14歳からの哲学

14歳からの哲学:考えるための教科書 by 池田 晶子

池田 晶子(いけだ あきこ)

1960年生まれ。慶應大学文学部哲学科卒業。
専門用語による「哲学」についての論ではなく、哲学するとはどういうことかを日常の言葉を用いて示し、多くの読者を得た。代表作の『14歳からの哲学 考えるための教科書』は、中学国語教科書に紹介されるなど、特に幅広い年代に読まれた。
多数の著作を残し、2007年2月23日死去。

今の学校教育に欠けている14歳からの「考える」のための教科書。「言葉」「自分とは誰か」「死」「家族」「社会」「理想と現実」「恋愛と性」「メディアと書物」「人生」等30のテーマで考えるきっかけを与える。

目次

Ⅰ 14歳からの哲学[A]

1 考える[1]
2 考える[2]
3 考える[3]
4 言葉[1]
5 言葉[2]
6 自分とは誰か
7 死をどう考えるか
8 体の見方
9 心はどこにある
10 他人とは何か

Ⅱ 14歳からの哲学[B]

11 家族
12 社会
13 規則
14 理想と現実
15 友情と愛情
16 恋愛と性
17 仕事と生活
18 品格と名誉
19 本物と偽物
20 メディアと書物

Ⅲ 17歳からの哲学

21 宇宙と科学
22 歴史と人類
23 善悪[1]
24 善悪[2]
25 自由
26 宗教
27 人生の意味[1]
28 人生の意味[2]
29 存在の謎[1]
30 存在の謎[2]

14歳からの哲学:考えるための教科書
14歳からの哲学:考えるための教科書

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MEMO

◆時間というものは
本来、流れるものではない。

過去から未来へ流れるものではなくて、
ただ「」があるだけだ。

過去を嘆いたり
未来を憂えたりしているのは、
今の自分以外の何ものでもないからだ。

」があるだけ、
」しかないのだから、
今やりたいことをやろう

◆大人が「生活」という言葉を口にすると
その後は決まって、
…があるからな
…しなければならないからな
と続く。

大人にとって、
生活とは、
しなければならない」もの、
大人は、
生活しなければならないんだ。

この言葉遣いが
いかにおかしものであるか、
考えてほしい。

生活することを義務として
定めている法律はないのに、
なぜ人は
生活しなければならない」と、
それが義務か強制であるかのような言い方をするのか?

誰がそれを強制しているというのか?

————

生きることを権利として決めている法律はあるが、
生きることを義務と決めている法律はない。

では、
誰がそれを決めているのか?

————

決めているのはその人だ。

生きなければならないという法律はなく、
誰もその人に生きることを強制してはいないのだから、
「生きなければならない」と、
生きることを義務か強制のように思っているのは
その人でしかない。

————-

生きることはあくまでも
その人の自由である。

生きたくなければ死ぬ自由はある。

なのに、
死なずに現に生きているのだから、
生きることを自分の自由で選んでいるのだから、
その人は、
本当は「生きなければならない」ではなくて、
生きたい」と言うべき。

————-

本当は自分で生きたくて生きているのに、
人のせいみたいに
「生きなければならない」と思っているのだから、
生きている限り何もかもが人のせいみたいになるのは当然だ。

————-

生きるためには、
食べなければならない、
食べるためには、
稼がなければならない。

そのためには、
仕事をしなければならない、
この「しなければならない」の繰り返しが、
大人の言うところの「生活」だ。

————-

しなければならなくてする生活、
生きなければならなくて生きる人生なんかが、
どうして楽しいものであるのか?

たぶんそれは、
こんなふうに生きているのはイヤなんだけど、
死ぬのはもっとイヤだから、
だから「生きなければならない
ということだ。

————-

でも、
生きたくないのに生きることが、
死ぬことよりもイヤなことではないかどうかは、
生きている限りはわからない。

わからないから生きているのだ。

やっぱり生きることを選んでいるのだ。

————-

だったら人は、
自分で自分の人生を選んでいるということを、
はっきりと自覚して生きるべきだ。

仕事も生活も何もかも、
自分がしたくてしていることだと、
自覚すべきだ。

————

そうすれば、
自分のことを人のせいみたいに
文句を言いながら生きることもなくなる。

それでも人は、
自分がしたくないこともじつは
自分がしたくてしていることなのだと認めるのがイヤで、
やっぱり人のせいにしたくなる。

———–

その口実として一番もってこいのが、
家族だ。

家族がいるから
仕事をしなければならない、
家族を養わなければならないから、
自分のしたいことをあきらめなければならない、
というわけだ。

———–

人は自分が本当にしたいことが
自分でわかっていないから、
それを家族仕事のせいにしているだけだ。

自分が本当にしたいことを仕事にできる人は、
幸せだ。

楽しくて、
お金が稼げて、
しかも自分の能力を伸ばすことができる。

————

生きなければならないから
仕事をしなければならないと思っている限りは、
人は決して本当に生きることはできない。

投稿者: book reviews

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