精神科は今日も、やりたい放題 

精神科は今日も、やりたい放題 by 内海聡

内海 聡

1974年、兵庫県生まれ。
筑波大学医学専門学群卒業後、東京女子医科大学附属東洋医学研究所研究員、東京警察病院消化器内科、牛久愛和総合病院内科・漢方科勤務を経て、牛久東洋医学クリニックを開業。
2018年現在、断薬を主軸としたTokyo DD Clinic院長、NPO法人薬害研究センター理事長をつとめる…

「精神科にいけば、
この鬱々とした気分をなんとかしてくれる」
なんてことはない。

根本的な解決がなされないまま、
気分だけ変えても仕方がないのだ。

それどころか、
依存性が高い薬を長く処方されることになる。

どうしたら、
まともな精神科医に出会うことができるか。

いま服用している薬は本当に安全なものなのか。

精神科にかかるすべての人に読んでほしい、
大反響を呼んだ告発本…

目次

第1章 精神医学はやりたい放題!
第2章 私が精神医学を「詐欺」と呼ぶワケ
第3章 これは病気ではない
第4章 精神科にダマされないために
第5章 私の実践する「精神症状」対応策
おわりに―まともな精神科医に出会うためには

精神科は今日も、やりたい放題
精神科は今日も、やりたい放題

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MEMO

精神科は今日も、やりたい放題

◆本来精神科領域では、
同じところに通院しなければならないと口ずっぱく言われる。

転院するときに必ず紹介状がなければいけないのも、
はっきりいって精神科だけである。

このこと自体が、
精神科利権を守るシステムになっている。

患者側としては
これを守ってはいけない。

精神科医に限らず
医師という相手は丸投げする相手ではなく、
協調すること、
手厳しくいえばうまく利用するくらいの気持ちでなければならない

逆にいえば紹介状がなくて受け入れてくれる精神科医は、
まともな精神科医かもしれない。

精神科医は危険な毒を出す薬屋であり、
収容所の管理人にすぎない。

その人間たちに癒やしや根本的な改善などを
決して望んではいけない。

本来このような科は世の中に存在してはいけない。

まともな精神科医に出会うためには、
第一印象で医師を判断しないことと、
何より人間性で精神科医を判断しないことが重要である。

精神科医自身に癒やしを求めてはいけない。

もしあなたがどうしても精神科医にかかるのであれば、
副作用の少ない処方にこだわる精神科医をこそ選んでほしい。

多くの薬を出す医師とは、
名医良医とは対極に位置するものである。

何も出さない医師、
必要なときだけ必要最低限の薬を処方し、
薬を毒だと認識できる医師

その医師こそがより優れた真の精神科医である。

◆薬を減らす原則

  1.  複数処方の場合、まず単剤処方をめざす
  2.  ちょびちょび減らす、が基本である。決して一気にやめてはいけない(一気に減らしてくれる人院施設や協力してくれる人がいる場合は除く)
  3.  最も有害な副作用を呈しているものから減らす
  4.  抗パーキンソン病薬が入っている場合、離脱症状を緩和してくれる作用もあるため、抗精神病薬同様一気に減らさない
  5. 覚醒剤や麻薬まがいの薬なので、禁断症状は必ず起こるということを前提にする
  6. 精神科医の理屈、精神科医の脅かしに決して屈しない、惑わされない
  7. 精神薬を減らしたりやめたとしても、患者自身の考え方が変化しない限り、決して治るという状態には入らないことを理解する
  8. 減薬に関しての感覚は本人の感覚をすべて第一に考える。家族の意見は重視しない
  9. 量にもよるが複数処方を単剤化するだけで6~9ヶ月程度かかることをあらかじめ理解しておく
  10. 単剤化された処方をやめる場合はさらにゆっくりちょびちょびと行う
  11. 薬をやめることができれば2度と精神科にはかからない

◆薬害の対処法

  1. 向精神薬を複数種飲んでいる
  2. 向精神薬を3年以上にわたって飲んでいる
  3. 薬を飲んでからむしろ悪くなっている
  4. 社会的な事情から起こった症状に向精神薬を飲んでいる
  5. 精神科にかかってから病気が悪化しているといわれる

このうちのいくつかに当てはまる人は要注意である。

その人はすでに詐欺薬害にはまっている
可能性があるからだ。

たとえば不安やパニックを起こしたという患者、
職場のトラブルや人間関係でうつなったという患者、
近所トラブルや社会的な問題でさまざまな身体症状(動悸、胸部のしめつけ、食欲低下、便通異常など)を示す患者、
体裁や人の目や評価を気にして妄想的になっている患者、
DVや虐待やパワハラに関係する患者。

これら皆が精神薬を使わないほうが良くなる。

具体的には、

精神薬を使わない

精神的な苦痛を感じる、麻痺しない

根本的解決のためには何をすべきか考える

苦労してでも良くなるために状況を変えようとする

改善する

という過程をたどる。

もしあなたが1から5に当てはまるのだとしたら、
薬はできる限りやめねばならない。

◆生きる上で大切な「痛み」

トラウマや傷つき体験やコンプレックスなどは、
誰にでもあり、それによって人間は鍛えられている。

それを共感する家族や友人がいれば、
病院にかかるような事態は防げるということである。

違うたとえをすれば、
トラウマは重力のようなものだといえる。

無重力の中で人間が生活すると
すぐに体はボロボロになってしまう。

ストレスやトラウマがあるからこそ
人間は生きていけるのである。

精神を改善するのは自分自身でしかない。

他のだれも助けてはくれないし、
カウンセリングなどというものは
自分の考えに気づくための
ヒントでしかないのだ。

それ以上のカウンセリングは意味がないか
偏狭的なだけである。

もしカウンセリングで治「されて」しまったら、
それは過保護他力本願そのものである。

そうすると苦しみからは逃れることができても、
先々の困難に立ち向かう考えは失せ果て、
何事においてもリクスを避けて行動するようになりかねない。

そして、カウンセラーの言葉を頼りに生きていくことになるが、
このような状態をカウンセリング中毒と呼ぶ。

このようなカウンセリングをしてはいけないのだ。

◆薬以外の対処法

しょせん精神的な症状とは
メンタルの強さ弱さに起因するものが大半である。

精神的症状が病気であり、
科学的な疾患であるという論理はすでに崩壊している。

修養や努力が結果を生み、
失敗を続けても継続していくことでこそ
自信が生まれ、
はじめて精神症状を克服できるのである。

修行や修養と称されるものは、
人々のしようもないブライドや夢物語も
一網打尽に打ち砕いてくれる。

少なくとも現在の精神科にかかっている人のうち、
9割はこういう修養とか鍛えることが
「もしできれば」良くなるといえる。

あとはやるかやらないかだけだ。

やらないということは病気ではない。

それは単なる逃げにすぎないし、
逃げたい人は逃げていっこうに構わない。

現代において厳しいことを勧める人間とは、
患者さんの苦しみを理解しない。

「人でなし」であるらしい。

しかし、しのぎ合いの中でしか、
人間の成長も精神症状からの卒業もありえはしない。

それを正直に指摘できない
現代社会にこそ問題があるのでなかろうか。

◆精神科不要論

そもそも精神とか心とかの問題は、
人間的な問題であり、
社会的な問題であって、
医学の問題ではない

それを医学の問題であるかのようにすり替え、
自分たちの利益へ誘導した精神医学界の策略は、
奸知(かんち:悪賢い知恵)のひと言につきる。

それとともに人々が根本的な問題から逃げ続け、
精神科という見せかけの看板と専門家に
問題を丸投げしたともとらえることができる。

最初から「精神科などない」
「精神を治療してくれるような都合のいい組織も科学もない」
という前提に立てば、
人々は必ず自分で立ち直り、
生きていく力を持つものである。

精神的問題の解決に抜け道などあろうはずがない。

素人が考えてもわかるように、
解決策とは、
原因の除去、
トラブルへの取り組み
しかあり得ない。

戦後から高度成長期にかけて、
精神科などというものはほとんど存在しなかった。

そのような時代、
人々は精神的な問題や社会的な問題に
どう対応していたのか。

想像すれば明らかだし、
その時代を生きてきた人に聞けばよい。

トラブル、喧嘩、深く激しい議論などは当たり前の中で、
徹底的な人間ドラマの中で精神的諸問題が解決されていたのである。

現代の人々は安楽しか求めていなし、
何がなんでもトラブルを避けることだけを考え、
臭いものには蓋をして学ぼうとしない。

「体裁」「プライド」「しがらみ」「周囲の目」「踏み込み」
などばかりを気にして、
その結果、問題に対して正面から取り組むのではなく、
ごまかしに走ろうとする。

そのごまかしこそが精神科であり、
精神薬である。

飲めば気分はよくなるかもしれないが、
それは覚醒剤を飲んで逃げているのと
まったく同じことだ。

だからこそ、
精神科は存在してはいけないのである。
————————————
◆精神科を受診する前の10の心得

  1.  精神症状が本当に医療でしか解決できないのか
  2.  働きすぎになっていないか
  3.  社会の常識に惑わされていないか
  4.  そもそも病気であるのか
  5.  他科によってしっかり検査したか
  6.  自分でその症状を良くするためにできることはないか
  7.  いろんなトラブルや苦痛も人生の1頁である
  8.  今の精神科医に洗脳されていないかどうか
  9.  日常生活や食生活に問題ないか
  10.  それでも薬を飲むなら極少量になっているか

◆「良識」も「権威」も罠である

精神科という領域は権威であるほど、
ベテランであるほど、
有名であるほど、
危険であると考えねばならない。

なぜか?

すべての精神科医の判断は主観に基づくものだからである。

権威ある大先生がいる病院は18条件のうち、
いくつかを満たすはずである。

彼らは権威を頼りに金を集めスタッフをかき集めている。

だが、その病院が本当にいい精神科とは限らない。

たとえ患者がなんと言おうと権威が
黒といえば白も黒になる、
それが精神医療なのだ。

だから詐欺に引っかからないためには、
相手が権威であるということに振り回されてはいけない。

逆に言うと権威を頼りに受診した段階で、
すでにカモなのである。

あなたが本当に詐欺にかかりたくないと考えているなら、
権威に頼ることこそやめねばならないのである。

◆精神科は存在自体が悪

精神病のすべては医学的、
科学的には証明できず、
すぐに人権侵害につながる。

だから精神医療には本人の選択を
最も重視するという考えなしには
成り立たないのである。

そして精神薬のすべては猛毒であり、
取り返しのつかない依存症を持ち、
脳を破壊していく。

そんな薬や治療がでなくていったい何なのだろうか?

それら向精神薬のリスクをすべて説明、理解し、
それでも飲むことを希望するものだけが精神医療を
受けてもいい存在である。

今はこの最低限の基準がまったく守られていない。

精神科ではよく「誤診」という言葉を耳にする。

しかし心療内科や精神科の領域には、
そもそも誤診という言葉は存在しない。

もっといえば病名をつけられているものは
すべて誤診と呼ぶべきである。

なぜか?

精神科の病名のすべが主観によって左右されるものであり、
周囲の事情によって医師によって左右されるものだからである。

親が統合失調症から発達障害に変えたいと願えば変わる、
それくらいいい加減な代物のだ。

これらを踏まえて、
それでもやはりあなたが精神科医を必要とし、
かつ精神科医の詐欺に引っかかりたくなかったら、
次の点に注意して選んでほしい。

  1. 精神科の診断名などというものは「いい加減極まりない」と認識している
  2. 精神科の診断名などというものは「便宜上」であるということを知っている
  3. 精神薬を使わない、もしくは使っても頓服程度にとどめて使う
  4. 精神薬がただの対処療法(※)だと認識している
  5. 決して精神薬を「一生飲め」などと言わない
  6. 通院することを本人の意思に任せている(要するに無理強いして通院させない)
  7. 薬を飲むか飲まないかも本人の意思に任せている
  8. 薬の危険性や依存症を説明する(簡単でもよい)
  9. 1分診療などはしない(混んでいてもせめて5~10分は使ってほしい)
  10. 必要な場合、カウンセラーなどを用意している(原因追求の姿勢)
  11. 他の精神科医と比べて法外な値段を要求しない(カウンセリング料やサプリ代で月に数万や数十万というクリニックは多い)
  12. 福祉や他の業界との連携ができている
  13. 厳しい意見や嫌なことを本人や家族に言える(温和に言える人ならさらにベスト)
  14. 薬やカウンセリング以外に、何をすれば良くなるかを指導してくれる
  15. 具体的に自分をどう鍛えるべきかを教えてくれ、試練を与えてくれる
  16. 医師自身が自分を○○障害であると言えるくらいの医師のほうが良い
  17. 最終目標が「受診を終わりにする」の医師である
  18. 安易に障害年金や生活保護を勧めない

※疾病の原因に対してではなく、主要な症状を軽減するための治療を行い、自然治癒能力を高め、かつ治癒を促進する療法。

◆良心的精神科医さえ薬を使う

まずは、
精神科の診断がいい加減極まりないものか、
どれだけ非科学的か、
どれだけ主観的か、
どれだけ本人の苦痛ではなく周囲の苦痛に左右されているか、
ということを認識してほしい。

と同時にこれに薬を投与するのが
いかに無意味なことか、
それでも日本で薬物療法しか行われないことは、
ただの儲け主義にすぎないことを理解してほしい。

日本にも精神薬治療ではない精神科医が
まだまだ隠れていると信じたい。

親ではなく、
社会ではなく、
本人がどうしたいのかを
優先する医師がいること信じたい。

怒ろうが泣こうが喜ぼうが叫ぼうが喧嘩しようが、
診断や薬ではなく、
まっさらな人間のまま対応してくれる精神科医もいると信じたい。

しかし、そのような治療をする医師に合うことは皆無である。

どんな精神科医でも向精神薬を使う。

非常に多い量を使う人がほとんどである。

ごく少数の良心的精神科医と呼ばれる人たちでさえ
必ず精神薬を使う。

抗精神病薬(メジャートランキライザー)を使わない代わりに
安定剤抗うつ薬を使うにすぎない。

◆本物の躁うつ病とはどんなものか?

専門書やネット上の知識を参考にすれば、
「気分が上がったり落ちたりする」
程度で躁うつ病という判断に落ち着いてしまう。

では、本当の躁うつ病とはどんな状態か?

  • 薬を飲んでいないまっさらな状態で
  • 躁のときには暴れたり、誇大妄想があったり、裸で踊ったり
  • まず周りが対処しきれるレベルではないエピソードがあり
  • かと思えば気分が落ちてくると動けず、食えず外に出ず
  • そんな状態だからもちろんイライラもしないし、自殺さえ考えられない
  • ということを自然に複数回繰り返す

から躁うつ病である。

◆実は最も多い「医療薬物性うつ病」

医療用精神薬は決して
安全な薬などではなく、
覚醒剤や麻薬や麻酔薬もどき
物質でしかないので、
量が多かったり長年にわたって飲み続ければ、
必ずうつ状態認知機能低下をもたらす。

割合としてはこれが最も多いのだが、
日本人の大部分は気づいてさえいない。

一般の人はうつが何年も続くのは
病気のせいだと思っているが、
その場合はほとんどすべてが薬物性であり、
あとはわがまま病である。

わがまま以外のほぼすべては、
無投薬であれば1年以内に回復する。

うつ状態の原因や除外診断も研究せず、
どんな精神的問題もすべてうつとして扱い、
病気であるため薬を飲むべきであると推奨する
風潮がいかに詐欺であり、
犯罪的であるかわかるはず。

抗うつ薬を飲むということは
覚せい剤を飲むことと大差なく、
脳は不可逆的な障害や依存、禁断症状のリスクを負う

それでうつが本質的に改善すると
思う人はいるだろうか?

精神薬を飲んだところでうつは改善したりしないのである。

改善しないだけならまだしも、
禁断症状と脳の損傷を生み出し
長期的にはより悪化するのだ。

百歩譲っても薬は
本当に衰弱死寸前のうつに限り、
一時的に使われるべきものなのである。

◆「うつ」のほとんどは社会ストレスが原因

いま、うつ病と呼ばれている多くの人が、
ただのノイローゼであったり社会ストレス
よるものでしかなく、
また一部分はわがまま病である。

そのことがすべて混同されて
うつ病診断になっているため、
これだけ社会病と扱われて、
かつ治らない数が圧倒的に多いのだ。

確かにうつ状態は存在するだろう。

しかしそれは病気ではなく、
時系列や理由を追えばわかるものが
大半なのである。

であるならば、
少なくとも薬を用いるようなものではないし、
飲むと逆効果
でさえある。

もしノイローゼや社会的な抑うつ状態に対して
抗うつ薬を安易に飲むと、
他人を射殺したり、自殺などの行動を起こしかねない。

◆いい加減でおかしい病名「うつ病」

うつ病」こんないい加減で
おかしい病名はない。

しかしこの言語をいま
あらゆる日本人が使っている。

これはすべて製薬会社と大手メディアの
洗脳がもたらしたものだ。

たしかにうつという状態は存在するだろう。

ならばなぜおかしいのか?

一つは気分が沈む、
やる気がしないという状態を
うつ病と呼ぶなら、
それはだれにでも訪れる精神状態であり、
病気であるというにはあまりに感覚的すぎる
出来事だからだ。

また不愉快で暴れることも
好きな遊びもできるが、
仕事ができないことは
教科書的にはうつ病であるらしい(新型うつ病という)が
これも馬鹿げている。

もしうつ病というものが存在するとしても、
それは気力体力ともに低下しきって何もできない状態であって、
暴れたりイライラしたりリストカットしたりできる人間を
うつ病などとは言わない。

これは医師、患者ともに拡大解釈の極みなのである。

うつ病にはセロトニンの不足が関係していると多くの医師が訴え、
メディアに掲載されてきた。

しかしこのことは脳科学的にはすでに否定されている。

たとえばうつ病と呼ばれる1000人を集めてきて、
研究費をかけて脳のセロトニン濃度を計測し、
全員が低いなどというデータはないのだ。

それどころか医療現場でも
セロトニン濃度が低いかどうか、
計測することさえ難しい。

にもかかわらず精神医療の現場では
セロトニンを上昇させる薬が使われる。

セロトニン理論というのは仮説にすぎないのだ。

このことはうつ病の理論そのものが
非科学的であるという証明である。

そればかりではなく、
セロトニン濃度が低くないのに
セロトニンを上げる薬を使ったらどうなるのか、
そこには悲劇的な結果が待っているのである。

◆精神科医の診断は人それぞれバラバラで、
何の評価基準もなくすべて主観によって左右されている。

これは内科や他の領域では
絶対にあり得ないことである。
——————————————
◆抗うつ薬の作用を簡単に説明すると
セロトニンを増やすということに尽きる。

「うつ病=セロトニンの減少」という現象に対し、
「抗うつ薬=セロトニンを増加させる」ということで、
夢の薬のように発売当初は扱われた。

副作用もないと銘打って販売された。

しかしこのことが真実であるかといえば
当然そうではない。

うつ病がセロトニンの減少に関係するのではないか
という仮説を立てばのは、
ジョセフ・シルドクラウトという人だ。

セロトニンやドーパミンが精神病に
関係するのではないかという仮説を、
モノアミン仮説という。

しかし提唱したこの仮説はすでに否定されている。

仮説というより関係ないと「証明されている」のだ。

にもかかわらず、、
たとえば2010年に発表された研究によれば、
アメリカ人の87%が統合失調症はセロトニンやドーパミンが
バランスを失っているという
「化学的不均衡論」が原因であると考え、
またうつ病も80%の人が同じように考えているとう結果が出ている。

そして2012年にいたっても
脳内のセロトニン濃度を測定することもできない
にもかかわらずこの仮説は世界中でうつ病を語る
基本理念のように語られ、
抗うつ薬もそれを基本に作られてきた。

これは薬ありきでまったくウソの仮説を
さも根拠あるもののように用いているにすぎない。

◆さまざまな気質を個性として重視した時代は
すでに過去のものであり、
少しでも社会にそぐわないもの、
異質なものはすべて病気として規定されるようになった。

それがどれほどおかしいことか…

人間はちょっとしたことで怒り、
泣き、笑い、悲しむ、
ちょっとしたことで不安になり、
どうでもいいことにこだわってしまう。

変なものが見えたり聞こえたりすることも、
人によってはありうるだろう。

それが普通であることを
人々は忘れてしまったようだ。

◆今の精神医学の価値観では、
精神を完全にコントールできない人間以外は
すべて精神病となってしまう。

それはすべての人間にできないことであって、
できるのは機械しかない。

◆人間は怒り、泣き、悲しむもの

病気でないものを病気とし、
薬によって良くなるものではないにもかかわらず、
良くなるというウソを並べることによって、
相手をだまして客=患者とし、
しかもその治療は現実的良くならないものが
ほとんどである。

治療行為があまりにも成功率が低い上に、
もし良くなってもそれは見せかけ上で、
薬に依存させられ永久的に患者として薬を飲んでいくよう
仕立てられているという、
儲け第一主義の現実なのである。

◆あなたも絶対当てはまる!ADHDチェックリスト

ものを売るということは、
ただいい商品を作ればいいというものではない。

ものを売るためには、
その商品をどうコマーシャルするか、
そしてなりよりある概念から外れることは異常である、
と洗脳することが重要だ。

「えっ、あなたまだあの商品持ってないの?
それっておかしいよ」
などと不安を煽ることで商品を売ろうとする。

それを精神医療界に当てはめると…

日常の中で普通に存在する精神症状を、
あたかも「精神疾患=医師が治療しなくてはいけない病気」
と思わせるために、
多くのチェックリストを作り、
新聞やテレビ上で、その疾患に当てはまるかもしれないと不安を煽り、
精神科に受診させようとキャンペーンを張る。

それらは一見思いやりに満ちた膳なる行為に見えるが、
真に人間を良くしたいという願いから来る行為ではなく、
人々にラベルを張り、不安を煽ることで、
精神薬を売上ようという、
要するに精神科が儲けるための戦略なのである。

ここに書かれている特徴はすべて
「子どもそのもの、人間そのもの」であって、
障害などと診断するような類のものではない。

これはつまりどういうことかというと、
人間に存在する普遍的な喜怒哀楽や性格や特徴、
また集団とは違う部分をすべて抽出し、
病気とするよう設定したということである。

違う言い方をすれば普通になりたい人たちの願望を利用し、
病気であるかのように見せかけているということである。

あなたにも絶対当てはまる!ADHDチェックリスト:

▶「聞く」「話す」「読む」「書く」「計算する」「推論する」
・聞き間違いがある(「知った」を「行った」と聞き間違える)

▶「不注意」「多動性-衝動性」
・学校での勉強で、細かいところまで注意を払わなかったり、不注意な間違いをしたりする

▶「対人関係やこだわり等」
・大人びいている。ませている

◆たとえば最初の何かが理由で気分が落ち込み、
食欲が低下したとすればそれが症状である。

しかし精神科に通院した大半の患者は、
そのまま症状が良くなったという経過を
ほとんどたどらない。

薬を飲むと逆に悪くなったというケースが多く占め、
仮に良くなったとしても一時的であって、
結局悪くなるといった経過をたどることが多い。

そうすると最初は食欲低下が主症状だったはずなのに、
治療を受ける経過でどんどん症状が変化し、
動けない、寝たきり、仕事もできない、
動悸・息切れ、さらにひどいものだと暴行、
自殺企画、自殺念慮、幻聴、記憶力低下、性格変化
などさまざまな症状が途中で投薬を変更されたときに急速に悪化し、
病名が重いものに変わることもまれではない。

これらはそもそも病気が悪くなったわけではなく、
薬による医原病なのである。

このことを精神科医はもちろんのこと、
ほとんどの患者は理解していない。

◆精神薬はすべての種類が
抗精神病薬、抗うつ薬、抗不安薬、睡眠薬、抗パーキンソン病薬、気分調整薬
の6種類であるにもかかわらず、
7剤以上出されているケースが18%以上あり、
約70%が3~4剤投薬されている。

◆安全な精神薬はあり得ない

100~数十年前までは
現代のような複数の精神薬は存在しなかった。

そのため何が使われていたかといえば、
酒(アルコール)、アヘン、モルヒネ、ヒロイン、コカイン
のような物質である。

そしてその後に現代で使われるような
薬物が順次登場してきた。

それはその薬物が安全であることを
示すものでは決してない。

決して安全な精神薬など
一つもないということを、
われわれは理解せねばならない。

◆薬が先に開発されて、
その薬を売るために都合のいい精神疾患が
作り出されているという現実がある。

たとえば、
社会不安障害、気分変調症、中度発達障害、
大人の発達障害、現代のうつ病などはその典型である。

◆精神医学の目的は、
人を救うという点ではなく、
人を矯正し、洗脳し、問題行動を示すすべてのものを
排除しようとするものであった。

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