人生は負けたほうが勝っている

人生は負けたほうが勝っている―格差社会をスマートに生きる処世術 by 山崎 武也

山崎 武也

1935年、広島県生まれ。
59年、東京大学法学部卒業。
ビジネスコンサルタント。

株式会社インタナショナル・アイ社長として国際関連業務に幅広く携わる一方で、著作にも本格的に取り組み、同時に茶道裏千家などの文化面でも活躍している…

弱みをさらす、騙される、尽くす、退く、逃がす…

あなたはちゃんと、人に負けているか。

負けられない人間は、
まわりから妬まれ、疎まれ、
人生において大勝ちを手にすることができない。

目次

第1章 上手に出世するための負け(失敗する/難しい仕事をする ほか)
第2章 人に好かれるための負け(弱みを見せる/じっくり聞く ほか)
第3章 悪から身を守るための負け(無言を貫く/損切り ほか)
第4章 妬まれずにトクをするための負け(マイペース/教える ほか)
第5章 幸せを味方にするための負け(借りを残す/不便を選ぶ ほか)

人生は負けたほうが勝っている

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MEMO

人生は負けたほうが勝っている

◆今の日本人に品はあるか

「衣食足りて礼節を知る※」
といわれている。

だが、客観的には「足りて」いると見えるときでも、
当人が「足りない」、
すなわちまだほしいと思っていると、
逆に礼節が失われる傾向が見られる。

強欲な人には、
衣食が足りたと思うときは
やってこないのだろう。

ポイントは、
本人が「足るを知る」ところにある。

すなわち、
自分の能力と周囲の状況や時代の流れなどを考え合わせて、
その時点において自分なりに満足するかどうか、
にかかっている。

そのように考えると、
「衣食足りて礼節を知る」
というのが正解であろう。

※人は、物質的に不自由がなくなって、初めて礼儀に心を向ける余裕ができてくる。

◆天気がよいと悲しみ、雨が降ると喜ぶ人

「繁栄は友をつくり逆境は友を試す」
という諺が西洋にある。

景気がよくて豊かなときは友人も寄ってくるが、
逆境になって初めて真の友人かどうかがわかる、
というものだ。

友人についてのみならず自分自身についても、
真骨頂がわかるのは逆境のときである。

逆境を深刻に考える必要は必ずしもない。

こんな話がある。

天気がよいと悲しみ、
雨が降ると喜ぶ人がいる。

それは、
天気がよいと、
そのうち必ず雨が降る日がくることを思い、
雨が降ると必ず晴れの日がやってくることに
期待を寄せるからである。

◆逆境を楽しむ

人生には山あり谷ありで、
「禍福は糾(あざな)える縄の如し※1」
である。

悪いこととよいことが、
より合わせた縄のように、
代わる代わるやってくる。

その都度、
自分の感情に流されて、
悲しんだり喜んだりして生きていくのも
一つの生き方である。

それが自然にできる人は、
ある程度「悟り」を開いている。

普通は、逆境にあっては、
そこから早く抜け出したいと思う。

ただそう願っているだけの人もいれば、
悪戦苦闘し努力の限りを尽くしている人もいる。

だが、抜け出そうとする気持ちばかりが先に立って、
むやみにもがいても、
あまり効果は期待できない。

やはり、
事態をよく観察して正確に把握したうえで、
どのようにするかを考えなくてはならない。

対処の仕方には、
さまざまな選択肢がある。

何らかなの効果的な方策を講じたほうがよいか、
それともそのままにして時の経過と共に好転するのを待つべきかなどと、
いろいろ考える。

嫌な状況から早く逃げ出したいと思う余り、
すぐに対策を考えたい気持ちになるのは当然である。

しかし、「急(せ)いては事を仕損じる」。

まずは、逆境を詳細に観察するのが先決問題である。

そこから抜け出すことは
頭の中から外して、
状況を虚心坦懐(きょしんたんかい※2)に眺めると同時に分析してみる。

また、逆境であれ順境であれ、
生きている瞬間の一つひとつが、
かけがいのない、
自分の人生の一コマであると考えれば、
すべての状況を「いとおしく」さえ感じるはずだ。

逆境とても、
おろそかにはできないという気持ちになる。

すると、逆境もそのままに受け入れて、
できれば何とかして楽しむ方法はないか、
と考える余裕までも生じてくる。

そのように考えた途端に、
すでに逆境を楽しむ心境になっている。

※1幸福と不幸は、より合わた縄のように交互にやってくること。

※2先入観を持たず、広く平らな心。また、そうした心で物事に臨む態度。

◆不便を選ぶ

車を利用する場合を考えてみればよい。

歩いたり走ったりするよりも、
速くて楽である。

車に乗ってばかりいると
運動不足になる。

そこで、
忙しい時間の合間を見つけて、
ランニングをしたりトレーニングに励んだりする。

汗をかいて気持ちがよいといっているが、
本音は仕事から束の間逃れた開放感があるだけではないか。

後でビールなどを飲めば、
運動した努力も帳消しになる。

◆「ない」ということは無限

これは、
持たざる者の強みである。

「負け惜しみ」ではないかというのは、
持てる者の「勝ち誇り」という傲慢さの表れでしかない。

そもそも、
「ある」というのは有限であり、
限定的である。

それに反して、
「ない」というのは無限であり、
条件によって縛られない。

あらゆる発展の可能性を秘めている。

◆腐れ縁には「くれてやる」

「金の切れ目が縁の切れ目」
という諺がある。

金がなくなったら、
つきあいが絶たれるという意味である。

それをひねって
「縁の切れ目には金が要る」
ということができるし、
それが現実である。

一般的には縁を切りたい側が
金銭を支払うのが原則だ。

手切れ金を払って相手が引き下がる、
という構図である。

「金と共に去りぬ」という
状況をつくり出すのだ。

風のようにさっと相手に金を与えて、
風のように速く相手に目の前から消えていってもらう。

そのような場合に使う金は、
必要経費であるので、
出し惜しみをしてはならない。

そこで自分には権利があって
相手に義務があるなどといっていたのでは、
自分の貴重な時間と将来を犠牲にする結果になる。

腐れ縁を切るには、
金を「くれてやる」という姿勢が必要である。

◆情報を抱え込んでいたら、
新しい情報が入ってこないことを
知らなくてはならない。

情報の古い「在庫」は、
すぐに役に立たなくなる。

次々と新たな情報を「仕入れ」ていく、
積極的な姿勢が必要である。

情報にも賞味期限あることを
忘れてはならない。

◆受け取らない(ただでもらうと損をする)

「ただより高いものはない」
とよくいわれている。

ただでもらえば、
そのときは何か得をしたような気になるが、
そこで「恩義」を感じて、
後から何かをあげたりしたりする結果になるので、
結局は高いものになる。

おいしい話を教えてくれる「親切な人」にも注意が必要である。

儲け話を持ってくる人は危険な人である。

特に、見も知らぬ人が電話を掛けてきたり
資料を送ってきたりして、
投資の勧誘などをする場合である。

人に儲けてもらい喜んでもらおうとする、
そのように「親切な人」がいるはずがない。

儲け話は彼らの「餌」である。

人をおびき寄せる手段であって、
自分たちが儲けようとしているのだ。

餌食になる側として、
儲かる「かもしれない」だけで、
せめてその夢を見させてもらって喜ぶ。

その喜びがぬか喜びに終わる可能性は高い。

都合のよい話が舞い込んできたときは、
まず、今の時点で自分のところになぜその話がきたかを考え、
そこに必然性がないときは、
相手にしないことだ。

その話の裏や底に何かの魂胆があるのは
確実だからだ。

◆あげる

友人に貸すときは、
最初から返してもらうことを期待しないで、
「贈与」したと思っておいてほうが無難だ。

または、できるだけ早い機会に、
請求して返してもらっておくこと。

親しい人が困窮しているときに、
金を貸してくれと頼まれたら、
何とか助けてあげようと考えるのが人情だ。

だが、
そのとき、貸した金は返ってこないものだという前提に立って、
どうするか考えなくてはならない。

すなわち、
返ってこなくても自分にとって支障がない金額までしか
貸すべきではない。

冷静に状況判断したうえで、
冷たいといわれようが、
金は貸さないという勇気を持たないといけないときもある。

安易に金を貸すのは、
相手に対しても自分自身に対しても、
一時的な気休めにしかならないことに
気づく必要がある。

人が金を借りるときの保証人になるのは、
もっての外の軽率な行為である。

というよりも、
暴挙であるといったほうがよい。

人を助けるときは、
それによって自分の生活が大きく危機に
瀕することがない点を、
きちんと見極めてからにする。

自滅にまで至る恐れのある負け戦には、
加わるべきではない。

◆英語より日本語

日本人同士の場合は、
まず最初には、
正しい日本語を美しく使えるかどうかで、
優劣が決まってくる。

まず、日本語力を磨くのが先決問題である。

英語力を磨くには、
さまざまな学習の機会を求めて、
外に働きかけたうえで努力しなくてならない。

しかし、
日本語の場合は、
日常生活の中において、
ちょっと気をつけて言葉に磨きを掛ける
熱意さえ持ち続ければ、
自然に結果が出てくる。

日本人と日本語に誇りを持って、
外国の人と接するときも物怖じすることのないようにしたい。

英語が話せなくてもよいが、
日本語が話せないのは恥だ。

————————————-
◆家出する(家出は平和的解決方法)

親は子の幸せを願っている。

つつがなく生きていけることを望み、
生計が立つような道をあれこれと考える。

最も安定した生活を確保させようとするので、
そのために子どもはどうしても勉強を強いられる結果になる。

収入も多く社会的地位も高い職業につかせようと思ったら、
それは皆が狙っている方向なので、
いくつかの「狭き門」をくぐっていかなくてはならない。

子どもが好きなことが、
その方向に合致している親は、
このうえない幸運に恵まれた人だ。

黙々として子の援助を続けていけばよいので、
あまり苦労をすることもない。

たとえ経済的に苦しい思いをしている親であっても、
本当に「できる子」であれば、
さまざまな手段がありシステムができている。

当たって砕ければ、
ほとんどの場合には道は開けてくる。

子どもの好きなことが、
将来において安定や安全の保障がない分野に
属するものであるときは、
親としては悩む。

辛うじてしか食べていけない職業に
つながっていく場合は、
何とかして方向転換をさせようとする。

たとえ、
その点に関して子どもに優れた才能が
見られたときでも、
成功する確率が低いとして、
その道を断念させようとする。

親が勝手に最も安全であると考えた道へと
子を強制したときに、
悲劇が起こる。

人生でいちばん楽しいはずである
少年期や青年期を抑圧された環境の中で
過ごすことになる。

子としては、
まったく自由のない強制収容所の中で暮らすにも
等しい毎日になる。

ある医師の親に同じ道を目指すようにと
勉強を強制された少年が、
自宅に放火して母や弟妹を焼死させる結果になった事件がある。

少年としては勉強をしなくてすむ方法はないかと考え、
家という勉強をする場所がなくなればよい、
と短絡的に考えたのだ。

自分の身を守るために
「緊急避難」に等しい行為であるといえる。

この少年の場合には、
もっとよい平和的な解決方法があった。

障害を取り除こうとしないで、
避けようとすればよかったのだ。

すなわち「家出」である。

強制収容所であれば火事にしたりして
建物を破壊しなくては逃げ出せないが、
自宅では四六時中監禁されていたのではないので、
こっそりと出て行くのは簡単だったはずだ。

ある程度は文字どおり路頭に迷うことがあったとしても、
やる気さえあれば、
何とか生きていくことは可能である。

人生航路の中で障害物に出合ったとき、
人に迷惑を掛けないで自力で切り開いていく自信があれば、
挑んで切り崩していく。

自分の力には負えない障害物であると思ったら、
それを避ける方法を考える。

障害物を取り除こうとすれば犯罪になる可能性があるときは、
そのような切り崩し方をしてはいけない。

自分の身を守るためには、
そこから走って逃げるのである。

「三十六計逃げるに如かず」である。

人や物に害を与えないで逃げるのは、
最も平和的な解決方法である。

敵に後ろを見せれば、
自分は敵を見ないことになるので、
いさかいのしようがない。

◆損切り(大きな障害が現れてその除去が不可能に近いと思ったら、あっさり見切りをつける)

中学時代の先輩に、
極度に体の弱い人がいた。

彼は常に上を目指して努力する勉強家であった。

だが、病身というハンディキャップはいかんともし難く、
大学受験を志していたが、
いずれも失敗してしまった。

彼はいつも、
「ここまでこれほど頑張ったのだから、
ここで止めたら損だ」といっていた。

結局は初志を貫徹することはできず、
心身ともに疲れ切ってしまった。

自分の体の状態や調子をきちんと見極めて、
早い時期で将来の道について
転換を図っておくべきだった。

それまでに勉強したことについて、
いわば元を取ろうと思ったばかりに、
元も子も失ってしまった。

もちろん、
自分の思いどおりに全力を尽くして
駄目であったので、
本人としては悔いはない、
と思っているかもしれない。

自分が置かれている状況を、
まず客観的に観察することが必要だ。

そこで初志が実現される可能性が低いと思ったら、
臨機応変にしなくてはならない。

その場その場にふさわしく行動していくように、
フレキシブルに考えていくのだ。

それは猪突猛進(ちょうとつもうしん)の愚を避ける姿勢であって、
腰砕けではない。

何かの成就を目前にしているときでも、
大きな障害が現れてその除去が不可能に近いと思ったら、
あっさり見切りをつける。

「九仞(きゅうじん)の功を一簣(いっき)に虧(か)く※」ような状況にあっても、
無理をして一簣を盛ることを諦める判断も必要である。

そこで無理をして自分が谷底に転落してしまったのでは、
一巻の終わりである。

※高い山を築くのに、最後のもっこ1杯の土が足りないために完成しない。 長い間の努力も最後の少しの過失からだめになってしまうことのたとえ。

◆柳のように臨機応変をモットーとして、
しなやかに生きていく。

人生を短期決戦の連続にしてはならない。

長期にわたる平和維持運動として
位置づけていく。

太く短くよりも、
「細く長く」を目指す。

それが、
最終的には、
勝利の女神や幸福の女神からの
祝福を受ける道へとつながっていくはずだ。

◆視点を、
小さく自分の欲に置かないで、
大きく宇宙という広がりに据えてみる。

すると、
その中の小さな地球とか
自分の周辺の小さな社会とかの中で、
勝ったとか負けたとか、
抜きんでたとか遅れを取ったとかなどには、
それほどの差のあることではないし
問題とするに足りないこともわかる。

それよりも、
自分の心の中に幸せの種を育み、
それを大きく成長させていったほうがよい。

人生においては、
努力は続けていかなくてはならないが、
無理をしてはいけない。

◆下手な考え休むに似たり、
といわれているが、
そろと同じように、
下手な努力は休む、
というよりも後退するのと同じ
結果になっている場合もある。

原点に返って、
人生で自分が最終的にも求めているものは
何かを考えてみる。

それは平和で幸せに暮らしていくことでないか。

出世や金や健康、
それに豊かな人間関係なども、
そのための手段であるにすぎない。

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