青春漂流

青春漂流 by 立花 隆

立花 隆

1940年、長崎県に生まれる。
東京大学(仏文科)卒、文芸春秋入社、「週刊文春」編集部員。
のち東大(哲学科)に再入学。
現在、フリー…

一度は挫折し、
方向転換した若者たち。

その大胆な選択が成功だったかどうかを、
語ることはまだ出来ない。

何しろ彼らは、
迷いや惑いの青春の真っただ中にいるのだから。

自らも不安や悩みの放浪の旅から、
自己確立をしたという著者は、
職業も種々な11人の若者たちと、
夜を徹して語り合う…

目次

稲本裕(オーク・ヴィレッジ塗師32歳)
古川四郎(手づくりナイフ職人33歳)
村崎太郎(猿まわし調教師22歳)
森安常義(精肉職人33歳)
宮崎学(動物カメラマン34歳)
長沢義明(フレーム・ビルダー36歳)
松原英俊(鷹匠33歳)
田崎真也(ソムリエ25歳)
斎須政雄(コック34歳)
冨田潤(染織家34歳)
吉野金次(レコーディング・ミキサー36歳)

青春漂流

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MEMO

青春漂流

◆自分の人生を自分以外の何ものかに
賭けてしまう人がどれだけ多いことか。

自分以外の誰か頼りになれる人、
頼りになれる組織、
あるいは、
自分自身で切り開いていくのではない
状況の展開などなど。

他者の側に自分の人生を賭ける人が、
世の大半である。

しかし、
彼らは自分の人生を
そしたものに賭けようとはしなかった。

彼らは、
他者の側にではなく、
自分の側に自分の人生を賭けたのである。

◆彼らは落ちこぼれつつ、
自分の情熱をかけるべき対象を追い求めていた。

そして、
それをいったん発見するや、
彼らは落ちこぼれ人間から、
とてつもない努力家に変身する。

それまでの彼が落ちこぼれであったとは
とても信じられないくらい、
精進を重ねて、
一つの道をまっしぐらに進む。

そしてただ、
自分と自分の意志と情熱のみを信じて、
新しい人生を切り開くのである。

◆「強いられてする労働」ではなく、
「遊びでする労働」の中にユートピアを求めよ

我慢してやる動労は疎外された労働で、
もちろんその中にはユートピア(※)はない。

しかし、
そうではなくて、
遊びのような労働がある。

誰かに強いられてするのではなくて、
自由に自分の発意でする労働、
何らかの欲求を抑圧しながらする動労ではなく、
欲求を満足させるための労働、
自分の能力を発見できることに喜びを感じられる労働、
そういう遊びか労働かわからないような
自由な労働の中にユートピアがある。

※現実の社会に不満をもつ人が夢想する理想的な楽土。

◆最低限度、餓え死にしないですめばいいじゃないか

自分たちが何をほんとに望んでいるのか、
どう生きたいと思っているのか。

自分に問いただしてみると、
結局、好きなことをして生きたい、
人間性が発揮できる生活をしたいというのにつきる。

生活上の安楽なんかいならい。

最低限度、飢え死にしないで
すめばいいじゃないか。

じゃ、人間性が発揮できる生活って、何だ。

いまの社会では、
みんなエリートになってもっぱら
頭を働かすことで生活していくことを追求しているようだが、
ほんとに人間が人間らしく生きられるのは、
体を動かして働き、
何か具体的なものを作り出すことにおいてではないか。

◆若くして老化した青年たちは、
それぞれ一見人なみ程度に幸せな人生を
送ることができるだろう。

しかしいつの日か、
ほんとは自分にはちがう人生があったのではないかと、
その可能性を試せるときに試さなかったことを
悔やむ日がくるに違いない。

◆人生における最大の悔恨は、
自分が生きたいように
自分の人生を生きなかったときに生じる。

一見いかに成功し、
いかに幸せに見えても、
それがその人の望んだ人生でなければ、
その人は悔恨から逃れることができない。

反対に、
いかに一見みじめな人生に終わろうと、
それが自分の思い通りの選択の結果として
招来されたものであれば、
満足はできないが、
あきらめはつくものである。

◆精神だけが老化した青年とは、
実は、あらゆる失敗の可能性を前にして
足がすくんでしまった青年のことである。

彼は口を開けば人生にチャレンジしない
自分の生き方についていろいろ聞いたふうの
ことを言うかもしれない。

しかし、真実は、
彼は人生を前にして足がすくんでしまっている
というごく単純なことなのだ。

◆若者の前には
あらゆる可能性が開けている
などとよく言われる。

そのとき、
「あらゆる可能性」には、
あらゆる失敗の可能性もまた
含まれていることを
忘れてはならない。

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