたはずだ。
結果を予測し、
何事にも評価を追い求める生き方はつまらない。
何が起きるか分からないからこそ、
人生は面白い。
自分で考え、まずやってみよう…
目次
第1章 自分のことがわからない
第2章 人間の構造
第3章 かけがえのない未来
第4章 わけられない自然
第5章 かけがえのない身体
第6章 からだは表現である
第7章 自然と人間の共鳴
第8章 かけがえのない自然
終章 意識からの脱出

MEMO
かけがえのないもの
◆波や地面、虫など何でもいいので、
人間が意識してつくったものでないものを、
1日に1回、15分でもよいので見て欲しい。
たとえば、
1本1本の木を見る…
人間がつくっていないものや
事象もそれなりに意味があって、
存在・活動している。
これらを観察し、
みずからの解答を探す出すようにするとよい。
そういう生活、考え方が
基本的にはゆとりを生んでいく。
◆手帳に書かれた現在
予定は未来の行動を拘束する。
「予定」は
数ヶ月前から私たち自身の
行動を拘束するから、
それはもう現在と考えるべき…
つまり、
意識化された予定というものが
現在なのだ。
◆GDPではなくGHN
そろそろ、
日本もGDP(国民総生産)ではなく、
ブータンのようにGHN(国民総幸福)を目指すべきかも。
GDP:Gross Domestic Product
GHN:Gross National Happiness
◆自分の過去を否定してしまった人は、
他人にどうしろと言えなくなる。
それが歴史観の問題につながる。
◆身についたものだけが財産
財産というのは
自分の身についたものだけだ。
それはお金でもないし、
先祖代々の土地でもない。
戦争があればなくなってしまう。
しかし、
もし財産といういものがあるとしたら、
それはお墓に持っていけるものだ。
お墓に持っていけるものというのは
自分の身についたもの。
自分の身についた技術は
墓に持っていける。
だからそれが
自分の財産なのだ。
◆生老病死(しょうろうびょうし)
いくら一生懸命考えても、
「生」まれて、
「老」いて、
「病」んで、
「死」ぬ
ことには変わりない。
生老病死というのは、
人の本来の姿である。
私たちは生老病死を
まぬがれることはできない。
そのことを自覚することが大切である。
◆子どもの財産
すべてが予定の中に組み込まれていったとき、
いったい誰が割を食うか?
それは子ども。
なぜか?
子どもというのは
何も持っていないから。
知識もなく、経験もない、
お金もない、力もない、
体力もない。
何もない。
では、
子どもが持っている財産とは何か?
それは、
一切何も決まっていない未来、
漠然とした未来である。
だから、
予定を決めれば決めるほど、
子どもの財産である未来は確実に減ってしまう。
大人は、
先のことを決めなければ
一切動かないという
困ったクセがついてしまった。
◆時間泥棒
時間泥棒に会いたかったら、
朝9時ごろの出勤時間に
東京駅の丸の内側に立っていればよくわかる。
灰色の服を着て、
灰色の帽子をかぶって、
黒いカバンを持った人が
続々と現れてくる。
そしてすべてを予定して、
こうすればああなる、
ああすればこうなる、
といって物事を進めていく。
◆現在とは
「現在」というのは、
当然起こるべき未来、
すなわち予定された未来、
決めてしまった未来のこと。
都会ではなんでも予定化しようとする…
だから、
現在がどんどん大きくなって
未来を食っていく。
言い換えれば、
未来がどんどん削られていく。
◆かけがいのない人
我々個人が持っている自然と人工、
あるいは心と身体の釣り合いのようなものがある。
両者がうまく均衡する状態に落ち着いたとき、
いちばん安心できる。
かけがえないない人間というのは、
そういう存在だ。