「三方よし」の人間学 廣池千九郎の教え105選

「三方よし」の人間学 廣池千九郎の教え105選 by 廣池 千九郎, 廣池 幹堂

廣池 千九郎(ひろいけ・もくろう)

慶応2(1866)年3月29日、大分県中津市生まれ。
青年期に教育者として初等教育の普及に取り組み、未就学児童のための夜間学校開設や、道徳教育の充実を目的とした『新編小学修身用書』の発行、日本初の教員互助会の設立などにも尽力した。

さらに地方史の魁となる『中津歴史』を執筆、のちに『古事類苑』(日本最大の百科史料事典)の編纂に携わるとともに、「東洋法制史」という新しい学問分野を開拓、大正元年に独学で法学博士号を取得した。

大正15年、『道徳科学の論文』を完成させ、総合人間学モラロジーを創建。昭和13(1938)年6月4日逝去。享年72

廣池 幹堂(ひろいけ・もとたか)

昭和25(1950)年、東京都生まれ。
東北大学教育学部を卒業後、ロンドン大学教育研究所に留学。

麗澤大学助教授、同ワシントン事務所代表、麗澤大学学長等を経て、現在、公益財団法人モラロジー研究所理事長、学校法人廣池学園理事長、一般財団法人麗澤海外開発協会会長…

新たな倫理観を打ち立てた偉人の箴言集!

目次

第1章 道徳に生きる
第2章 世の中の真理
第3章 心の持ち方
第4章 日々の心得・行動
第5章 人との接し方
第6章 処世訓
第7章 改善の方法
第8章 事業の心得

「三方よし」の人間学 廣池千九郎の教え105選

「三方よし」の人間学 廣池千九郎の教え105選

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MEMO

「三方よし」の人間学 廣池千九郎の教え105選

◆従業員の幸福実現を目指す

経営者の主要な仕事とは、
ただただ従業員を幸福にしたいという慈悲心のもと、
従業員の品性を完成させるための
努力を続けることである。

そのような経営者のもとで働く従業員は、
例えば工場なら、
作業の能率改善や製品の品質向上に、
全身全霊を込めて取り組むようになる。

経営者が従業員を愛し、
従業員が経営者を敬って努力する関係は、
聖人が優れた教えを残し、
弟子たちが教えにしたがって一所懸命に
生きていく姿に似ている。

ところが、
従業員の幸福よりも事業の拡大・売上の増大を第一に考える経営者は、
一時的に成功することはあっても、
最終的には哀れな末路を迎えることが多い。

というのも、
事業優先で、
従業員や家族をないがしろにしてきたため、
従業員や家族からは愛されない。

年老いて身体が弱くなり、
昔ほど働けなくなったとき、
その経営者は周囲の人から大切にされなくなり、
わびしい老後を送ることになる。

◆人間が第一、事業は第二

道徳的な企業経営においては、
人間を愛することを第一とし、
事業を愛することを第二としなければならない。

ところが現実には、
事業や事物、会社そのものを第一に考えて、
人間、すなわちそこで働く従業員や取引先の方々のことを
2番目以降に考えている経営者が少なからずいる。

事業こそ何よりも大切という価値観のもと、
劣悪な条件で従業員を酷使したり、
仕入先に厳しい要求をするなどして、
ただただ自分の利益を追求し続ける。

従業員も、
取引先の人たちも、
皆表向きはその経営者に対して頭を下げるかもしれない。

しかし、
自分たちよりも事業や会社や利益を優先して
考える利己的な経営者のことを、
誰も心から尊敬していない。

ただその人が持っている財力と権力にへつらい、
頭を下げているだけなのだ。

そのような会社の従業員は、
自分のことが第一で、
会社のことは二番目以降に考えるようになる。

給料分だけ働こうという意識になり、
全力を出しきらなくなる。

経営者が道徳的経営に目覚め、
品性を高め、
人間を愛することが第一にで、
事業を第二に考えるようになれば、
従業員は会社を愛して全力を尽くし、
事業も伸びていく。

◆全員が幸福になれる道

会社などで事業活動を展開していくうえでは、
時々刻々、さまざまな決定をしなければならない。

そのときに何を基準に、
どういう結論をくだせばよいのか?

考えなければいけないのは、
最も道徳的な結論は何かということ。

極論を言えば、
「すべての人間が別け隔てなく幸せになるような結論」
を出す必要がある。

つまり、
経営者も従業員も、生産者も、仕入先も、納入先も、
最終的な消費者も、
直接的、間接的に関わる社会全体も、
すべてが幸せになる方法が正しい。

従業員と顧客は喜ぶけれど、
生産者は値切られて泣いているとか、
経営者は喜ぶけども従業員は苦しむとか、
どこかで不幸が発生するのは、
間違った判断を下していることになる。

基本は全員の幸福を目指していくのが
事業における正しい判断である。

全員の意見をつぶさに聞けず、
経営陣が独自に判断しなければいけないケースでも、
大多数が喜ぶ道を選ばなければならない。

◆原因の追求よりも善後策を重視する

何か問題が起きたとき、
私たちはどのような態度で、
どのように対応していくべきなのか?

多くの人が原因を究明し、
問題を起こした人間の責任を追求しようとする。

もちろん再発防止のためには、
原因をはっきりさせておくことも、
責任の所在を明確にしておくことも必要である。

しかし、
そのことによっていくら責任者を責めても、
あるいは自らの正しさを主張し続けても、
起きてしまった問題を解決することはできない。

むしろ人間関係の悪化を招くことになってしまう。

過去にさかのぼって水掛け論を繰り返すよりも、
起きてしまった出来事を正面から受け止めて、
いかに善後策を図っていくかに集中するほうが大切。

起きた問題は自分たちに与えられた「道徳的課題」であると考え、
これに感謝し、積極的に責任を担っていく。

◆「三方よし」で幸せになる

真の道徳においては、
自分も、相手も、さらに第三者をも幸せに
なるような道を探っていくことで、
皆が幸せになる。

◆徳は学力、知力、財力、権力よりも価値がある

私たちは、
ややもすれば学力や学歴を偏重したり、
知識が豊富であることを誇ったり、
財力があれば何でも買えると思ったり、
権力があれば何でもできると思ったりしてしまう。

そして学力、知力、財力、権力の獲得に
血眼になった人々によって、
社会は激烈な競争が繰り広げられている。

しかし、
いくら学力が高くても知識が豊富でも、
人間的に尊敬できない人もいる。

苦労して財産を築いても、
ひとたび家庭生活に不和が生じれば、
幸せを感じることはできない。

権力を悪用して私服を肥やす不届き者もいる。

では、
人生において学力、知力、財力、権力よりも
価値のあるものは何か?

それは「徳」である。

徳とは、
道徳的な心づかいや行いを積み重ねていくことによって
形成される能力であり、
「品性」ともいえる。

徳を積み、
品性が高まれば、
学力、知力、財力、権力を
世のため人のために
有効活用できるようになる。

◆逆境を前向きに受け止める

人生を送るうえで、
私たちはさまざまな問題に直面する。

明らかに自分の責任で招いた問題もあれば、
無意識のうちに招いてしまった問題、
あるいは直接自分が原因でない問題もある。

どんな問題が起ころうとも、
過去に戻ってその原因を断つことはできない。

同じような問題が起きても、
同じような環境に置かれても、
人によって受け止め方や対応の仕方は異なる。

ある人はそれを「逆境」であると嘆き悲しみ、
問題から逃げたり、無気力になってしまう。

不平不満ばかり募って、
最後は自分の人生を否定し、
自暴自棄になってしまう人もいる。

一方、
同じような境遇に置かれても、
それを逆境と思わず、
天から課せられた試練であると心得て、
奮闘努力する人もいる。

試練を乗り越えることで
自分が大きく成長できるなら、
恨むどころか、
むしろ感謝の念を抱いてもよいはず。

すべてにその気持で臨めば、
運命を誰のせいとも思わずに
引き受ける力が湧いてくる。

どんな問題に直面しても
感謝の気持ちで乗り越えていければ、
人生はいっそう素晴らしいものになる。

◆大自然の恩恵を自覚する

自分の力で自由にできる範囲は
最初から限られている。

そもそも生命というものは、
大いなる自然の力によって生み出され、
自然の法則に従いながら、
自然の恵みによって生かされている。

そう考えると、
すべての物事は、
自分一人の力で成し遂げているのではない
ということに気づく。

大自然の恩恵を受け、
多くの人々に支えられながら
生きているということを、
日々自覚しながら生活する。

◆困難は有益な機会ととらえる

忍耐し、己に打ち勝ち(克己)、
辛いことにも負けず、
また何事にも熱心に取り組む姿勢は大切である。

しかしその中身は、
心の内に利己心が存在するかどうかで
大きく違ってくる。

利己心がある状態で、
何かを我慢したり、
己に勝とうと努力したり、
何かに熱心に取り組んだりする場合、
その心理状態は決して理想的ではない。

表向きは一所懸命やっていても、
心の中では利己心に基づく怒りや恨み、
憎しみ、悲しみ、苦しみを抱えていることが多い。

それらの感情を無理やり抑えつけていると、
ストレス過多の状態に陥り、
精神的にも肉体的にも疲弊してしまう。

利己心を克服した状態であれば、
何か困難な出来事に直面して忍耐が必要なときも、
その捉え方が違ってくる。

困難は怒りや憎しみの対象ではなく、
天から与えられた試練であり、
自分を成長させてもらえる有益な機会である
というふうに受け取れる。

こうして感謝の心を持って
試練を受け止めることができれば、
それが精神的・肉体的ストレスに
なることはない。

◆困難に遭うのは当然のこと

友人・知人から借金を申し込まれたり、
借金の保証人になるよう頼まれたりすると、
これも人助けだと思ってむやみに応じてしまう人がいる。

しかし、世間には貸したお金を返してもらえなかったり、
借金の肩代わりをさせられたりすることもある。

そもそも、
相手に明らかな努力不足や不正が認められる場合や、
依存心の強い人に対して、
物質的に援助すべきではない。

むしろ本人を
精神的に立ち直らせるほうが先決である。

反対に、
精神的に何ら問題もなく立派な人が、
たまたま物質的に困っているときは、
自分の力の及ぶ範囲で助ける。

その区別は
きちんとしておいたほうがよい。

◆天命に従って全力を尽くす

「人事を尽くして天命を待つ」
という言葉をよく耳にする。

学力、知力、財力、権力など、
自分の持つすべての力を尽くし、
結果については天に任せるという意味である。

結果の良し悪しにかかわらず
全力を尽くすのは、
ていへん潔い姿勢だといえる。

しかしそこには、
「全力を尽くしたのだから結果は
どうなっても仕方がない」というあきらめの
気持ちも含まれている。

また、
どういう目的に対して全力を尽くすのかという視点が、
この言葉には含まれていない。

順序を変えて、
次のような考え方をしてみてはどうか?

すなわち、
「天命に従って全力を尽くす」。

与えられた場や機会を
自分の天命と受け止めたうえで、
それを最大の目標に捉え、
あらゆる手立てを尽くして
実現を目指す。

天命に従いながら道徳的な生き方を貫き、
一つひとつのことに全力であたれば、
品性は向上し、
目標も成就する。

◆なぜ利己心が問題なのか

利己心にはいろいろな問題がある。

たとえば、
私たちはには、
自分の家族や血縁関係にある人を
本能的に愛する傾向がある。

これはごく自然な感情のように思える。

ところが遺産相続などで利害が衝突すると、
たとえ親兄弟であっても
たちまち敵対関係に陥ってしまう。

要は、
「血がつながっているから自分の味方になってくれる」とか、
「自分に得をさせてくれる」と期待する利己心があるから、
損をしそうになった途端に憎しみが湧いてくる。

表向きは好意的に振る舞っていても、
心の奥で見返りを期待していると、
見返りのないことがストレスになる。

ストレスがたまれば、
精神も肉体も害してしまう。
——————————–
◆成功と幸福は同一ではない

人生において成功を収めたら、
人は幸福になれるのか?

ここでの成功とは、
学問や事業などで大きな成果を上げて、
地位や名誉を得たり、財産を築いたりすることを指す。

実はこうした成功は、
必ずしも幸福に結びつくとは限らない。

むしろ大きな不幸を呼んでしまうこともある。

成功と幸福とは
イコールでは結ばれない。

◆利己心が生む社会の無駄

私たちは、
つい「自分さえよければよい」
と考えてしまうことがないか?

家庭の崩壊も、
社会の秩序の乱れも、
国同士のいがみ合いも、
そうした利己心に基づく「無駄」が
原因と考えられる。

自分の時間も、労力も、金銭も、物品も、
浪費せず、「皆がよくなっていくため」の活動に
極力振り向けていくべき。

◆大いなる宇宙の力に生かされている

私たちは、
自分の意志とは関係なく生まれ、
自然の法則に従って生きている。

ということは、
大自然を生み出した大いなる宇宙の力によって
生かされている、
という見方もできる。

こうした真理を自覚し、
謙虚な気持ちになることができたら、
私たちは利己心を捨て、
大いなる力と同化することを志すべきである。

そして、
万物を生み育てる大自然のような
無私の心・慈悲の心で人のために尽くす。

◆品性を高めると幸福が得られる

道徳的基準や道徳的価値という面から見た
人の性質や性格のことを「品性」という。

これは人間の持つさまざまな力の中心にあって、
それらを有効にはたらかせるもので、
人間にとって最も大切で
必ず身につけなければならないものといえる。

品性こそが、
真の利益をもたらしてくれる。

ところが一般的には、
品性の価値に気づかず、
学力や知力、権力、財力、腕力などを
身につけなければいけないと考える人が多い。

偉大な聖人の生き方に学び、
品性を高めた人には、
一般的な精神的苦悩を乗り越える道が拓ける。

ストレスがなくなることで
肉体も健康になり、
家族やコミュニティも含めて、
皆が幸福でいられるようになる。

◆真に価値あることを優先する

人生で真に価値あるのは、
日々の生活の中で道徳的な生き方を志し、
人格を磨き、
品性を向上させていくことである。

もちろん働いて金銭を稼ぐことも必要だし、
趣味を楽しむ時間も大切である。

しかし、
他人の迷惑も顧みないでお金を稼いだり、
家族を守るのをおろそかにして
趣味に没頭したりする人は、
優先順位を間違えている。

世の中の「幸せの量」増やしていくためには、
道徳的な生き方を身につけ、
よりよい心づかいと行いを実践することを
最優先する。

そうして一人ひとりが徳を積み、
豊かな慈悲の心を養っていく。

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