なぜ選ぶたびに後悔するのか―「選択の自由」の落とし穴 by バリー シュワルツ
スワスモア大学心理学部教授。
専門は社会理論、社会行動学。
主な著書にThe Battle for Human Nature: Science, Morality and Modern Life、
The Costs of Living: How Market Freedom Erodes the Best Things in Life などがある…
多すぎる選択肢におしつぶされることなく、
じょうずに選べば満足して生きられる。
“選択の自由”に疑問を投げかけ、
日々の決断を見つめなおす、
目からウロコの選択術…
目次
第1部 なにもかもが選べる時代
(お買い物に行こう新たな選択)
第2部 選択のプロセス(決断と選択
最高でなければだめなとき―最大化
(マキシマイズ)と満足(サティスファイス))
第3部 満たされないのはなぜ?
(選択と幸せあきらめた機会「もし…していれば」―後悔の問題選んだ品にがっかりするのはなぜか?―順応の問題比べるとつまらなくみえるのはなぜか?選択がうつをもたらすとき)
第4部 満足して生きるための選択術
(選択にどう向き合うか)

MEMO
なぜ選ぶたびに後悔するのか
◆足るを知るものは富めるなり…
「冨を警戒する」考え方は、
幸福に生きるための知恵として、
昔からあった。
ただ、現代の消費社会はそれを、
すっかり忘れ去っていた。
豊かさが必ずしも幸福感につながらないところか、
ある限度を超えると幸福感を減退させる。
資本主義の行き詰まり、
グローバリゼーションの弊害についての同様だ。
◆オプションに溢れた世界で
満足度が薄くなるのは、
ほとんど避けられない。
だが一方で、
選択肢のまるでない世界で暮らすのは、
耐え難いほど息苦しい。
さて、どうすればいいのか?
最高を求める「最大化人間」ではなく、
足るを知る「満足人間」になるのが対策のひとつである…
◆満足できない最大の要因は、
多すぎる選択肢にある…
◆金魚鉢の画像を見てほしい…

「なんにでも、
なりたいものになれるんだよ。
限界なんてない」
近眼らしい親魚が子魚に言っている。
金魚鉢の中の暮らしが、
いかに限られているかに気づいていない。
だが親魚は、
ほんとうに近眼なのだろうか?
金魚鉢の中という、
制約があって守られた世界で暮らしていればこそ、
子魚は経験を積み、
探検し、自分の人生の物語を
書きついで生きながら、
飢える心配も、
だれかの餌になる心配もしなくてすむ。
金魚鉢がなかったら、
たしかに限界はどこにもない。
だが魚たちは、
朝から晩まで、
ただ生きるための戦いで精一杯になる。
制約の中での選択、
枠の中での自由。
こうした環境こそ、
子魚は胸踊る可能性を、
さまざまに夢みることができる。
◆後悔しない
後悔しないことにしていれば、
生活の中でもキャリアの上でも、
何倍も幸せになれるかも知れない。
◆決断は取り消し不能にする
返品お断りの店で買うより、
返品できる店で買うほうがいいと誰でも思う。
だが本人に自覚はないとしても、
私たちは考え直すというオプションがあると、
実際に考え直す確率が高まる。
決断しても、
あとで取り消せると思うと、
それに満足しにくくなる。
◆考えすぎるのはよくない
ここで役立つのが二次決定だ。
つまり生活の中で、
選択から手を引く分野を決めてしまえば、
機会コストを考えるまでもない。
あるいは、
サティファイヤーになるという手もある。
サティスファイヤーは自分なりに
「まずまず」の基準をもっているので、
マキシマイザーほど他のオプションとの
比較に頼らなくていい。
サティスファイヤーにとって「いい投資」とは、
たとえば、リターンがインフレ率を上回っている投資だ。
こう決めていれば、
機会コストに悩む必要はない。
◆サティスファイヤーになれるのは、
自分の目標と願望をよくわかっている人だけだ。
決断を迫られたとき、
「まずまず」のしっかりとした基準が必要だからだ。
なにがまずまずかを知るには、
自分自身を知り、
自分にとってなにが大切かを
知らなければならない。
◆満足を心がけ、最大化を控える
「まずまず」を受け入れられるようになれば、
意思決定が単純になり、
もっと満足できるようになる。
なにかの客観的な基準では測れば、
サティスファイヤー( Saticfyer )はマキシマイザー( Maximizer )に
かなわないことが多い。
だが、その角を曲がった先の店に「最高」があるとしても、
「まずまず」で手を打つことで、
サティスファイヤーはマキシマイザーより、
自分の決断に満足していられる
◆ピッカーではなくチューザーになる!
圧倒的な数のオプションに向き合うと、
わたしたちはピッカー(Picker)にならざるをえない。
ピッカーになると、
目の前に並んだ選択肢の中から、
なかば無理やり選ばされる。
チューザー(Chooser)になればそれに越したことはない。
だが、ピッカーではなくチューザーになるためには、
一部の決断については、
習慣、しきたり、規範、ルールにしたがって、
自動的に決める覚悟が必要だ。
◆過剰なオプションの引き起こす問題を管理したいなら、
生活の中で向き合う選択のうち、
なにがほんとうに重要かを見極めて、
そこに時間とエネルギーを集中させることだ。
それ以外の機会は、見送る。
見送るのは惜しいが、
オプションを制限すれば、
選択の負担を軽くでき、
満足を味わえる。
◆あらゆるオプションについて
情報を集めるコスト(時間、お金、苦労)を
すべて考え合わせると、
実際には、満足(サティスファイ)することこそ、
最大化(マキシマイズ)するための戦略となる。
つまり、
すべての要因を考えあわせれば、
現実的にみて最善の策は、
満足することである。
◆マキシマイザーに対するもうひとつの選択肢として
「サティスファイサー(満足人間)」になるという方法がある。
サティスファイ(満足)とは、
まずまずいいものでよしとして、
どこかにもっといいものがあるかもしれない、
とは考えないことだ。
サティスファイサーは、
自分の中に基準なり原則なりをもっている。
そうした基準にかなう品がみつかったら、
みつかった時点で、
探すのをやめる。