経済は世界史から学べ!

経済は世界史から学べ! (茂木 誠)

駿台予備学校世界史科講師。

予備校講師とは別に、
現代ニュースを歴史的な切り口から考察する
ブロガーとしての顔も持つ茂木 誠さんの著書です。

歴史の流れを追うことで、
「今」と「未来」が見えてくる!

「消費増税」も「TPP」も歴史に学べ!

人に話したくなる「ストーリーとしくみ」。

経済のことがもっとわかる44の教養…

  • デフレって説明できる?
  • TPPって何?
  • プラザ合意で何?
  • どうして消費税を上げるの?
  • サブプライムローンって知ってる?

目次

第1章 お金(1) 円・ドル・ユーロの成り立ち
第2章 お金(2) 世界経済と国際通貨
第3章 貿易 経済の自由化
第4章 金融 投資とバブル
第5章 財政 国家とお金

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book589

MEMO

◆巨大財閥がアメリカを動かしていく

南北戦争後のアメリカは、
イギリスを抜いて世界最大の
工業国となり、ロックフェラー、
JPモルガンなどの新興財閥が巨大な力を持つ。

特にモルガン銀行の資金力は金融危機のたびに
アメリカを救い、事実上の中央銀行のようになった。

FRBの執行機関である理事会のメンバーは
大統領が指名するが、
全米12ヶ所に置かれていた連邦準備銀行の出資者は
すべて民間の金融機関である。

これは今でも変わらない。

株式の大半を日本政府が所有している
日本銀行とは、かなり性格が違う。

◆アベノミクスは、政府による日銀のコントロール

15年間続いたデフレ不況を経て、
金融緩和によるデフレ脱却(アベノミクス)を掲げて
発足した安倍政権は、財務官出身の黒田氏を
日銀総裁に任命し、金融緩和を迫った。

政府・財務省と日銀の駆け引きの裏には、
「そもそも通貨発行権は誰が握るのか?」
という中央銀行発足以来、
繰り返されたテーマが浮かびあがってくる。

◆ドイツがユーロ導入に熱心だった理由

貿易黒字国の通貨は値上がりするので、
本来はマルク高になってドイツの輸出には
ブレーキがかかる。

しかし、マクルを捨てて統一通貨に加われば、
マルク高不況にならずに済む。

冷戦終結と東西ドイツ統合(1990年)を経て、
欧州連合(EU)が発足する。

ユーロとECB(欧州中央銀行)は、
最大の出資国であるドイツ連邦銀行が
中心になって設立。

ECB本部もドイツのフランクフルトに置かれた。

ECBは各国政府から完全に独立した超国家機関である。

加盟各国は、ECBへの出資金に応じて、
ユーロを受け取る。

金利の決定や為替介入などの金融政策は
ECBが決定する。

各国中央銀行は、通貨発行権も金利決定権も失った。

不景気になったとき、
国家が行える政策としては

  1. 紙幣の流通を増やす
  2. 減税する
  3. 公共事業を増やす

という3つが挙げられる。

このうち「紙幣の流通を増やす」を
ECBが完全にコントロールしている。

各国は独自に「減税と公共事業で景気を刺激する」ことはできるが、
「ユーロ(紙幣)を増刷する」という決定はできない。

「中央銀行の独立」を極限まで進めたのがECBである。

◆ギリシャ危機で大儲けした国とは?

財政赤字を抱えるギリシャ政府が
ECB(欧州中央銀行)にユーロの融資を求めると、
ECBは融資の条件として、
「ギリシャはムダな公共事業や福祉をやめ、
増税して財政再建しろ」と勧告する。

ギリシャ政府がECBの要求を拒否すれば
融資がストップし、ECBの要求に従えば、
痛みを押しつけられる国民が猛反発して
ストライキや暴動を起こす。

ギリシャで混乱が続くのは、
ユーロ採用に伴い、
独自通貨ドラクマの発行権を手離してしまったことが
最大の原因である。

ギリシャの混乱はユーロ全体の信用を傷つけ、
世界中でユーロが売られるユーロ安を引き起こした。

このユーロ安で収益を拡大したのがドイツの輸出産業である。

ユーロ安はドイツ製品の価格を引き下げるからである。

ギリシャの混乱➡ユーロ下落➡ドイツの輸出産業ぼろ儲け

かつてナチス・ドイツ(第三帝国)は軍事力によって
欧州を支配した。

今のドイツは「ユーロ安を通じて欧州を支配する第四帝国」
と皮肉られている。

ドイツのメルケル首相は、ユーロ危機によるユーロ安を生かし、
輸出産業を中心にドイツ経済を復興させたのである。

イギリスはEU加盟国であるが、
ECBによる金融政策への干渉を嫌い、
ユーロを採用せず、「女王陛下の通貨」ポンドを守っている。

◆敗戦国日本が、なぜ経済成長できたのか?

日本とドイツは、第二次世界大戦を引き起こし、
大敗した。アメリカ軍を中心とする連合軍によって
数年間占領され、さらに国家の指導者は「戦争犯罪人」として
裁かれ、処刑までされた。

ところが、その日本とドイツが、占領後、約10年で奇跡の
経済成長を成し遂げ「経済大国」にまで成長できたのはなぜか?

これには、「1ドル360円」のレートを固定させた
ブレトン=ウッズ体制が大きくかかわっている。

「1ドル=100円前後」の現在の日本では
考えられないような円安である。

1960年代、日本経済は奇跡の復興を遂げる。

変動相場制のもとでは、
経済発展している国の貨幣価値は上がる。

しかし固定相場制のもとで
「1ドル=360円」の円安が維持され、
日本企業の輸出を促進した。

ブレトン=ウッズ体制が、
日本の経済成長を支えたのである。

同じ理由で、西ドイツも安いマルクを武器に
奇跡の経済復興を成し遂げた。

◆韓国に多国籍企業が増えた理由(ワケ)

1980年代、日本はプラザ合意に始まる円高不況に苦しむ。

日本のメーカーは中国、台湾、東南アジア諸国へ工場を移転し、
アジア経済が急成長する。

欧米の投資銀行は、「これからはアジアだ!」と投資家を煽り、
アジア諸国の通貨と株を買い占めた結果、バブル経済が起こる。

やがてバブルが崩壊。

タイの通貨バーツの暴落に始まり、
アジア通貨危機(1997-98年)が発生する。

韓国の通貨ウォンも暴落。

韓国銀行はドルを売ってウォンを買い支えようとしたが、
手持ちのドルが底を尽きた。

財政破綻寸前に陥った韓国政府の要請により
IMFが介入し、韓国支援の条件として増税と公務員の削減、
財閥の解体などを命じた。

街には失業者があふれ、「朝鮮戦争以来、最大の国難」と呼ばれた。

不採算部門を整理した韓国経済は、そのご見事に復活するが、
立ち直った銀行や輸出産業は株式の多くを外国人投資家が握る
多国籍企業となり、一握りの財閥が経済を支えるようになった。

スマホやテレビでおなじみのサムソン財閥が、その代表である。

◆日本、イタリア、ドイツが戦争を起こした理由(ワケ)

世界最大の経済大国アメリカでは、
株価や地価が高騰するバブルが発生し、
1929年にバブルが崩壊する。

世界恐慌の始まりである。

恐慌下で各国が採用したのは、
徹底的な保護主義、金本位体制の停止と関税引き上げによる輸入制限である。

イギリスのマクドナルド内閣は、イギリス連邦諸国をカナダに集め、
連邦内の低関税と域外商品に対する200%の高関税を決定した。

これをブロック経済という。

アメリカとフランスもこれに続いたためブロック間の貿易は停止する。

植民地の少ない日本、イタリア、植民地を没収されたドイツの
工業は深刻なダメージを受け、戦争による市場の確保を主張する世論が高まる。

日本は満州で軍事行動を開始し、ドイツではヒトラーが政権を握る。

日本、ドイツ、イタリアを第二次世界大戦へと駆り立てたものは、
ブロック経済という極端な保護主義だったのである。

◆なぜ韓国はアメリカとFTAを結んだのか?

韓国は、貿易額がGDPの50%を超える貿易立国である。

ちなみに、日本は10%ちょっとである。

それだけ、国内市場が小さい。

したがって、国全体として考えれば貿易自由化のメリットのほうが大きいが、
外国製品と競合に勝てない業界が出てくる。

米韓FTA(自由貿易協定)は、
金融危機から立ち上がれず10%台の失業率が続くアメリカのオバマ政権が、
雇用確保のため輸出倍増計画の一環として、韓国に締結を迫ったものである。

韓国輸出産業の花形であるヒュンダイ自動車やサムソン電機は、
米国市場の解放で輸出を拡大できるが、それ以外の中小企業や農家は、
韓国市場に無関税で流入するアメリカ製品との価格競争にさらされる。

さらに、ISD条項も米韓FTAには含まれており、
猛烈な反対運動を押し切って調印された。

ISD条項とは、外資が韓国に投資し、韓国の政策により損害をこうむった場合、
世界銀行傘下の調停機関に韓国を提訴、損賠倍賞を請求できる。

審理は非公開で一審制である。
実際に韓国政府は、アメリカの投資会社からISDで提訴されている。

安倍政権が承認しようとしているTPPにも、このISD条項が含まれている。

日本の国会でTPPが承認されれば、
日本もアメリカの多国籍企業からISDで提訴されることになる。

米韓FTAですでに、ISD条項とはどんなもので、
韓国にどんな不利益を与えたか分かっているのに、
安倍政権がなぜあえて、このISD条項が
TPPに含まれることを了承したのか理解できない。

余談だが、TPPとは日米FTAといっても過言ではない。

◆地方の駅前にシャッター街が生まれた理由(ワケ)

日米構造協議(1989年)で、
小売店を守るため大型店舗の出店を規制していた
大店法が緩和され改正された。

この結果、郊外に巨大な駐車場を備えた大型スーパーや
量販店が次々に建設され、駅前の商店街には客が集まらなくなり、
シャッター街となってしまった。

地方の駅前にシャッター街が生まれたのは、
日本政府がアメリカの要望を受け入れて規制を緩和したためである。

アメリカは自国の国民や多国籍企業を守るために、
日本に対して次々構造改革や規制緩和を要求してくることを忘れてはならない。

◆次にアメリカが狙うのは、医療と保険!

最後の砦となったのが、医療と保険である。

アメリカにはオバマケアと呼ばれる国民皆保険制度はあるが、
よく調べてみると、医療保険会社と製薬会社が儲ける仕組みになっている。

日本の皆保険制度とは異なるものである。

アメリカでは、保険会社や製薬会社が膨大が利益を上げる一方で、
カネがないから歯医者にも行けないという問題が起こっている。

病院の窓口で保険証を提示すれば、3割負担で医療を受けられる
日本の国民皆保険制度は、外資系の保険会社からすると
「日本市場への参入を阻む非関税障壁」としか見えない。

米国の多国籍企業からISD条項で提訴されてもおかしくない。

日本が国会でTPPを承認すれば、米国の多国籍企業が
医療保険に算入し、薬の価格も政府がコントロールするのではなく
製薬会社がコントロールできるように要求するのは目に見えている。

安倍政権は、皆保険制度は変えないと語っているが
今のような皆保険制度はなくなると思ったほうがよい。

TPPとは、アメリカの多国籍企業が日本の医療と保険に参入するための
FTA(自由貿易協定)であるといっても過言ではない。

これが、TPPの本質である。

日本の農業が打撃を受けるという問題は、
枝、葉の問題なのである。

◆年金や健康保険は、改革運動を阻止するためのもの

政府が保険料を徴収する公的年金や健康保険制度を
確率したのは、19世紀末にドイツ帝国を樹立したビスマルクである。

ビスマルクは、労働者階級の貧困と将来への不安が労働運動の激化、
社会不安を招いていると見抜き、
最低限の生活を保証することで社会秩序の維持を図った。

日本でも安保闘争が荒れ狂った1960年代初頭から
国民皆保険制度が実施され、全国民に健康保険証を配布し、
自己負担3割で医療を受けられるようになった。

これが自民党の長期政権と、安定した経済成長を支えた。

◆アベノミクスの政策矛盾とは?

アベノミクスの柱である日銀の金融緩和(円の増刷)
と国土強靱化(大規模公共投資)は、政府の資金を民間に移すデフレ対策である。

この結果、株価も賃金も上昇を始め、
2020年の東京五輪招致も決まって明るい雰囲気になった。

その一方で、5%➡8%➡10%の消費増税は、
民間の資金を政府に移すインフレ対策である。

アクセルを吹かしながらブレーキを踏むということをしている。

安倍政権は、10%の消費増税を保留して
衆参同時選挙をするのでは思っている。

これならデフレ対策1本に絞ることができる。

◆山田方谷の藩政改革に学ぶ

江戸時代の藩の数は270を超える。

薩摩藩、加賀藩、仙台藩などの大藩は都道府県、
小藩は市町村に相当する。

しかし今と違って、藩の財政は完全に独立していた。

現在、ほとんどの地方自治体が財政赤字を抱えている。

47都道府県の財政状況を、収入を支出で割った財政力指数で見てみると、
自力でやっていけそうなのは、東京都、愛知県、神奈川県くらいである。

東北、九州、沖縄の各県は、県の運営に必要な額の3割程度しか税収がない。

それでも破綻しないのは、国からの地方交付税交付金を支給され、
赤字を補填しているからである。

江戸時代には地方交付税交付金なんてない。

各藩は自力で財政均衡をはかる必要があった。

しかし、400万石の直轄地を持つ江戸幕府自体が、
元禄時代から慢性的な財政赤字で、数万石の地方の小藩に至っては推して知るべしである。

ところが、そんな借金まみれの、ある小藩が、奇跡的な復興を遂げた。

岡山県にあった備中松山藩は、5万石の小藩である。

1石は1年間に人間が1人食べる米の量で、小判(金貨)1両に換算できる。

5万石の藩なら5万人の人口を養うことができるはず。

ところが元禄時代の検地で実際の石高(2万石)よりも多く見積もられていた。

藩主の板倉勝静(かつきよ)が財政を調べさせた結果、4万3000両の収入に対して、
支出が7万6000両。

不足分は大阪商人からの借入金で、累積債務は10万両という状態だった。

このとき藩主の板倉から財政再建を命じられたのが、陽明学者の山田方谷(ほうこく)である。

方谷は、大阪商人を集めて藩の財政状況を公表し、
債務繰り延べと50年払いを受け入れさせた。

そして、藩の税収を増やすために、産業を育成した。

江戸時代、正貨(金貨、銀貨、銅貨)の発行権は幕府が独占したが、
各藩は正貨と交換できる紙幣(藩札)を発行することができた。

しかし、松山藩の藩札は、藩の財政悪化にともない額面価格では
正貨と交換されなくなり、信用を失って貨幣価値の暴落を引き起こしていた。

方谷は、紙くずと化した旧藩札12万両を額面価格で正貨と交換、回収した。

それを河原で焼却し、新たな藩札を発行した。

これを見た領民は方谷を信用し、
新藩札は他藩の商人も欲しがるほどの人気になった。

紙幣の価値を決めるのは信用であることを、
方谷は見抜いていたのである。

次に新藩札を低利で領民に貸しつけ、
茶、たばこ、そうめんなど特産物を作らせ、
それを撫育局(ぶいく)が買い上げ、藩の専売品として売りさばいて収益とした。

方谷の藩制改革によって10万両の債務が消え、10万両の余剰金が生まれた。

財政が好転すると、道路や橋を修築する公共工事を興し、失業者を減らした。

武士を山間部の開墾に動員する一方、農民を軍事訓練して兵農一致の松山藩軍を編制した。

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