50歳からの孤独入門 by 齋藤 孝
齋藤 孝(さいとう・たかし)
1960年、静岡県生まれ。東京大学法学部卒業。
同大学院教育学研究科博士課程等を経て、現在明治大学文学部教授。
専門は教育学、身体論、コミュニケーション論。NHK Eテレ「にほんごであそぼ」総合指導など、テレビ・ラジオ・講演等多方面で活躍。
日本語ブームをつくった『声に出して読みたい日本語』(草思社/毎日出版文化賞特別賞)をはじめ、ベストセラー著書が多数ある。
後悔の念や喪失の不安と、
いかに折り合いをつけられるか?
やがて訪れる「孤独」を、
どのように受け止めればよいか?
目次
はじめに やがてくる孤独に備えるために
【第1章】 50歳クライシス
アイデンティティを奪われる50歳/仕事はできるのに給料半減/再雇用は屈辱の選択か?/イチローを見よ/ミケランジェロの不幸/孔子が一番大切にしたこと/プライドと折り合いをつけて生きる etc.
【第2章】 後悔・自責・嫉妬――マイナスの感情と折り合いをつける
歴史とは現在と過去との対話である/後悔から人生を意味付けし直す/自責の念を抱えて生き続けるということ/うらやましさを捨てると楽になれる/人生の通知表を受け取る50歳/承認はもういらない etc.
【第3章】 人間ぎらいという成熟
孤独に打ち勝つ「退屈力」/仁者は山を好む/盆栽は50歳を過ぎてから/人間ぎらいのすすめ/哲学がわかるのは50歳から/古き良き『まんだら屋の良太』の時代/現役を続けるパワーに触れる/魂を震えさせるもの etc.
【第4章】 孤独の時代を越えて
それは自分にコントロールできるものか?/時間の治癒力を生かす/神様でも嫉妬する/自分の課題か他人の課題か/本を捨てるということ/絶対的な幸福の根源を持つ etc.
【第5章】 最後の恋を夢見ない
運動会で転ぶお父さん/恋愛問題50歳の壁/生物として求められない50代/セクハラ中年にならない方法/70歳で良寛がモテた理由/フョードルに学べ etc.
【第6章】 喪失の悲しみ、そして自らの死への覚悟
孔子はなぜ慟哭したか/辞世と弔辞に表れる日本人の死生観/生涯の伴侶を失う悲しみ/我が子の死を受け止める/死とは魂の解放である/「いつでも死ねる」という美意識/死とは自意識の消滅に過ぎない etc.
おわりに

MEMO
50歳からの孤独入門
◆自分の課題か他人の課題か
私たちは、
家族の問題であれ友人の問題であれ、
自分ではない他人の問題までかぶってしまうことがある。
このとき
「それはその人の課題であって、
あなた自身の課題ではないと考えなさい」
というのがアドラーの考え方である。
実際にこう考えてみると
心を整理しやすくなる。
これを少し変換すると、
「他人の成功・失敗はその人の課題であって、
私の成功・失敗とは関係ない」
ということも言える。
誰かの成功と自分の不遇は一切関係ない、
他人の幸不幸は自分の問題ではないのだと考えられれば、
妬みから離れることができる。
こうした考え方は、
50歳になってからのほうが受け入れやすい。
なぜか?
死というものがリアルに見えてきているからだ。
成功して金持ちになっていようが、
失敗して借金を抱えていようが、
死んだらそこでゲームオーバー。
100億円持っていても、
来世に持っていけるわけではない。
そう考えれば、
ジタバタする必要もなくなる。
◆人間ぎらいのすすめ
人間多しと言っても、
鬼でも蛇でもないのだ。
わざわざこちらを害しよう、
などという悪い奴もいないものだ。
恐れたり遠慮したりすることなく、
自分の心をさらけ出して、
さくさくとお付き合いしていこうではないか。
人間のくせに、
人間を毛嫌いするのはよろしくない。
by 福沢諭吉
けれども50年も生きていると、
「人間って面倒くさいな」
「ろくでもないな」
と実感することもある。
「これ以上人間と付き合ってどうする?」
みたいな疑問も、
抱いて当然ではないか。
多少の「人間ぎらい」は誰にでもある。
その人間ぎらいを受け入れる、
人間ぎらいでも別にかまわないと認めることも、
50歳を過ぎたら許されるのはないか。
◆プライドを折り合いをつけて生きる
50歳を過ぎると、
アイデンティティを失うことなく、
プライドと折り合いをつけて生きることが、
何より重要になってくる。
◆50歳をすぎる頃には、
多くの人が孤独感を抱えることになる。
秋が深まった後に必ず来る冬のような、
人生の寂しさを体験する。
老いと死が見えてきた50歳以降の
孤独との付き合い方は、
生と死の折り合い、
つまり最期は自分一人で
死んでいかなければならないという
覚悟を培(つちか)うこと。